Hello! Magazine (Mar. 29, 1997)

The Monkees Drummer And His Former Wife Micky And Samantha Dolenz

Revealing How Their Close Friendship Has Been An Important Factor

In Her Battle Against Breast Cancer

モンキーズのドラマ―、ミッキー・ドレンツと元妻サマンサ・ドレンツが語る

サマンサのガンとの闘いに大切だったのは、2人の深い友情だった

interview: Peter Sheridan

日本語訳:Ness 【 】内は訳注

日本語訳掲載:MRC in Japan No. 53 (Apr. 1998)

 

こちらのインタビューの日本語訳は私が参加していたモンキーズのファンクラブ The Monkees Relived Committe in Japan の会報からの転載です。翻訳は共同編集者の一人、Nessさんです。Thanks, Ness!

 

モンキーズのドラマー、ミッキー・ドレンツが、昔の妻サマンサの顔を一瞬優しく手で包み、キスをする様子を見ていると、この2人が最初に出会ってからすでに30年もたっているとは考えにくい。まして、もっと考えにくいのは、この2人が、21年以上も前に離婚している間柄だということである。

 

泥沼の別離劇で名高い世界にいながら、ミッキーと、現在も結婚当時の名字ドレンツを名乗っているサマンサは、娘のハリウッド女優エイミー・ドレンツの献身的な父親、母親として、離婚後に友情関係を築き直すという、他にあまり類を見ない才能を見せている。そしてこの友情の価値が真に証明されたのは、サマンサが命をかけて乳ガンと闘い、そのそばにしっかりとミッキーが居続けたときだった。

 

手術から6ヶ月たったサマンサが言う。「【患者の】夫だってこんなに優しくてよく面倒を見てくれる人はいないと思うわ。ミッキーは私の大親友なの。知らせを聞いたときはその場で下着姿のまま病院に駆けつけてくれたし、手術の後には、サポート用ブラジャーを探して買い物に出てくれたのよ。こんなに献身的にしてくれる人なんて【患者の】夫の中にだってとても少ないのに、別れた夫だったらなおさらよ」。

 

マンチェスター生まれのサマンサは、「激動の60年代」の真っ最中にミッキーと出会った。「私は、『トップ・オブ・ザ・ポップス』で、当時の言葉で言うと『ディスクメイド』をしていたの。ディスクジョッキーのアシスタントとしてレコードをかける担当のことよ」とサマンサは笑う。「ビートルズとか、ハーマンズ・ハーミッツ、デイブ・クラーク・ファイブとか、出演したアーチストにはみんな会ったわ。1967年にモンキーズが出て、ミッキーがパーティーに誘ってくれたんだけど、みんなが帰った後、二人で一晩中語り明かしたの。2人ともその後は全く迷いもためらいもなかったわ」。

 

2人は1968年7月に結婚式を挙げた。「ものすごい状況だったのよ。世界中に出掛けなくてはならなかったし、ファンが家の前でキャンプを張っているなんていう状態だったから、普通の生活はとてもできなかった。モンキーズと一緒の生活っていうのは、外の世界からまったく隔離されたものだったの。7年後に結局離婚ということになったわ」。

 

悲しそうに首を横に振り、ため息をついてサマンサは言う。「女とドラッグとロックンロールっていうやつね。私は決してドラッグはやらなかったし、ミッキーもハードなものはやらずに、主にマリファナだけだったけれど、それでも、ドラッグは周りに豊富にあったの。何回かミッキーの元を出てはいつも最後には必ず戻って行った。でも最後に私がもう帰らないことにして出て来たとき、ミッキーはすごくムッとしていたわ。私がまさか本当に出てしまうなんて思わなかったらしいの。でも、そのままミッキーと一緒にいたらいずれ彼を憎むようになってしまっていたと思うわ」。

 

「離婚は険悪なものになったけれど、それは弁護士がかかわっている間だけだった。でも最後にはミッキーと私だけで腰を落ち着けて、弁護士を挟まないで平和的に和解したの。彼はそれほど気前よくしてくれたわけではないけれど、私もそんなに欲張りはしなかったから、最後には、特にエイミーのためには、すべて最高の解決になったわ」。

 

サマンサはその後の15年間、メキシコやイギリス、アイルランドに住み、服をデザインしたりブティックを経営したりして過ごし、7年前にアメリカに落ち着いた。彼女は今ベル・エアに住んでいる。「離婚後何年かは、ミッキーはエイミーに会いには来たけど私とは口も利かなかった。その後彼が再婚して娘がもう3人できて、そうしたら私たちはまた友達になったの」。

