PEOM (Positive Energy of Madness) (Nov. 2005)

Peter Tork interview
by Matteo Sedazzari
 
PEOMのオフィスでしばしば交わされる雑談に、どの架空の住所に住みたいか?というのがある。私たちのお気に入りの仮想住所はかの有名なロックン・ロールの住所、合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス、ノース・ビーチウッド・ドライブ1134である。住人は60年代ポップスの伝説、モンキーズだ。

 

若い音楽家なら誰もが夢見ることに違いない。 志を同じくする4人の同居人がたむろして、ジャム・セッションしたり、曲を書いたり、騙されたり、女の子を追いかけたり、楽しく過ごす。創造と騒乱の楽園だ。ビートルズの映画「ヘルプ」の住処に似ている。

 

ビートルズの最初の映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」は多くのアメリカ人に衝撃を与えた。その中にバート・シュナイダーとボブ・レイフェルソンがいた。彼らは新しいTV番組を作るため、彼らの「モジャモジャ頭」を探す計画に乗り出した。何百人もの希望者をオーディションした結果、4人の若者を見つけ出した。マイク・ネスミス、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークである。モンキーズの登場だ。シュナイダーとレイフェルソンはファブ・フォーへのアメリカの返答を見つけた事を確信した。

 

ピーター・トークに与えられた役はベーシストだった。TVシリーズの中では、ピーターはスピリチュアルなヒッピー・タイプとして認知されたが、大体は間抜けに見られていた。映画「ヘッド」の中でピーターはTVのキャラクターについて、「僕は間抜けだ、僕はずっと間抜けだ」と言っている。モンキーズの中では一番音楽的技量のあるメンバーだった(12種類の楽器の演奏ができた)にもかかわらず、である。

 

モンキーズの関係者たちの誰も彼らが作られたバンドである事を否定しなかった。しかし、60年代の空気と同じように、この4人の若者は自分たちが置かれた状況に疑問を持ち始め、平等な発言を要求し始めた。結成してすぐに、モンキーズは言いたい事がある本物のポップ・グループになったのだ。


モンキーズは何年にも渡りポップスにおける最高位であり続けた。1969年に最初の解散を迎えて以来、何度も再結成ツアーがあり、新しいTV番組やアルバム、そしてオリジナルのTVショーの再放送も繰り返された。現在の音楽シーンにおいて、モンキーズが依然として重要な存在である事を証明している。

モンキーズの他のメンバー同様、ピーター・トークは彼らの公式な終焉以降も音楽に身を投じてきた。ピーターは新しいバンドをいくつも結成し、ソロ・アーチストとしてレコーディングを行い、モンキーズの再結成ツアーに参加した。1995年にはブルースのバンド「シュー・スエード・ブルース」を結成し、新たな活動に乗り出した、それ以来全米を回ってツアーを続けている。

 

PEOMはバーミンガムのカルトTVコンベンションに出演した帰りのピーター・トークをヒースロー空港で捕まえた。空港の騒がしさを背に、PEOMはピーターから当時と現在について話を聞いた。

 


PEOM:カルトTVコンベンションのために英国に来たそうですが、コンベンションはどうでしたか?

 

ピーター・トーク:カルトTVは今までやった事がなかったけど、コンベンションは良かったよ。ファンが有名人に会えるチャンスだからね。TV画面の色のついた点々だった男とつながろう。

 

PEOM:コンベンションに出るのは楽しいですか?

ピーター:楽しいよ、大体は。状況にもよるけど。


PEOM:それはどんな?

ピーター:僕が今まで15回も聞かれてる質問を繰り返す変わった人がいつもいるんだ。それで16回目に同じ質問をされると、僕もちょっとイラっとする。

 

PEOM:それはどんな質問ですか、聞いちゃいけないのは分かりますが。


ピーター:さあね、16回質問してみないと分からないよ。

 

PEOM:同じようなコンベンションに出演してますか?
 

ピーター:ああ、年に一度か二度くらい。楽しいし、来る人も大体フレンドリーで、僕が彼らの人生に影響を与えたって聞くのはいいもんだよ。

 

PEOM:あなた自身はカルトTVのファンですか?「トワイライト・ゾーン」や「Xファイル」、「ドクター・フー」のような番組は好きですか?

