Goldmine (May 1982)
Tork Talk Confessions Of A Former Monkees トークが語る、元モンキーズの告白
by Jeff Tamarkin
"Hey hey we're theMonkees/The people say we monkey around/But we're to busy singin' to put anybody down/"
from "Theme From The Monkees" by Boyce-Hart, published by Screen Gems-Columbia Music, Inc. BMI (1966)
この歌詞は、最初のブリティ・インベイジョンが襲来してからの数年間におけるポップス音楽界を漠然と覚えている人ならば誰しも聞き覚えがあるだろう。1966年、モンキーズはTV番組と何枚もの大ヒット・レコードによって、アメリカで一番知られたビートルズへの対抗策となった。今ではよく知られた話だが、テレビの大物たちがビートルズのデビュー映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」に見られるような彼らのハチャメチャなしぐさを元にしたロック・グループを作って、TVシリーズに出演させるというアイデアを思いついたのだ。4人のふさわしい候補者が選ばれ、番組は社会現象となり、レコードは何百万枚も売れたが、最終的には、あらゆる他のものと同じように、全てが終わり消えていった。
全てが終わると、モンキーズへの跳ね返りが始まった。モンキーズのファンを公言するのはクールではなくなった ― 彼らは子供向けの流行りだった、今は精神の拡張がカッコいいんだ ― そしてグループと番組の終焉後の数年間、モンキーズだった事は更にクールから遠ざかっていた。
一見すると、ニュー・モンクスという新しいバンドを結成し、モンキーズのヒット曲や自身の最近の曲を演奏する事で、トークが過去の関係を露骨に利用しているように見えるかもしれない。そう見えるのは、他に理由がないとしても、トークはモンキーズの曲をあまり歌っていなかったし、曲もあまり書いてない、考えてみれば、少なくともグループが全盛だった初期の頃はレコーディングにもあまり参加していない。だが、こういう見方もできる。より正確に言えば、元モンキーズだという事を生業とするに相応しい人物がいるとすれば、それはトークである。
何がいけない?モンキーズの運営を任されていた操り手たちから感情的に欺かれてきたトークは、モンキーズへの新しく復活したカルト的な関心から恩恵を受ける次なるモンキーとして相応しい(最近でもモンキーズは日本で大きなブームとなり、レコードが売れ、TVで再放送されている)、それに、他の3人は今の所あまり興味がないようである。ならばトークの好きにさせればいい。どうしてかって?彼はみんなをハッピーにしているからだ。
モンキーズのテーマの歌詞を思い返すと皮肉なものだ。「僕たちは歌うのに忙しい」、確かに。トークはこの曲を歌ったり演奏した事をあまり覚えていない。だが、今の彼は歌い演奏している、そして彼の言うところでは、彼は人生を楽しんでいるし、ずっと望んでいたのに取りかかれなかった事をやっと実現した。彼は今、ロックン・ロール・バンドを率いているのだ。やったね。
ここからのインタビューはニューヨーク州グレン・コーブのノースステージ・シアターでのトークとニュー・モンクスのコンサートの前に行われた。会話の口火を切ったのはトークだった。
ピーター・トーク: それで、モンキーズはどうやって集まったんですか?他のメンバーとはあまり会わないんですか?他の人は何をしてるんですか?作り物のポップ・スターになった気持ちは?読み書きはできますか?
ジェフ・タマルキン: じゃあ、その質問に全部答えてください。
PT: おっと、そうだね、多分いくつかはね。
JT: 最初に戻って、、、。
PT: モンキーズがどうやって集まったかって所から聞くつもりかい?
JT: いえ、その前のあなたの経歴を聞くつもりだったんです。
PT: そうか、僕はフォーク・シンガーだった。その前は学校に通っていた、更にその前は家族の下にいた。僕はニューヨークにいて、グリニッジ・ビレッジのステージでフォーク・ソングを歌っていたんだ。
JT: どうやってカリフォルニアにたどり着いたんですか?
JT: 演技の仕事を探しに行ったんですか、それとも歌う仕事?あるいは両方ですか?