 

ミッキーとトリナ・ダウとの結婚生活は14年続いた後1991年に終止符を打ったが、サマンサとミッキーの友情は揺らぐことがなかった。そして、ミッキーの友愛と支えがサマンサにいくらあってもあり過ぎることがないほどだったのは、去年の春、サマンサにとって世界が崩壊するようなことが起こったときであった。

 

52才になったサマンサが思い起こして語る。「調子は最高に良かったのよ。40才を過ぎたら、定期的にマンモグラフィーを受けるのはいいことだから、その時も、しばらく行っていなかったからって、ただ行ってみただけだったの。もう帰ってしまおうかと思うくらい長く待たされた後、その場で言われたの。『左の乳房にしこりが2つできています』って。ショックで、家まで車を運転していくのがやっとだったわ。3日もたたないうちに精密検査を受けて、そうしたら悪性だと分かったから、すぐに乳腺腫ガン摘出手術をして、リンパ節に転移しているのがわかってからは、リンパ節も10個取ることになったの」。

 

「ガンだなんて、本当にショックだったわ。私は健康でピンピンしているし、赤肉は食べないし、肥満でもないしタバコも吸わないし、ガンの家系でもない。でもそんなのは関係なくて、それでもガンになる人はなるのよ」。

 

「イギリスの女性はアメリカの女性に比べてマンモグラフィーを受ける回数が少ないことを考えると、何だかこわくなるわ。特に50才を過ぎたら、本当に大切なことなのよ。もしガンを取っていなかったとしても、私はあの後6ヶ月は具合さえ悪くならなくて気づかなかっただろうし、その頃には手遅れだったかもしれないもの。ごく早期に発見されれば、化学療法も受けなくて済むのよ」。

 

サマンサは人目が気になるかのように、短く刈られたブロンドの髪に細い手を通す。「私は生まれてからずっと髪を長くしていたから、急に、違う星から来た物体みたいに見えるような気がしたわ。眉毛やまつげも抜けてしまったの」。サマンサがこう言ってつらい思いを語っているとき、ミッキーが手を伸ばしてサマンサの手を握る。

 

サマンサがほほ笑んで言う。「ミッキーは本当にすばらしかったわ。ガンだったと聞いたとき、ベッドからそのまま起きて、下着姿のまま車に飛び乗って病院に駆けつけてくれたの。麻酔から覚めたら、そばにいてくれたのよ」。

 

「ミッキーは本当に私の大親友よ。【映画でアイデアが使われた】『ファースト・ワイブズ・クラブ【最初の妻クラブ】』っていうのは実際にあって、入らないかって誘われたんだけど断ったわ。だって、メンバーがやることといったら、特に何もしないでただ、昔のだんなの話をするだけなのよ。そんなの退屈!」

 

ミッキーは1990年にロサンゼルスに戻るまで、イギリスで15年間、テレビのプロデューサーやディレクターとして仕事をしていた。その彼は言う。「サマンサとずっと連絡は取り合ってたけど、僕たちの関係はいつも順風満帆だったわけじゃない。特に離婚の頃には、意見の違いだってたくさんあったさ」。

 

「でも、サマンサと不愉快な関係でいるなんてのは難しいんだよ。彼女は本当にすごく性格がよくて穏やかだからね。僕の職業について回る要求やストレスに対して、とても理解があるんだ。それに僕たちの友情は、エイミーを中心にしているところもある。僕たちは何があろうとエイミーの両親であることに変わりがないんだから。サマンサのガンの診断が始まったとき、僕はツアーに出ていたんだけど、エイミーの支えになってやりたいことも大きくて、すぐに飛行機で戻ったよ。エイミーにとっても、すごくストレスになる状況だったからね」。

 

「自分の世界にガンというものが侵入してくると、自分が誰に愛情を感じているかがよくわかるようになるし、自分だって不死なわけじゃないって痛感するものだね。そして小さなことにくよくよしてちゃいけないんだっていうことも学ぶ。ガンになったことで、サマンサは変わったよ。彼女は昔からいつも健康的でバランスのいい人生観を持っている人だったから、そんなことが起こってハッとさせられたんだと思う。彼女は昔から1日1日を大切にする人だったけど、今は一瞬一瞬を楽しんでいるように思えるよ。