 

ピーター:カルトTVってあいまいな定義だね。「ドクター・フー」はイギリスでは人気があるけど、アメリカではあまりよく知られてない。「トワイライト・ゾーン」は放送されてたら僕も見るけど、1970年以降に作られたTV番組を好まないという意味でのカルト・ファンではないかな。僕はどちらかと言えば、古いモノクロ映画のファンなんだ。「カサブランカ」とか「脱出」とか。

 

PEOM:ハンフリー・ボガートのファンなんですか?


ピーター:それとジミー・キャグニーとエドワード・G・ロビンソン。

PEOM:2005年の英国での仕事は今回の出演だけだそうですが、どうしてカルトTVに出ようと思ったですか?

 

ピーター:うん、今年はね。他にも依頼があれば喜んで出るよ。カルトTVから僕のエージェントに出演依頼が来て、僕が承知したんだ。カルトTVを見る限り、僕は気に入ったし、コンベンションが(ユニセフのために)募金活動をしていたのにも賛同した。

 

PEOM:90年代半ばにシュー・スエード・ブルースというブルースのバンドを結成されましたが、ますます活躍の場を広げているようですね。あなたのバンドについて、またその活動を支える要素は何か、教えてください。


ピーター:シュー・スエード・ブルースは今年で10年になる。バンドは4人のメンバーで構成されていて、マイケル・サンデーと僕がバンドのオリジナル・メンバーだ。僕たちは最初、チャリティー・コンサートのために演奏しただけだった。その場限りのはずだったんだけど、気付いたら僕たちはバンドになっていたんだ。ドラマ―とギタリストは納得がいくまで何人か交代した。僕たちは「リアル・ブルース」や「シカゴ・ブルース」を好んで演奏している。

PEOM:偉大なブルースの名匠を数多くカバーしていますよね。ロバート・ジョンソン、ルイ・ジョーダンにマディ・ウォーターズ。あなたがカバーするバージョンはオリジナルと比べてどうですか?


ピーター:冗談だろ? 僕たちがそういう曲を演奏するのはオリジナルが好きだからだけど、太刀打ちできないのは分かってるよ。


PEOM:ブルースは60年代まで主流ではなく、誕生から何年も経ってからでした。それはどうしてですか?


ピーター:ブルースが初めての盛り上がりを見せたのはエリック・クラプトンとその仲間たちの時だね。彼らはこことアメリカで大衆の良心を突いたんだ。つまり、彼らは白人文化を通してブルースの荒々しさと本物の魂を手に入れた。白人の若者にはマディ・ウォーターズは理解できなかったが、エリック・クラプトンが演奏するマディ・ウォーターズやロバート・ジョンソンの陽気なバージョンの "Crossroads" は理解できた。シュー・スエード・ブルースが人生を変えたと言ってくれる人たちもいる、もしそうなら、僕たちが最善を尽くして「ブルースの精神」に挑戦しているからだろう。

 

PEOM:「ブルースの精神」とは何ですか?

ピーター:ポップ・ミュージック、ディスコ・ミュージック、それとヘヴィメタルは人生の葛藤をはじき飛ばして、遠ざけるための音楽だ。ブルースは君を仲間の元へ帰してくれる。ブルースはブルース(訳注:生活苦や郷愁を歌った黒人音楽)の事ではなく、僕たちにはみんなブルースがあって、みんな一緒なんだという事。アメリカがヨーロッパの国である以上、これはヨーロッパ的な人生の主題ではない。ヨーロッパ的な人生とは「私には金がある。お前にはない。だから私に近づくな」というのが全てだ。ポップ・ミュージックは鎮痛剤で、ブルースはビタミン剤なんだ。


PEOM:来年、シュー・スエード・ブルースと英国ツアーをする予定はありませんか?


ピーター:英国とヨーロッパのツアーはぜひやりたいね、君が呼んでくれるかい?


PEOM:個人的にはできませんが、心当たりに聞いてみますよ。英国では良質のブルース・バンドには高い需要があるんです。


ピーター:だったら最高だね、だけど仲介料目当てなんだろ?


