Zig Zag #39 Vol.4 No.2 (Jan. 1974)

惜しくも忘れられていたマイケル・ネスミス(ついに)時流に乗る

The Sadly Neglected Michael Nesmith (revealed at last) just roll with the flow
an interview with mihcael nesmith
by John Tobler & Pete Frame
 
ピートと私がカリフォルニアへ行った時、私たちの果てしない質問で呆れさせたい人々について明確な計画があった事は明らかで、それはまさしく、アーサー・リーやジョン・スチュワート、ヴァン・ダイク・パークス等の人々でした。
 
マイケル・ネスミスの名前もリストに上っていましたが、他の人たちとは違って彼との接触は容易ではありませんでした。実際、私たちは可愛いリンダ・ロンシュタットをクリストファー・チャールズワース(訳注:英国音楽雑誌「メロディー・メーカー」の編集者、リンダ・ロンシュタットのインタビューを執筆)とか言う胡散臭い人物に委ねるしかなく、よく分からない道順を辿り、30分ほど遅れてようやくロサンゼルス郊外のセプルベーダという住宅地(訳注:現在のノース・ヒルズ、元は農業コミュニティの一部だった)にたどり着きました。謝罪後、私たちはカントリーサイド(訳注:エレクトラ・レコードの一部門としてマイクが設立したカントリー専門レーベル)の牧場に招かれました。マイケルはそこでレコード会社の運営をしているのです。私たちがテープに収めたものが最高のインタビューの一つになる事は間違いありません。これほど価値のある取材対象に再び出会えるという確実な情報があったらすぐに英国に戻ろうかと思う位で、世界の終わりさえどうでも良くなるでしょう。ここからは長くなりますので、曲の理解に適切と思われる短い注釈を除き、コメントはほぼ差し控えました。その部分はイタリックで表記します。
 
ネスミスの熱心なファン以外にはどうにも理解しがたい事でしょう。分からなくても大丈夫、次からの2回か3回の「ジグザグ」誌でマイケル・ネスミスの6枚のアルバムの紹介とモンキーズのアルバムを振り返る記事を掲載する予定です。他にもマイケルのレーベル、カントリーサイド・レコードからも分かる範囲で全てご紹介します。もし一つもない、あるいは少ししかないという方はお近くの店で探してみてください。何故ならば、マイケル・ネスミスは、この瞬間、私たちがいつでも誰とでも語り合える数少ないアーチストの仲間入りをするからです。という訳で、私たちの今後の特集に必要と思われるものをお持ちの方はできるだけ早く連絡をください。特に必要なのは 'Instant Replay'(どのバージョンでも可、できればアメリカ版のステレオ)、'The Monkees'、'More Of The Monkees'、'The Monkees Headquarters' のステレオ版、もしくはアメリカ版のモノラルです。それから英国版(できればステレオ)の 'The Birds, The Bees And The Monkees' とアメリカ版の 'Head'。それとシングルならどれでも。もしもこれらを売ってくれる人、あるいはしばらく貸してくれる人がいたら、「ジグザグ」誌宛てに連絡をお願いします。でも、急いでいます。もちろんどんなシングルでもいいですし、お持ちのコレクションの中にあるその他のアーチストでネスミスが書いた曲の情報もお待ちしています。ご協力頂いた方のお名前は「ジグザグ」誌に掲載します。もし可能でしたら、電話番号もご記入ください。この企画には2年かかりましたが、待つだけの価値はありました。
 
 
 
ZZ: カントリーサイドを始めようと思った経緯を教えていただけませんか。
 
MN: フィラデルフィアでコミュニケーション・セミナーの講演を終えた時、ジャック・ホルツマン(訳注:エレクトラ・レコード社長)が僕の所に来て、「あのさ、君と僕は一緒にビジネスをするべきだよ」と話しかけられたんだ。チャンスが来たと思った。それで「その提携がどういうものか分からないけど、ちょっと待ってほしい。考えておくよ!」と言った。ホテルの部屋に戻って、何が必要なのか俯瞰で考えてみた。つまり、僕はもうレコード会社はいらない。これ以上金を稼ぐ事に興味はない、金はないけど、たくさん稼ぐ事に興味はない。ニーズを満たす為に僕にできる事があるなら、それをやろうと思った。僕にはロサンゼルスの閉塞的な音楽に出口が必要だという事がはっきりと分かってきた。
 
ZZ: でも、ガーランド・フレイディとJ.G.・オラファティのような人たちは、、、
 
MN: 酒場の弾き手だ。J.G.は契約解除で戻ったんだ。(カントリサイド・レーベルで最初に契約した2人のアーチスト)
 
ZZ: 彼らが最初の2人ですか?
 