PT: いや、世の中は皿洗いやビールを注ぐ人たちの場所を作るべきだと思っていたんだ。じゃなくて、僕はいつもエンターテイナーになりたいと思っていた、と思う。そう思っていたと思う。演技もその範疇から外してなかった。自分が売れるなんて思いもしなかったけどね、青天の霹靂だったよ。
PT: いや、すぐロックに転向していただろうね。ビートルズがやって来ていたんだ、あれはワクワクした。ともかく、アコースティック・ギターは当分しまっておいたんじゃないかな。よく考えるんだ。モンキーズに入ってなかったら、僕はどうなっていたんだろうって。でも、結局のところ、同じだったと思う。今よりはもっと安定していただろうけど、全部ひっくるめたら変わらないんじゃないかと思う。
JT: 結果として「ザ・モンキーズ」という番組になりましたが、最初はラヴィン・スプーンフルが出演者の候補だったというのは本当ですか?
PT: それは僕も聞いた事があるけど、僕も君と同じように聞いたんだ。スプーンフルのメンバー全員が候補になっていて、番組名が「ザ・ラヴィン・スプーンフル」になっていたかもしれないって。君は僕の代わりにザル・ヤノフスキ―と話をしていたかもしれないね。
JT: 他の有名な伝説についてはどうですか?スティーブン・スティルスが役のオーディションに行って落ちたけど、あなたを推薦した、というのは?
PT: スティーブはオーディションを受けたけど落ちたんだ、毛深い歯のせいで。じゃなくて、髪と歯のせいで。スティーブンはグリニッジ・ビレッジ界隈で僕と似たヤツだった。それで彼の事を認識したんだ。僕が彼の方へ歩いてって、「僕に似てるってのは君だよね」と言ったら、彼も「似てるらしいってのは君だね」と言った。それで、彼に似ていて髪と歯がマシなヤツが必要だって時に、スティーブンはすぐに友達のピーターを思い出して、肉付き骨を僕の方へ放って、残念賞としてバッファロー・スプリングフィールドとクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングをとったって訳。可哀そうに。でも2着にしては悪くないよね。
JT: 「モンキーズ」を管理していたスクリーン・ジェムズの人たちがメンバーに音楽の作曲や演奏をさせなかった事に初めから苛立ちを感じていましたか?
PT: うん。
JT: それで、どうしましたか?
JT: レコードの人気が番組を上回った事に驚きましたか?
PT: 上回ったのかは分からない。番組がなければレコードは売れなかった事を示す証拠はいくつかある。レコードが番組を上回ったんじゃなくて、番組と共に売れたんだ。
PT: 当然、ないよ!最初の2枚のアルバムでは、クッソたれな位にない!なんてことだ!何もない!
JT: じゃあ、ミュージシャンがスタジオでバック・トラックを録音して、それからあなたたちのパートを入れる為に呼ばれたんですか?
PT: 僕が幸運にも加われてたらね。そっちはミッキーとデイビーばかりだった。マイクは曲を書いて、自分でプロデュースすると言って聞かなかったからチャンスを掴んだ。僕は仲間はずれだった。
JT: もっと自分たちでやりたいと主張したのはいつでしたか?我慢の限界を超えたのは何だったんでしょうか?
PT: あれはクリーブランドだった。僕たちは通りの向かいに行って、初めて見るレコードを買った。見た事も聞いた事もないレコードだった。ジャケット裏のライナーには、ドン・カーシュナーが彼の自慢のメンバーたちの功績を称える言葉が載っていた。そう、それはモンキーズのレコードだった。これには耐えられなかったし、頭にきたよ。それで僕たちは突入して、権利を主張したんだ。
JT: ドン・カーシュナーや番組のプロデューサーのバート・シュナイダー、ボブ・レイフェルソンのような人たちとは仕事上どんな関係性だったんですか?
PT: カーシュナーとはあまり仕事をしなかったけど、彼との作業はギクシャクして、耐えがたくて、理解不能だった。シュナイダーは大好きだよ、彼は僕のヒーローさ。レイフェルソンについては、言わぬは言うにまさる、だね。
JT: 振り返ってみて、皿洗いからそんな短期間でTVやレコードだけでなくランチボックスや人形に顔がのるような人気者になった気分はどうでしたか?
PT: 話半分に受け止めていた。自分の事だとは思わなかった。例えば、ひとつ良い点をあげるなら、僕抜きで作られたレコードが売れたとしても、それは僕の成功だと思う必要がなかったって事。ずっと曖昧にしていた。僕は個人の能力で成功した人々とその人への熱狂的な人気、そしてその結末を見てきた。ジャニスやジミ、エルビス、イエス・キリストのような、可哀想な人々の事だよ。僕はそれを免れたんだ。
JT: そんな狂乱の中でどうやって正気を保っていたんですか?