PEOM:シュー・スエード・ブルースとのライブでお気に入りはどんなものですか?

ピーター:選びにくいね。でも、面白い事があるよ。シュー・スエード・ブルースは1997年のモンキーズの再結成ツアーで前座を2回務めた事があったんだ。シュー・スエード・ブルースで出る時、僕は変装してさ。やっててすごく面白かった、同じ夜にブルースを演奏して、その後モンキーズを演奏したんだ。


PEOM: その時はどちらのバンドで演奏するのが気に入りましたか?


ピーター:どちらでもないし、両方ともと言うべきだろうな。それぞれが異なる機能を果たしてるからね。

 

PEOM:長年あなたはリード・ボーカルとしての技術を研鑚してきたと思います。ご自身をいい歌い手だと評価していますか?また影響を受けた人物をあげるとすれば誰ですか?


ピーター:うん、僕はいい歌い手だよ。影響という事なら、多くはないけど少なくもない。僕がいい歌い手だと思う人物は誰もいないけど、最高のロックン・ロール・シンガーならリトル・リチャードだ。彼のように歌う事は到底及ばないから試してみようとも思わない。エルビスはラスベガス時代ではなく、アメリカの中産階級にブルースをもたらした功績で大いなる称賛に値する。初期作品のサン・レコードとかRCAレコードの最初の頃とか。彼は素晴らしいよ、力強く、意欲的で、自分の音楽に献身的に取り組んでいた。この二人以外は、特にはいないね。


PEOM:ロックン・ロールが最初に触れた音楽ですか?

ピーター:いや、僕はクラシック音楽で育った。

PEOM: あなたは2002年の再結成の時にモンキーズから離れましたが、また再結成する事はありますか?


ピーター:僕は1968年にも脱退してるよ。再結成の可能性について何度か打診してみたけど、気のない返事以上のものはなかった。

クリームは再結成した。ポール・マッカートニーとローリング・ストーンズはまたツアーをやっている。彼らはチケット1枚につき100ドルから500ドルを手にする。モンキーズの価値はチケット1枚でせいぜい10ドルか11ドルじゃないかな。

 

PEOM:私もそう思います。

ピーター:なんで笑わないんだい?今のは冗談だよ。


PEOM:あなたも笑ってませんよ。

ピーター:うん、でも僕は冗談を言ってるんだ。

 

PEOM:モンキーズはバート・シュナイダーとボブ・レイフェルソンの発案によるもので、ビートルズに匹敵するグループでした。かの有名な「マッドネス・オーディション」には437人が応募しましたが、面接はどんな感じでしたか?


ピーター:僕は募集広告を見てないんだ。僕たちの中で広告を見て応募したのはマイク・ネスミスだけだよ。スティーブン・スティルスと僕はグリニッジ・ビレッジでよく似てるって言われていたんだ。僕たちは西海岸へ一緒に来て、ある日スティーブンが僕に電話をかけて来た。「ハード・デイズ・ナイト」を元にしたTV番組を作っているプロデューサーに会ったって言うんだ。それで、スティーブンが僕にオーディションを受けろって薦めるから、なんで君は受けないんだって聞いた。スティーブンは受けたけど、プロデューサーに君はTV向きじゃないって言われたと言ってた。髪が薄いし、歯並びも悪いって言われたんだって。TVプロデューサーたちが彼に似てるけど歯並びと髪の状態がいいヤツを欲しがっていて、僕がその条件に合ったって訳さ。


PEOM:じゃあ、スティーブンはモンキーズのピート・ベストみたいなものですね。

ピーター:ああ、そうだね、彼は苦労したんだ。 バッファロー・スプリングフィールドやクロスビー、スティルス&ナッシュをまとめなくちゃいけなかったから。スティーブン、もし君がこのインタビューを読んでるなら、気の毒に思ってるよ。


PEOM:あなたとスティーブンは今でも友だちなんですか?


ピーター:ずい分長い間、彼には会ってないけど、最後に会った時はお互いに抱き合った。次に会う時も同じ事をするはずだよ。

 

PEOM:こんな何年も経ってからモンキーズがこのようなブームになると思いましたか?