MN: そうだよ。
 
ZZ: その2人を想定していたんですか、それとも特には決めてなかったんですか?
 
MN: ここにあるような感じがしたんだ。ロサンゼルスはカントリー・ロックの中心地だったし、開拓者のレベルとは言え、僕が長い間携わってきた分野だからね。カントリー・ロックは構造化された芸術形式の中に存在するものではなかった。ただここにあるだけで、その存在には拠点が必要だった。ここのレコード会社のほとんどは、カントリー・ロックがどこから来たのか、理解していない。そんな事だから、ロックン・ロールとカントリー・ウエスタンの狭間のどこでもない場所に行きついて、上手くいかないんだ。ガーランドみたいなカントリー弾きの強者でさえ最小限のロックン・ロール音楽に対する基本的な認識があるし、レオン・ラッセルのようなロックン・ロールのアーチストでさえカントリーに対する基本的な認識がある。
 
ZZ: では、その時点でホルツマンに「よし、これでレコード会社を作ろう。一緒にビジネスをするなら、この方法だ」と言った訳ですね。
 
MN: まあ、必ずしもそうではない。説明が難しいけど、詳しい経緯に関しては知らないんだ。僕たちは話し合いを初めて、僕は「拠点が必要なんだ、僕はプロデューサーだからレコードを作る事はできる」と言った。それで彼が「僕がスタジオを立ち上げたらどうかな?」と言うので、「そうだね、君がスタジオを作ってくれるなら、僕がスタックス・ヴォルト(訳注:メンフィス拠点のソウルと R&B のレコード会社)方式でスタッフ・バンドを組むんだけど」と答えた。というのも、僕はバンドを組んで上手くいった経験があったからね。エリア・コード615が最初に試したバンドで、それから 'Wichita Train Whistle'(マイケル・ネスミスが1968年にドット・レコードから出したアルバム、現在でも安価で出回っています)をやったんだ。その後、ファースト・ナショナル・バンドを作った。
 
ZZ: あなたがエリア・コード615を結成したんですか?レコードにはあなたの事は書いてありませんが。
 
MN: そうなった理由は分からない。デビッド・ブリッグスとノーバート・パットナムがケニー・バトリーとかその辺の仲間を連れてマッスル・ショールズ(訳注:マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ。アラバマ州にある伝説的な音楽スタジオ)から来ていた。僕はモンキーズが世に出たばかりだったけど、僕を静かにさせたい人たちがいて、僕は自分自身の事をやらせてもらえたんだ。だから、僕がやった自分自身の事の一つは、ナッシュビルに行って2週間レコーディングする事だった。エルビスのプロデューサー、フェルトン・ジャービスとRCAの製作プロデューサーがマッスル・ショールズから来た連中を知ってるけど、全員じゃなくてデビッドとノーバートだけだと言って。僕は「じゃあ、ここの人たちと組み合わせてみよう」と答えた。それで僕たちはナッシュビル随一の弾き手何人かとマッスル・ショールズの新人とバンドを組んだ。で、その弾き手たちがみんな、10時から1時まで、2時から5時までって感じなんだ。スタジオに行って、弾いて、ランチに出かけて、戻ってきて弾いて、夕食に帰って、戻ってきて弾いて、ってやるんだよ!そうやって彼らは年間6000億ドル稼いでる。つまり、ナッシュビルのミュージシャンの富はアフリカのある国の経済基盤なんだ!だからセッションは奇妙なものだった、というのも僕がした事は2週間スタジオの予定を調整して、ベース・マリンバからハモンド・オルガンまでありとあらゆる機材を用意する事だったんだ。そして僕たちはただ座って、夢見心地で2週間過ごした。そしてこの時間のために全員が報酬を受け取っていた。実は、もし君が聞きたいなら、615のオリジナル・テープを持ってるんだ。発売されてないやつでね。そこから出たのは1曲だけで、'Listen To The Band' っていうモンキーズの曲だよ。それがエリア・コード615で、僕がホーンだけ追加したんだ。それが僕たちの最初の仕事だった。
 
ZZ: 'Wichita Train Whistle' の話が出ましたが。そのアルバムの半分はモンキーズのアルバムに収録されているあなたが書いた曲で、推測するに違う形を提示したかったという事かと、、、。
 
MN: そう、まさしくその通りだよ。
 
ZZ: ドット・レコードからでしたよね。当時はRCAからのリリースじゃありませんでした。それって随分と変じゃないですか?
 