PT: 僕は気づかなかったか、気にしなかったか、認めなかったのか。ほとんどの場合、それは簡単だったよ。振り返ってみて初めて、どれだけ痛い目にあったのか分かるんだ。
JT: それは金銭的にという事ですか?
PT: 大部分は金銭的に。自分自身で招いた事だった。愚か者と金のことわざがあるだろ?(訳註:愚か者はすぐに金を失う)
PT: そうだね、、、しっかりと作られていた。それらについて言える最も重要な事はその反響の結果として何が起きたかという事だ。音楽として素晴らしいとは思わないけど、何も悪いところはないし、むしろかなりよく出来てる。曲はいいし、僕は今でも好きだよ。
JT: あなた自身が好きなモンキーズの曲はなんですか?
PT: 初期の曲では "Gonna Buy Me A Dog" が好きだ。ミッキーとデイビーがスタジオでふざけているんだ。僕はボイス&ハート(ソングライターのトミー・ボイスとボビー・ハート)のポップス職人としての技量には敬意を抱いているんだ。3枚目のアルバムからは "Shades Of Gray" が気に入ってる。驚くほどの説得力があると思う。"Randy Scouse Git" も大好きなんだ。あのアルバム("Headquarters")はシングル・カットも多かった、いい音楽だと思う。"Daydream Believer" も好きだよ、この曲でピアノのイントロを弾いたのは僕だから。自分の足跡を残せたように感じるんだ、アン・マレーのバージョンでも僕のイントロが使われてるからさ。後期のアルバムでは僕は主にピアノ、もしくはベースを弾いていた。マイクは大体ギターを弾いた。 "Pleasant Valley Sunday" のギターはマイクだよ。
JT: "Valleri" でクラシック・ギターのソロを弾いたのは誰ですか?
PT:ああ!それはルイ・シェルトンだよ(訳注:「レッキング・クルー」のメンバーだった)。当時、売れっ子のスタジオ・プレイヤーだったんだ。
JT: 映画「ヘッド」の音楽をどう思いましたか?
PT: まあ、僕自身も2曲作曲してプロデュースしてるからね。いいと思う。僕は "Can You Dig It?" と "Do I Have To Do This All Over Again?" をやったんだ。
JT: "Porpoise Song" を書いたのは誰ですか?個人的に好きな曲なんです。
PT: キャロル・キングとジェリー・ゴフィンだよ。"As We Go Along" はキャロル・キングとトニー・スターンが書いて、マイクは "Circle Sky" を書いた。僕たちはこの曲を映画の中でステージに上がって演奏したんだけど、マイクはライブ・バージョンの代わりに自分のスタジオ・バージョンをレコードに入れたんだ。彼ってそういうヤツなんだよね。彼に任せておけば間違いないのさ。
PT: 宣伝がまずかったんだ。活動から元気がなくなっていて、抽象的すぎた、消えてなくなりそうな位に抽象的な宣伝だったと思う。その当時、バートとボブにはある種の怒りがあったんだ。僕たちは皆、モンキーズに対する批判を当たり前のように受け入れた節があるけど、コメディーと音楽と人前でのショーの融合体としてはエンターテインメント史上初の出来事だった事については誰も何も言わなかった。ブルース・ブラザーズがずっとツアーをしていたようなものだったんだよ。
JT: TVショーはとてもユルい感じに見えますが、どの程度自由に演じていたんですか?
PT: 実際に君が画面上で見たものは、ほとんどは自由な演技じゃないんだ。
JT: あれが元々書かれていたとは信じられません。
PT: まあ、細かいニュアンスまで書かれてた訳じゃないよ。リハーサルの間は僕たちが自由に動いて、上手くいったらそのまま採用された。だけどカメラのアングルや照明がセッティングされたら、もう変えられない。もし6インチでも変えてしまったら、画面から外れたり、照明が当たらなくなっちゃうからね。照明には特に気を付けないと、フィルムは貴重だし、"All In The Family" (訳注:1970年代に米国で放送されたシチュエーションコメディ)とは違うからね。あの番組はTV用の照明で、セットのどこを歩いても同じように証明が当たるんだ。フラット・ライトって言うんだよ。
JT: 一度に一つずつ、それで熱中してきたら、3日でやった。もちろん、1日11時間半だよ。パイロット版をやった時は10日間の撮影で使えたのは20分だった。
JT: 初めて撮影を体験したのはその時ですか?