ピーター:「こんな何年も経ってから」起きるとは思ってもみなかったよ。あの頃は、自分が年をとるなんて考えた事もなかった。今は20年先まで考えてる。僕には20年計画があるんだ。


PEOM:あなたの20年計画を教えてください。

ピーター:それは秘密。


PEOM:60年代の若者たちの憧れの的だった気分はどんな感じでしたか?


ピーター:僕はドキドキしたりはなかったね。僕はモンキーズの盛り上がりからは外されていたんだ、僕は僕たち抜きでレコードが作られていた事にイラついていたからね。リード・ボーカルが歌えるのは僕たちの内の一人だけだった。ほとんどの場合、ミッキーかデイブのどちらかだった。彼らはそれが当たり前の事だと思っていた、ミッキーとデイブは自分たちをTV俳優だと思っていたから。

 

それまでスターがレコードを作る時は、プロのミュージシャンが雇われて、スターはただ歌うだけだった。その一方、マイクと僕は自分たちの作り方がビートルズのレコードの作り方だと思っていた。腰を落ち着けて、テープレコーダーを回しながら曲を何度も何度も演奏する、良いテイクのためにつなぎ合わせる素材が充分に録れるまで。

 

でも、今振り返ると、僕の態度は間違ってたと思う。ミッキーやデイブの考えが正しかったとか間違ってたとかいう訳じゃない。どっちがどっちという問題ではなかった。僕は音楽の作り方は分かっていたけど、レコードの作り方を分かってなかったんだ。

 

僕たち4人が番組の撮影の合間にレコードを作るなんて無理だった。僕たちは朝の7時30分から夜の7時まで撮影所にいた。後になって、撮影が休みになった時、僕たちは古臭いやり方にうんざりしていた。僕たちの気持ちが一つに固まり、僕たちはスタジオに解放されて、自分たちでレコードを作ったんだ。

 

僕たちはモンキーズの3枚目のアルバム "Headquarters" を作った。僕からすると、れっきとしたガレージ・バンドに聞こえる。ユーモアがあって、イカレてて、それがレコード全体にあふれてる。 "Headquarters" で僕たちはレコードの作り方を学んだのさ。

 

PEOM:モンキーズからバート・シュナイダーやボブ・レイフェルソン、ドン・カーシュナーに対しての反乱はあったんですか?

ピーター:うん、僕たちのせいで大変な目に合ってるね。特にドン・カーシュナーは、彼は自分の事を天才だと思っていた。「私が仕事をする。お前たちは協力する。そうしたら金を稼がせてやる」ってね。ドン・カーシュナーが僕に多額の小切手をくれた時、彼は「お前たちのためにここまでしてやったんだ」、これはすごい事だぞと思っていた。僕はすごくイラついていて、あの頃の僕の態度はひどかった。今は自分の態度が間違っていたと思ってる。


PEOM:なるほど、ではどうすれば良かったと?

ピーター:大したことじゃない、ただもっと上手く受け流せば良かったんだ。

PEOM:バーズはモンキーズを「作られたバンド」として激しく批判して、モンキーズに向けて "So You want to be a Rock and Roll Star?" という曲まで書いています。これは "Mr. Tamborine Man" で演奏しているバーズのメンバーは一人しかいない事を考えると、偽善的です。とはいえ、60年代の他のバンドとは互いに敬意を払っていたんでしょうか、モンキーズはビートルズと友だちだったんですか?

 

ピーター:友だちかどうかは分からないけど、僕がビートルズと一緒にいた時、彼らは礼儀正しく接してくれたよ。リンゴは純粋な人間の一人だ。4人の中でただ一人、何の意図もなかった。リンゴはただ音楽に夢中だった。僕はバーズの方が仲は良かった。バーズのロジャー・マッギンとグリニッジ・ビレッジで一緒だったんだ。よく一緒に吹かしたり、遊んでた。デイブ・クロスビーとは今でも友だちだよ。アイツは変わり者だけど、僕は大好きなんだ。

 

PEOM:あなた以外の他の3人がモンキーズ初の長編映画「ヘッド」の撮影初日に現れなかったそうですが、そのストライキは一体何だったんですか?