MN: うん、僕の作品の権利は誰のものでもなかったんだ。プロデューサーとして、僕が享受してきた唯一の本物の自由だ。僕がエレクトラに関わるまで、エレクトラの作品の独占的な権利は誰も持っていなかった。今はジャックがエレクトラを離れたから、僕もエレクトラから離れるつもりだ。そうすれば、また僕の作品の権利は僕のものになる。
 
ZZ: では、ドット・レコードに行って、「このインストルメンタル・アルバムを作りたいんだけど」と直談判したって事ですか?
 
MN: いや、それは僕が自分でお金を出して録音したんだ。5万から6万ドルかかった。バカみたいな金額だろ。このアルバムは僕がモンキーズに書いた曲を違う形でまとめて、僕自身のやり方で発散させる事だけが目的じゃなくて、むしろ、高度に操作するためであり、また、当時ロサンゼルスで最も優れたセッション・ミュージシャンたちの集合体の記録になるものをレコードにするためでもあった。4人のドラマ―がいる日があったし、、、。
 
ZZ: 私が持ってる盤には名前が載ってないんです。
 
MN: 僕の人生における最大にして愚かなミスの一つだよ。なんでそうしなかったのか想像もできない、'Wichita Train Whistle' の重要なポイントだったのに。
 
ZZ: じゃあ、誰がいたんですか。
 
MN: え~と、57人いたんだよ!まずハル・ブレイン、フランク・デ・ヴィート、アール・パーマー、ゲイリー・コールマン、エミール・リチャーズ、彼らは打楽器奏者で、6人から7人の信じられない位の打楽器奏者たちがいた。それから、ジェームズ・バートン、トミー・テデスコ、ハワード・ロバーツがギターで、まるでハリウッドのセッション・ミュージシャン名鑑みたいだ。さて、ハリウッドのセッション・ミュージシャン名鑑はビートルズの全アルバムにも顔を出している、ケルトナー(訳注:ジム・ケルトナー、セッション・ドラマ―)とか、そういうヤツらだ。新しい波が押し寄せていた。僕が 'Wichita Train Wistle' で使った連中はみんな映画のサウンドトラックに行った。
 
ZZ: その2つの事をやって、カントリーサイド・レコードはその延長線上にあると考えたんですね。とすれば、あなたはアーチストの確保を考えなくてはならなかったはずです。ガーランドとJ.G.ですが、どうやって見つけたんですか、酒場ですか?
 
MN: まあ、ちょっと見て回っただけだよ。僕には他のレコード会社の経営者よりすごく優位な点があるんだ、ジャックに限った訳じゃないけど、彼はこの点についてはいつも確信を持っていたから、そのお陰で僕たちは上手くやれたんだ。ほとんどのレコード会社の経営者たちはアーチストとしての自分の欠点を語るけど、僕は経営者としての自分の欠点がより分かるんだ。一日の仕事を終えて、ここを出たら、僕はギターを持ってジョン・ハートフォードやボビー・ワーフォード、僕のバンドとかのギタリストと出かけて、ゆったりと音楽を作る。僕は常にそういう環境にいる。それが僕のやる事だから。僕は他に誰も居ないレベルで芸術上の共同体の中に存在している。そして僕は他の誰も近づけないような事が起きるのを常に目の当たりにしている。何故なら、彼らはそこにいないからだ。金持ちになりたい気持ちが強すぎるからだ。まあ、とにかく、僕はガーランドに出会った、誰かに「君に聞いてほしいヤツがいる」と言われてね。それで僕は出かけて、ガーランドを聞いて、こう言った。「やあ、君ってすごいね。君のレコードを作りたいんだけど」。それから、カントリーサイドのバンドが僕のアルバム、RCAの新しいアルバム 'Pretty Much Your Standard Ranch Stash' をやって、僕たちがエレクトラでイアン・マシューズのアルバムをやってた最中にスパンキー・マクファーレンに出会って(スパンキーはスパンキー&アワ・ギャングのリード・ボーカルだった。アルバムはマーキュリー・レコードより)、彼女のアルバムを録音した、彼女が引退から復帰するんだ。
 
ZZ: スティーブ・フロムホルツはどうやって見つけたんですか?
 