 

彼女のガンは僕のことも変えたね。僕は17才のときに父を心臓発作で亡くしているし、母も1995年に肺ガンで亡くなっている。で、今度はサマンサが病気になった。僕は、どうせ悪いことは起こるものだってあきらめているタイプじゃないけど、起こるときは起こるんだよね。とにかく、悪いことに対しても最大限に頑張って、出来る限りで変えようとするしかないんだ」。

 

27才のエイミー・ドレンツは1998年のコメディー「テンプテーション15才」や1992年のホラー・スリラー「バンパイヤ・タウン」などの映画に出演しているが、サマンサがガンになったということで一番大きな打撃を受けたのは、娘である彼女だったのかもしれない。小柄で金髪の彼女は思い起こして語る。「自分がどこに向かっているのかもわからないで、ただぼーっと歩いてた、、、。ショックで呆然としながら、とにかく父に電話をしたら、すぐに来てくれたの。私にはこんなにすばらしい家族がいて幸せだと思うわ。父が再婚して生まれた3人の妹たちともすごく仲がいいし。でも、自分の大切な人に何か悪いことが起こるなんて今まで考えてもみなかったから、今回のガンのことで、そういう人たちと過ごす時間がどんなにありがたいか分かるようになったの」。

 

この、壊れていながら珍しいほど結束の固い家族関係の中で、ミッキーは、サマンサが6年前から付き合っているサリー州ギルフォード出身の獣医、トニー・シップ氏とも友人なのである。

 

ミッキーは言う。「トニーはすばらしい人だよ。僕とトニーはすごく仲がいいんだ」。

 

56才のトニーも同意している。「ミッキーとはいい友だちなんだ。しょっちゅう遊びに来るし、うちでバーベキューをやるときには、ミッキーがいつもシェフ役さ!サマンサに対しても、本当に良くしてくれる。僕よりよっぽど、彼女にたくさんバラやいろいろな花束を送ってるくらいだよ。サマンサとミッキーは、本当にいい関係を保ってると思うね」。

 

ミッキーと彼の2度目の結婚からの3人の娘たち、シャーロット(15才)、エミリー(13才)、ジョージア(12才)は、去年のクリスマスとボクシング・デー【12月26日】をベル・エアで、サマンサ、エイミー、トニーと一緒に幸せで大きな一家族として過ごしたという。

 

トニーはフランク・シナトラ、ポール・ニューマン、ダドリー・ムーア、バリー・マニロウなどのスターたちのペットの獣医として知られているが、サマンサは自分のパートナーであるそのトニーについて、こう語る。「トニーは人間として本当にすてきな人よ。彼は自分が面倒を見ている動物に対して献身的なの。緊急に何か起こると、夜中でも往診に出掛けるのよ。この辺では、人間相手のお医者さんだってそこまでしてくれないわ」。

 

2人は実にいい生活をしている。ガレージにはトニー所有のランボルギーニのクラシック・カーが2台、フェラーリが1台、ロールスロイスが1台、アストン・マーティンのクラシック・カーが1台、そして1966年製のサンダーバードが並んでいる。

 

サマンサの田舎風の家は丘の上に建っており、広々としたテラスからは、エリザベス・テイラー、ロナルド・レーガン、ザ・ザ・ガボールなど有名人の家が立ち並ぶ峡谷から、その向こうにパッチワークのように広がるロサンゼルスの風景までの全景を見渡すことができる。サマンサの家には、暖かく迎え入れてくれるような暖炉があり、ほのぼのと物の多い雰囲気があって、ゆっくりと静養するにはぴったりの場所である。どの部屋にも、サマンサのアンティークのブリキのおもちゃや、トニーのアンティークなおもちゃの車がたくさん置いてある。

 

手術後6ヶ月たった今、サマンサは暖炉のそばにゆったりと腰をかけて言う。「気分は最高よ。本当にいいの。疲れやすいだけ。ガンが完治した可能性は73%だって言われたけど、とにかく最初の4年間を乗り越えなくちゃならないから、、、。イギリスに住んでいる50才以上の女性みんなに、定期的にマンモグラフィーを受けてって言いたいわ。受けないことで自分の命にリスクを与える価値なんてないもの。ぜひ、健診を受けてほしいと思うわ」。

 

 


追記:サマンサはこの後15年以上元気に過ごし、70才を迎える少し前、2014年2月に脳卒中で他界した。