 

ピーター:あれはマイク・ネスミスが中心になってやったんだと思う。彼はモンキーズがより多くの報酬を得るためにストライキをする立場にあると考えたんだ。最終的に、プロデューサーたちが「あれをしてくれたら、これを出そう」と言った。みんなの面目を保つには充分だった。それで3人は仕事に戻ってきた。


PEOM:「ヘッド」がカルト映画の地位を獲得するまで数年かかりましたが、あの映画を誇りに思っていますか?


ピーター:分かっていたならとんでもないよね。あの映画はすごく面白いと思う。あれはボブ・レイフェルソンの指南書なんだ。彼が初めて監督した映画で、彼は自分が映画を知っていると観客に理解させたかった。そんな訳で、「ヘッド」全般にたくさんの古い映画を散りばめたんだ。


PEOM:映画「ヘッド」の中で何か変えたいところはありますか? 

ピーター:変えたいところ?分からないな。多分、ほとんど同じ映画になるだろうけど、もっと僕らしいものになるかも。「ヘッド」にはボブ・レイフェルソンのちょっと皮肉っぽい傾向が入ってるんだ。そのせいで、みんな全てがそこにあるようには見えない。レイフェルソンは自身をオートゥールだと考えていた。オーサー(著者)のフランス語だよ。ただ、この言葉では監督というよりも、本を書くようなクリエイターを意味するんだ。映画を作るには信じられない程の協力が必要なんだけどね。レイフェルソンはアントニオーニやフェリーニ、ベイルマンと並び称されることを望んでいた。ビリー・ワイルダーだけじゃなく。

 

PEOM:モンキーマニアはビートルマニアに似ていると思いますか?

ピーター:そう思う、でも当時は分かってなかった。僕はモンキーズに対して少し懐疑的だったから、人気の盛り上がりからはちょっと距離を置いていたんだ。モンキーズの人気に飲み込まれるままにしていたら、のぼせ上って、今頃は死んでいたかもしれない。いよいよ危機的状況になった時、僕の場合はドラッグとアルコールだったけど、僕はそれを乗り越えて、立ち上がる事ができた。今は自分の仕事に精を出しているけど、僕は職人でスターじゃない。多少スター的な身分が僕について回るけど、それは僕を構成する一部だ。名声は僕にくっついて来るけど、僕はもう「有名人」なんかじゃないんだ。

 

PEOM: 1968年にモンキーズを脱退した理由は何ですか?名声に飽きたからですか?


ピーター:いや、1968年の僕はまだポップ・スターになりたかったし、音楽に関わっていたかった。今はただ音楽に関わっていたい。


PEOM:ポップ・ミュージックの歴史で最もちぐはぐな組み合わせの1つはジミ・ヘンドリックスがモンキーズの前座を務めた事です。彼の前座はわずか7公演でしたが、これはあなたたちのファンがヘンドリックスを気に入らなかったせいですか?

 

ピーター:彼はファンの母親たちを驚かせたんだ、それが理由だよ。オリジナルのモンキーズの曲は意図的に、薄っぺらく作られていた。だから、「ママたち」を刺激する事はなかった。それと同じ原則がTVショーにも当てはまる。「ザ・モンキーズ」は単純なシチュエーションコメディだった、当時の他のシチュエーションコメディと同じ筋書きを使っていたんだ。だから、音楽も刺激的じゃなかったし、僕たちも刺激的じゃなかった。それでママやパパも「長髪の変人集団」に慣れていったのさ。

 

PEOM:じゃあ、あなたたちが「長髪の変人集団」の壁を打ち壊したって事ですか?


ピーター:僕たちがやったんだと思う。実は、バート・シュナイダーとボブ・レイフェルソン自身もビートルズのファンだったから、流行りに乗っかった訳じゃないんだ。彼らは自分の仕事をするだけの大人しい4人組には興味がなくて、リアルなやつが欲しかった。僕たちは4人ともそのリアルなやつだったのさ。彼らはモンキーズが実現可能であり、採算がとれる作品だと分かっていて、それを上手く活用した。モンキーズは「イージー・ライダー」の資金源になったんだ。

PEOM:そうなんですか?