MN: すごく神秘的な体験だった。すごく不思議な、強烈な体験だった。話としては奇妙すぎるって思われそうけど、何があったのかを話すよ。ある時僕はオフィスにいて、秘書に内線を鳴らして「スティーブ・フロムホルツを探せるかい?」って言った。彼については聞いた事がなかったし、彼の演奏を聞いた事もなかった、会った事もなかった、彼の事は何も知らなかった。彼が本当に存在しているのかさえ分からなかった。スティーブ・フロムホルツという名前が突然、頭に浮かんだんだ。「スティーブ・フロムホルツを探してみるべきだ」って。正真正銘、本当の話なんだ。僕が秘書を呼び出すと、彼女は「彼の居場所を知ってるんですか?」と言うから、「僕にも分からない」と答えた。僕はテキサスのどこか、僕が知っているマネージメント会社に電話してくれと言って。そうしたら、そこの返事が「知ってるも何も、彼はうちでマネージメントしてるよ!」だった。それでテープをいくつか送ってもらったんだけど、すっかりやられてしまって、彼に電話したんだ。彼はまさに第一人者のような存在で、僕がカントリーサイドを持って行きたかったぴったりの所にいた。彼はカントリーとロックン・ロールをよりしとやかに掛け合わせた一人だ。素晴らしい感受性と本質、簡素にして鮮明で、雄弁。彼を見つける事ができて本当に嬉しかった。これがスティーブ・フロムホルツにまつわる嘘偽りない物語だよ。
 
ZZ: と言う事は、ガーランドとオラファティがカントリーで、スティーブ・フロムホルツは中間、スパンキーはポップス寄りで、それからレッド・ローズもいますよね。多分、まだあなたのバンドのメンバーで。彼自身もソロ・アルバムをやりました。他に何かありますか?
 
MN: 今、現実としてあるのはエレクトラからの離脱だけだ。エレクトラから離れて、僕の配給を契約し直しているんだ。それで、ヨーロッパの配給会社とはまったく接点がなくてね。まあ、いつかは契約を結ぶつもりなんだけど。でも、デビッド・ゲフィン、エレクトラ・アサイラムの新しい社長はこのプロジェクトに好意的な関心を持ってなかったし、理解すらしていなかった。彼はこれがどういう事なのか、まったく分かってない。彼は才能にあふれた人物で、彼のこれまでの傾向、イーグルスとリンダのようなものとかを知ってるからカントリーサイドに共感してくれると思うかもしれない。長年才能ある集団と一緒だった人たちばかりだから、そう思うかもしれないけど、デビッドと僕は上手くやれなかった。通常、僕が一緒に仕事をしようとする人に必ずする質問の一つが、「僕の妻と子供はどうしようか?」で、デビッドの返答は「君の奥さんと子供の心配はできない」だった。もちろん、彼にはできないし、彼が心配する事じゃない。でも、これで強欲かどうかがはっきりする。「君の奥さんと子供はどうする?」とか「手伝おうか?」より、よっぽどいい質問だ。心配してもらえるのみならず、すぐにインチキを追い出せるからね。それが彼と僕の最初の会話だった。僕はその場で見極めないといけなかったから。そしてその結果は惨憺たるものだった。「君の奥さんと子供の心配はできない」そう、確かにできないし、しないだろう。

 

ZZ: では、推測するに、あなたがこれから誰と組むかを聞くのは少々早計ですか?
 
MN: まあ、配給会社からの誘いは沢山受けてるし、条件も良くて、それ自体は嬉しい。だが今現在、レコード・ビジネスはひどく減退している。誰もそれを理解してないし、少なくとも理解しているようには見えない。それもジャックが辞めた理由の一つだし、カントリーサイドが存在している理由の一つはレコード会社ではないからだ。僕たちが最も力を入れているのは、新しいメディア認識を探究していく事で、僕はカントリーサイドをその基盤にしたいと思っている。
 
ZZ: それはあなたがモンキーズでやらなければならなかった事のせいで、何も操作されない、何も誇張されない、全てをまっすぐで平らな基盤に戻そうとしているんですか?
 
MN: そうかもしれない。僕は自分の動機を掘り下げた事がないんだ。安っぽい精神分析を自分に許した事がないって意味だけど。
 
ZZ: 何か明らかに価値のある事をしているなら、動機は必要ないと。
 
MN: そうだね、ただ仕事をする事に惹きつけられるんだ、ただそれに取り組んで、仕事をする事、それがいい。それが僕の好きな事だ。僕は記念碑を建てる事に興味はない、そんな事はどうでもいい。音楽がいいか悪いかのどっちかだ。もし音楽が悪ければ、音楽なんてうんざりだ。もし音楽が良ければ、そばに置いておくだろう。
 
ZZ: 周囲にあなたを助けてくれる人はいますか?
 
MN: いない。
 
ZZ: 運営とか全部、あなた自身でやってるんですか?レコード製作の時間なんてよく作れますね!
 