ピーター:そう、モンキー・マネーだった。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがニューオーリンズに行って、16ミリで「イージー・ライダー」の墓地のシーンを撮ってきて、「俺たちがやろうとしているのはこれだ」と言って、その1シーンをバート・シュナイダーに渡した。それでバートが「いいだろう、ここに資金がある」と言った、その資金はモンキーズの収益から出たんだ。だから、ピーター・フォンダは今でも僕にありがとうって言ってくれるよ。


PEOM:いい人ですね。

ピーター:そうだね、ホッパーの元々のフィルムは2時間15分あったけど、バート・シュナイダーが約90分に短縮した。それをホッパーに見せたら、ホッパーが「俺が作ろうとしていた映画はこれだ、、、ありがとう」と言ったそうだよ。

 

PEOM:ジャック・ニコルソンが脚本家として「ヘッド」に関わったのはどうでしたか?きっかけは何ですか、以前から彼を知ってましたか?


ピーター:彼の事は知ってたよ、でもよくは知らなかった。ジャックはロジャー・コーマンの所にいた後、自分は引退したと思っていた。ボブ・レイフェルソンがジャックと友人になったけど、どうしてそうなったかは知らないよ。そこから「ヘッド」の脚本と製作をすることになったんだ。彼が係わった経緯について僕が知ってるのはこれだけだ。

 

PEOM:「ザ・モンキーズ」のユーモアと演技は素晴らしかったです、即興でやっていたんですか?


ピーター:カメラの前ではほとんど即興の演技はやってなかった、たまにしかやってない。とは言え、シーンのリハーサルをしている時に僕たちから「もっといいアイデアがある」と言う事はできた。すると監督が元のジョークと同じように進行できるか、小道具は揃えられるかと確認するんだ。もし小道具もあって進行もできるなら、新しいシーンをリハーサルして撮影した。


PEOM:じゃあ、あなたたちから創造的な意見がたくさん出ていた?


ピーター:そう、僕たちが求められているもののコツを掴むと、監督は脚本家を信頼するのと同じ位僕たちを信頼してくれたんだ。

PEOM:70年代にあなたは教師をやったり、ウエイターをしながら歌っていたそうですが、歌うウエイターのチップは弾んでもらえましたか?  


ピーター:チップについては他のウエイターの平均と同じだよ。僕は歴史と英語と社会と体育と音楽を教えていた。

 

PEOM:こちらでは大歓迎されている訳ですが、英国のどんなところが好きですか?

 

ピーター:どんな国も矛盾をはらんでいる。こっちは日刊紙が多いけど、僕たちの国には「USAトゥデイ」以外にはない、まさに「リーダーズ・ダイジェスト」みたいなものだ。君たちの政府の芸術への支援方法はいいと思う。医療の国営化をある程度維持できているとか。「我らは共にあり」という古くからの伝統がある事とか。マイナス面は、サッカーの熱狂的なファンの暴動は僕たちの国にはない。

PEOM:でもアメリカにはドライブ・バイ(訳注:走行する車からの発砲)がありますよ。

ピーター:今は減少している、アメリカでは犯罪率が低下しているんだ。

PEOM:"Something to Write Home About" という本に寄稿していますよね。他にも、バズ・オルドリン(訳注:月面歩行した史上2番目の宇宙飛行士)、ジョージ・W・ブッシュ大統領、ポール・マッカートニー卿が寄稿しています。大の野球ファンだとお見受けしますが、野球のどんなところが好きなんですか?

 

ピーター:技術を競うゲームだから、アメリカン・フットボールと野球はそういうゲームだ。野球のボールを打つ事は、クリケットもそうだけど、すごく特殊な技術なんだ。この世で最も難しい事の1つは時速145キロでこらちに向かって来るボールを丸いバットで打つ事だ。見ていて飽きないよ。

 

PEOM:息抜きには何をしますか?

ピーター:ギターやバンジョーを弾いたり、読書したり。

PEOM: 今、どんな音楽を聞いてますか?