MN: 最初は本当に大変だったけど、乗り越えるべき壁だった。しばらくは一緒に仕事をする友人が一人いて、有能だったけど、彼自身が指揮を執る必要があったから、毎日の運営ばかりに手を回せなかった。僕がカントリーサイドを始めた時にやった事は、物事を成し遂げる、「実行」という概念を熟考し始めたって事だった。僕は一歩ずつ進むという考え方を堅持してきた。僕はとりわけ整理整頓や秩序を重んじる訳ではないが、やり続けるんだ、それをやり続ける事でやろうとした事をやり遂げる。それを実現させる方法は時間という要素を頭の中から追い出す事だ。僕には〆切がない、それがあって、僕は自分で設定したよりも先に進んでいる。
 
ZZ: レコード会社との駆け引きはある程度必要じゃないですか?その、今回のものについて宣伝が充分ではないと思うんですけど、ご自身でやるんですか?
 
MN: そうだよ、僕がやる。レコード会社と駆け引きなんてしない。
 
ZZ: と言うか、配給って、誰もが配給に関してはいつも苦情を言っているようですね。
 
MN: そうとも、あれはイカサマだ。全く理にかなってない。強硬なビジネスと現実的なレベルから考えれば、配給はある種固定化された存在だ。特定の圧力には反応し、他の圧力には反応しない。販売代理店が君の作品に興味を持っているかいないかなんて気にする理由は何もない。商業的な機能を果たして実行するだけだ。だから僕は僕の作品と彼らの考え方に合致するマーケティング概念とマーケティング手法を考案した、僕は何時間も静かに考え、この存在とその芸術的完全性、あの存在とその商業的な完全性の間に架け橋を作る。どんな旅でもいい、ビジネスをしていて、それが上手くいっている人なら誰であっても、それでいい。芸術ではないからと言って悪い旅という訳ではない。それは単に違う旅なんだ。
 
ZZ: では、あなたに関する限り、計画は全て順調なんですね、コントロールはできてるんですか?
 
MN: いや、それは違うかもしれない。もし現在の状況について僕の考えを説明するよう言われたら、半年前なら違っていただろう。丁度今、3枚のアルバムを完成させた所で、それらと一緒に出掛ける準備ができているからだ。今年は本当に報われた年だった、最初の1年は下準備ばかりで、金が出ていくだけだった。そして今、僕は共感を示してくれない経営陣と直面している。だから僕は前に進んで、全てをやり直さなければならない。とても残念な事になるかもしれない、だが負担が発生した事に、そしてそのやり方に何か深い意味があると思うからではない、それはもう大丈夫。
 
ZZ: 実際、ジャック・ホルツマンがエレクトラを始めたやり方といくつか類似点がありますね、もちろん彼はスタジオを持っていませんでしたが。
 
MN: うん、ジャックは僕に多くのものを与えてくれたし、恐らく彼がビジネスで費やした10年分の金額より更に大きな金額を費やしてくれた。彼がエレクトラを始めた時はカントリーサイドを始める機会に恵まれた僕とは違っていたからね。でも、それから22年も経って、時代も変わったし、恐らく22年間の数百ドルは、レコーディング・ビジネスで言えば100ドルか200ドルに相当する。
 
ZZ: エレクトラから「君の為にこんなに費やしたのに、、、」とか言われたりしませんか?思うに、誰がやるにせよ、エレクトラに支払う多額の前金のために働き続けないといけなかったりしませんか?
 