ピーター:家の中で音楽は聞かない、音楽は車の中で聞くんだ。ブルースやクラシックを聞くのが好きだね。


PEOM:一番好きな曲は何ですか?

ピーター:おっと、それは難題だ。多分、ビートルズの "Penny Lane" と "She Loves You" かな。それと、エルビスの "I want you, I need you, I love you"。リトル・リチャードの "Lucille"。この時代には名曲が多すぎるね。


PEOM:好きなモンキーズの曲は何ですか?


ピーター:僕の好きなモンキーズの曲は "Riu Chiu"、アカペラの曲で、1966年のクリスマスのスペシャルでやったんだ。初めての試みだった、と言うのも撮影時間は録音時間の25倍もかかるからね。歌は素晴らしかった、モンキーズ最高の出来栄えだった。シングルで好きなのは "Pleasant Valley Sunday"、好きなアルバムは "Head"。

 

PEOM:あなたは40年以上にも渡る輝かしく興味深いキャリアを持っています。あなたにとって最良の時はどんなものでしたか?それともまだこれからですか?

 

ピーター:さあ、分からないな。振り返ってみると、"Riu Chiu" はかなりいい線いってる。「ヘッド」の製作は素晴らしかった。もちろん、モンキーズのブーム全体は満足できる。僕にとってブルースを演奏できる事は何ものにも代えがたい。僕の最良の時がこれから来るかは何とも言えない、この世界に波紋を呼びたいなら、とにかくやるだけだ。



ピーター・トークは全くの無名から一夜にして成功を収めた。誰もが知る有名人となり、同業の仲間からの尊敬を集めた。かれはTV会社によって課せられた創作上の制限に対する不満に対処しなければならなかった。弱い人間なら負けてしまったかもしれない。だが、ピーターは仲間のバンドメンバー同様、プレッシャーにうまく対応した。彼はモンキーズを本格的なミュージシャンとして、ポップ・ミュージックの頂点を目指す挑戦者として確立する為、必死に頑張ったのだ。

 

彼らの信念と決意が実を結び、私たちは60年代のTV番組に収まらないものを手に入れた。この10年を抱き含めた、変わり続ける刺激的なカウンターカルチャーを象徴するバンドである。モンキーズは見た目が良く、番組は楽しく、その音楽は時代を超える。その影響は世界中に及ぶと言っても過言ではない。

冷笑家は批判の形として、しばしば都合よく見方を変え、最近ではスパイス・ガールズのような作られたグループとの比較をしている。スパイス・ガールズや他の同類のバンドとの大きな違いは、モンキーズには才能があり、彼らの誇大な宣伝に巻き込まれる事を拒否した点である。スパイス・ガールズのようなグループは音楽ではなく、自分たちのエゴに動かされている。

ビートルズは世界中に衝撃を与え、モンキーズの誕生は象徴的だった。カルチャー革命が起こっていて、アメリカ人はこれを逃す気がなかった。彼らは自分たちの強力なビジネスの特性を生かし、似たような雰囲気を作り出した。誰もが知る通り、結果は完璧だった。ネスミス、ジョーンズ、ドレンツ、トークの間には昔も今も、本物の煌めきがある。

 

ピーター・トークは過去にとらわれず、新しいプロジェクト全てに自身の豊富な経験を活かしている。彼は知的かつ、論理的で、誠実な、才能あふれる人物であり、毎日を楽しんでいるようだ。このインタビューを通じて、彼の事が分かってきた。彼には苦々しい思いや壮大な幻など、どこにもなく、当時と変わらない彼であり、今のありのままの彼だった。

 シュー・スエード・ブルースはどんな観客も圧倒するような力強いブルース・バンドである。ピーターがカルトTVに参加して、ファンと会えたのは良かったが、PEOMとしては英国をツアーで回ってもらいたい所だ。我々はシュー・スエード・ブルースがギルドフェスやグラストンベリー、Vフェスティバルで演奏する姿を、あるいは地道に100クラブのようなライブハウスで演奏する姿を想像している。PEOMはその実現に全力を尽くすつもりだ。


では、ピーターとのインタビューを終えて、ビーチウッド・ドライブ1134はまだ我々のお気に入りの仮想住所のままか?もちろん!