MN: いや、全然。エレクトラは問題ない。エレクトラのデビッド・ゲフィンはカントリーサイドに全く関心がなくて、彼はただ出て行って欲しいだけなんだ。一つには僕が頼んだからだし、彼は僕がやっている事を全然わかってない。そして、彼にとって手ごわいライバルを作りたいのかという問いに対する答えを求められるという事実も相まって、つまり、強欲な者にとってビジネスとして理にかなっていない。そして、強欲である事、断固たる意志を持つ事、この言葉を使うなら理解しておかないといけないんだが、「強欲」という言葉は僕にとって否定的な意味ではない。僕が話しているのは、生き続けるために活動し続けなければならない人物、真っ先に供給して、すぐその場所に行く、情け容赦ないタイプのビジネスマンの事で、それがデビッド・ゲフィンなんだ。批判してる訳じゃなく、ただ、彼はそうなんだ。それはそれでいい。それが彼の旅だし、彼は出したいモノは何でも出すし、獲得したいモノは何でも獲得するから。それが彼の旅だ。そしてこの旅はその旅の真逆のものであり、反対側であって、彼はそれが分かってない。彼はそこに自分自身を見ているんだ、2,3年前、彼はC.M.A.(訳注:Creative Management Associates、米国大手芸能エージェンシー)で自分の身に起きるのを恐れている事をした。僕はそうなると思っていた、彼はそれを恐れていたから。でも、僕は彼にそうするつもりはない。彼に対する僕の感情は慈悲深くも他人行儀なものだから。彼には何の恨みもないし、彼に問題があるようには見えない。カントリサイドにはジャックが見込んだ根本的な考え方があって、それ自体は現実とは何の関係もないからだ。その時が来たというのがすごくいいアイデアだ。それはマイケル・ネスミスがいなくても、エレクトラがなくても、ガーランド・フレディがいなくても、他の何もかもがなくても続いていく。もちろん、いつかはこのコンセプトも崩れ去るだろう、ここにあるから。もし僕がやるなら、それはそれでいい。'Wichita Train Whistle' みたいなものだ、そこに戻っていく。別のコンセプトもあった、3番目のレーベルで、ロックン・ロールとビッグ・バンドの融合だ。でも、シカゴとブラッド・スウェット&ティアーズが出て来て、申し分なくそれをやってのけたから、その分野で僕が何かやっても無駄になっただろうね、彼らは完璧にロックン・ロールとジャズを融合させた。そういう事だ。
 
ZZ: イアン・マシューズの事を少し話してもらえませんか?彼はある晩、急に荷物をつめて、ここに来てあなたと仕事をしようと決心したような感じなんですが、そうなると前から分かってましたか?
 
MN: いいや。彼の友人で、イギリスのエレクトラの社長、ジョナサン・クライドが牧場に来て僕と話をしていたんだ。彼がイアン・マシューズの事を何か話したんで、僕が「イアン・マシューズは才能にあふれてる。僕にできる事なら何でも彼の手助けをしたい」と言ったら、イアンから電話が来て、ここへ来たのさ。僕は彼のために空港へリムジンを手配して、僕たちは語り合った。僕はイアンにこう言った、「よく聞いてくれ、イアン。僕は君をプロデュースできるかどうか、他の誰かが君をプロデュースできるかどうか、分からない。何故なら君には君の考えがあるし、君は自分が何をしたいか明確に分かっている。だけど、僕は君が手に入れられない物への手段を提供できる。僕は君に文化への認知を提供できる。つまり、もし君がカントリー・ウエスタンに興味があるなら、僕は君に何がそうで何が違うかを教える事ができる。もし君がカントリー・ロックに興味があるなら、君が自分の音楽に近づけるようなミュージシャンの集まりを見つける手助けができる」。彼はそれについて考えていた。僕はさらに「僕は君を誘導したり、操ったり、強要したり、そういった事をするつもりはない。君は君自身のアルバムをやるんだ」と言った。それでイアンは演奏して、ミキシングして、多くのプロデュースをした、彼が今までやってこなかった事だ。彼は一人前に生まれ変わったと思った、それまでの彼は人に頼りすぎていたから。カントリーサイドが彼にした事は、彼が自分でできる事を彼に気付かせただけだとしても、それはとても有意義な作用だ。僕は 'Valley Hi' のアルバムが好きだ。彼の最高傑作かどうかは定かではない。彼の次回作もしくはその後の作品がそれを証明してくれるだろう。彼は表に出始めたばかりだからね。
 
ZZ: ファースト・ナショナル・バンドとセカンド・ナショナル・バンドの話をしたいんですが、実はこの分野はイギリスでは暗黒期なんです。最初の3枚のアルバムは3部作なんですよね?(三部作は 'Magnetic South' と 'Loose Salute' と 'Nevada Fighter'。その後のアルバムが 'Tantamount To Treason, Volume One'、'And The Hits Keep On Coming'、'Pretty Much Your Standard Ranch Stash') それが、イギリスでは1枚目と3枚目しか発売されてないんです!ですので、私たちはあまりよく分かってないんです。'Magnetic South' が1枚目で、ファースト・ナショナル・バンドですよね、ジョン・ウェアとジョン・ロンドンがいて、彼らはリンダ・ロンシュタットのバンドから来てて、、、
 
MN: そう、彼らはジェームズ・テイラーのアルバム 'Sweet Bavy James' を終えたところで、ジョン・ロンドンは僕の昔なじみのベース・プレイヤーだ。レッド・ローズも昔からの知り合いで、僕がモンキーズにいた頃、スティール・ギターの弾き方を教わったんだ。アール・ボールは、キーボード奏者を探してたら、レッドがアールの知り合いだったんだ。
 
ZZ: それから、これはあなたの曲で商業的に最も成功したと思われる、イギリスでの話ですけど、'Joanne' がありますね。
 
MN: こっちでもそうだよ、およそ100万枚売れた。
 
ZZ: あなたがモンキーズを辞めた時の事を少し話してもらせませんか?RCAとの生涯契約はまだ残っていたんですか?
 
MN: うん、かなりね。これは言っておこう、RCAはレコード会社としては超一流の会社だ。巨大なゴツゴツした一枚岩的な組織で、次から次へと飛び回っているような感じだ。
 
ZZ: そして彼らは、あなたが思うままにアルバムを作る事をそれなりに歓迎してくれたと言う事ですか?
 
MN: そのようだった。彼らは素晴らしく親切で、本当に好意的で、最善を尽くしてくれる。僕は、RCAが自身で犯したと分かっている間違いの責任を取らせる事よりも、音楽に関心があるんだ。多くのアーチストは上層部の誰かが自分たちに陰謀を企てていると勘違いしている。だが、それは事実じゃない、上層部の誰かさんがとんでもなく無能なだけだ。つまり、他のどんなメディアとも違う、その異様さの中に存在する人間たちを相手にしているからだ、そして売られるほぼ全てのアルバムはどこかで誰かが不運に出会う事で売られる。ちゃんとしてる、と彼らは思っているが、だから売れる訳じゃない。全てが見られているからね。RCAは準備して、OKを出して、これだ、これが次のブームだ、と言っては大失敗をする。そして誰かが「デビッド・ボウイは本当に変わってる」と言えば、そのアルバムを隠してしまう!そして、僕が次のブーム候補になるという不運に遭遇したんだ。
 
ZZ: 'Joanne' がヒットしたからでは?
 
MN: そうだろうね、そして RCA は 'Joanne' を収録したアルバムの売り上げが1,000枚程だったという事実に基づいて、激しい後悔の念に駆られた。
 
ZZ: 彼らは自分たちの過ちだと判断したんですか?
 
MN: まあ、そういう事だね。マネージメントの変化だったが、彼らはそれをつかめなかったんだ。それはいいんだが、これは言っておく。彼らが僕にどうしてアルバムを作らせてくれたのか、僕にはどうにも分からないんだ。僕は4,5回リリースを依頼していたが、彼らは単純にノーと言うだけだった。理由が想像できない、僕は彼らを儲けさせてないし、レコードも売ってない。
 
ZZ: これは当然、聞いておかなくちゃいけない質問です。アーチストが自分のレーベルを立ち上げる時、予測可能な将来のある時点で、そのレーベルに所属する事になるというのは、レコード・ビジネスの全歴史においての事実だと思うのですが、あなたには適用しないようです。
 
MN: うん、それはないね。レオン・ラッセルはまた別の話だ、レオンにはデニーがいた。僕にはデニー・コーデルがいない(訳注:シンガーソングライターのレオン・ラッセルと音楽プロデューサーのデニー・コーデルは1969年に共同でシェルター・レコードを設立)。僕がここを任されている限り、僕がこのレーベルの所属になる事はない。ここにいる人たちに公平じゃなくなるからね。
 
ZZ: ストーンズやビートルズ、レオン・ラッセルやマーク・ボランなどはそのレーベルの売れ筋ですが、レーベルの前提として大抵の場合、その他のものを排斥してしまうのはおかしいですよね。エルトン・ジョンが何か意味のある最初の一例になるかもしれません(訳注:1973年にエルトン・ジョンが作詞家バーニー・トーピンらとレコード会社ロケット・ミュージックを設立。クリフ・リチャード、ニール・セダカなどが所属していた)。ところで、3部作の構想について教えてもらえませんか?
 
MN: いや、僕もそれが降りてくるのを待ってるところなんだよ!僕も3部作だったなんて思わなかった、出来上がってから気づいたんだ、「おい、これって3部作じゃないか!」てね。
 
ZZ: ファースト・ナショナル・バンドでアルバムを3枚作って、そこでメンバーを変えて、名称もセカンド・ナショナル・バンドに変えましたよね。何があったのか教えてもらえますか?
 
MN: うん、ジョン・ウェアとジョン・ロンドンがそれぞれの道に進むことを望んだからさ。
 
ZZ: 私が持ってる盤を見ると、彼らは 'Nevada Fighter' で部分的に参加しているだけですね。
 
MN: その通り。彼らが去ったのは 'Nevada Fighter' の途中だったんだ。
 
ZZ: それでジョー・オズボーンやジェームズ・バートン、アル・ケイシーのような沢山のスタジオ・ミュージシャンを迎えたんですね。
 
MN: 基本的にあれはエルビスのバンドだった。あのアルバムは好きだよ、悪くはない。僕がやった中ではいい方ではないけど、悪いアルバムでもない。いい所もあるんだ。あのアルバムのバンドは好きなんだ。
 
ZZ: 'Nevada Fighter' と 'Tantamount To Treason' の間に何かありますか?
 
MN: ない、'And The Hits Just Keep On Coming' は 'Tantamount To Treason' の後だから。'Tantamount' は完璧に完全にそして徹底的に RCA の全員を震え上がらせた。彼らは知りたがらなかったし、理解もしなかったし、興味も持たなかった。
 
ZZ: それにはビールのレシピが載っていて、面白いライナーノートでしたが、イギリスでは多くの人が困惑してましたよ!
 
MN: それはライナーに何を載せたいか?って事だ。ライナーノートに何も書く事がないなら、何も書くべきじゃない。と同時にいつも「もったいないな」と思う。書く事がないなら、歌詞を載せる事ができる、歌詞はいいじゃないか、カール・サンドバーグは僕に迷惑をかけないしね!あるいはロバート・フロストとか(訳注:どちらのアメリカの著名な詩人)、彼らはいいね、彼らを表彰台から叩き落すつもりはないからさ。あるいはディランやコール・ポーターも。ライナーノートを芸術として認識するようになったのはつい最近なんだ。スティーブ・フロムホルツのライナーノートは見た事ないと思うが、新しく出てきたものの中では最高だと思う。とにかく素晴らしくて、僕も新しいアルバムで試してみたんだ、僕は気に入ってるし、他の形にはないアーチストの姿を見せてくれる。もし、そこに誠実な要素があり、非常に純粋で、気高いものであるなら、そこから永続的な価値を見出すことができる。それは残り、レコードに張り付いたまま、別次元の、すがるべき何かを与えてくれる。
 
ZZ: ほとんどのライナーノートは大体、無意味ですね。
 
MN: 中身がない、誰にとっても何の意味もない。
 
ZZ: 例えば、コンピレーション・アルバムみたいにどういう事か説明するような場合は違いますけどね。
 
MN: 実は 'Tantamount Treason' のライナーノートには興味深い事があるんだ、これはその後の事なんだが。僕は振り返った時に気付く事が多い、何故ならアーチストとして僕は前の方向へ反映させるからだ。後からの反応はない。僕は大部分の人が行かない場所へ行き、メッセージを持って帰る、「やあ、何を見たと思う?」とかね。そして、僕が何を見て何をしているのかが僕には分からないんだ。誰かに話したり、どうなるかを見るまでは。その重要性は振り返ってみるまで分からないから。分からないけど、やってみて、やり遂げて、それから次に行く。そして振り返ってみて、誰かが「これはいい仕事だ」と言う。「おやまあ、ちょっと座って、見てくれ。どうしてか教えてくれ」と答える。何故なら僕は全く分かっていないから。このアルバムに参加した人たちは熟成の只中にある事が見える、それはすごく興味深い、僕はそうやってアルバムを書いた、僕はその最中にある人たちの名前を留めただけだ。全ての熟成の過程を知って、様々な人々の構成を見れば、「なるほど、面白い。彼らが合うのはそういう所か」となる。このビールのレシピで一番面白いのはどうやったって上手くいかないって事かな!とてつもなく不味いスープが出来上がるだけなんだ。
 
ZZ: ここに参加している人の事を教えてもらえますか?ジョニー・ミークスはジーン・ビンセント&ザ・ブルーキャップス(訳注:エルビス・プレスリーと同時期のロカビリー・バンド)のギタリストですが、マイケル・コーエンとジャック・パネリの名前は聞き覚えがなくて。
 
MN: ジョニー・ミークスは今、マール・ハガード(訳注:カントリー・ミュージックのシンガーソングライター)と一緒にやっている。ジャック・パネリではなく、ジャック・ラネリなんだ。アルバムでは間違っていて、R を P にしてしまったんだ。マイケル・コーエンは驚くべきキーボード奏者の一人だ。彼はベニスに住んでいて、金も稼がないし、仕事もしない、普通の人から見たら奇妙すぎるけど、物静かで思いやりがあって優しい人間なんだ。それに音楽の才能にあふれている。ジャック・ラネリはジョージアでも指折りのドラマ―だ、アトランタ出身で、彼にはオールマン・ブラザーズのような事が起きていたんだ。僕はアルバムが完成するまで気づかなかったんだけど、ミキシングしながら聞き始めて、「おいおい、こいつノリノリじゃないか」と思ったよ。