PT: そうだよ。それで、僕が初めてレコーディングを体験したのは、いくつかのバック・コーラスを除けば、"The Girl I Knew Somewhere" でハープシコードのソロ演奏をした時だった。"A Little Bit Me, A Little Bit You" がこの国で発売された時の裏面だった。オーストラリアのコンピレーション・アルバム "Monkeemania" に収録されるまでアルバムには入ってなかったんだ。これはすごくいいコンピレーションだよ。
JT: ジミ・ヘンドリックスがモンキーズのツアーで前座をしていたという伝説について教えてください。どうしてそういう事になったんですか?驚くべき事です。
PT: 何に驚いたんだい?彼がツアーに参加した事?それとも追い出された事?
JT: ああ、そもそも彼が参加した事です。彼が追い出された理由は知っています。
PT: なるほど。まず、ミッキーと僕がモントレー・ポップ・フェスティバルに行っていて、僕たち大興奮してしまったんだ。彼の事は全然知らなかった。ジミ・ヘンドリックスって誰?彼は何をやってるんだ?ってね。僕はそこでジャニスを初めて見たし、ザ・フーも見た。オーティス・レディングが「これが愛の群衆だろう?」って。すごい体験だったよ。オーズリーの紫のクスリ(訳注:パープル・ヘイズ、オーズリー・スタンリーが製造したLSD)を半分やりながら、ラヴィ・シャンカールも見た。素晴らしくって、ずっとうれし泣きしてたよ。
JT: ヘンドリックスが一日でもあのツアーで持つと思ったんですか?
PT: どうなるかなんて考えてなかった。(筆者注:数回のライブ後、モンキーズ・ファンの親たちから、斬新な(当時ほとんど無名だった)ヘンドリックスのセクシーなしぐさと暴力的な音楽に苦情が寄せられ、最終的に残りのツアーは前座から外されてしまった。)僕たちは彼の演奏を見るために早めに行ったんだ、そして有難いことに、すごいミュージシャンだったよ!コンサートの合間は飛行機の中で彼と楽しく過ごしたんだ。彼にギターのビブラートのかけ方を習った。僕たちがジミとエクスペリエンスと一緒に飛行機の後部にいたら、飛行機のクルーが来て飛行機の後部から移ってくれって言われちゃってさ。僕たちのせいで後ろが重くなっちゃってたんだ。僕たちはカーテンを閉めて後ろで吹かしたり、トッツィー(訳注:恐らくヘロイン)をやったりしていた。僕たちはよく一緒にマリファナをやっていて、後ろに集まっていたんだ。前の方には報道関係者たちがいたからね。彼らを放置して、飛行機の前の方に置き去りにしていた。パイロットがまた連絡してきて、重量バランスを戻せないから前の方に戻ってくれないかって。
JT: 報道の人たちはモンキーズがハイになってる事とか気づいていたんですか?イメージに反してますけど。
PT: 誰も何も言わなかったよ。批判的な人に一度か二度叱られた位。僕が先頭になってやり始めたんだよね。あの気の毒な少年たちの心にダメージを与えてしまった。僕は本で読んだような堕落への誘惑者で、両親が僕に警告したような人間なのさ。
JT: 海外ツアーはどんな感じでしたか?モンキーズはどこで演奏したんでしょうか?
PT: 日本と、ここは今でもすごい人気なんだ、それとオーストラリアとイングランド。
JT: そのツアーで何かクレイジーな思い出は?
PT: 明らかにクレイジーな事はなかった。壁這いって言う遊びをよくやっていたんだ。壁から壁に飛び移ったり、廊下を這うように行き来するのさ。僕たちは廊下の中にいるみたいな気分だったんだ。家からリムジンに乗って、リムジンから飛行機へ、飛行機からホテルへ、ホテルからステージへ、爆発、熱狂、ステージの下のトンネルに戻って、リムジンに、飛行機、ホテル、、、。廊下とステージばかりだろ?
PT: いや、屁とも思わなかった。君はどうだい?いや、このブーム自体に命があって、それはある程度まで行ける事は明らかだった。僕は思うんだ、全員が深く関与していれば後から新しく活性化するチャンスはあったと。それには一度落ちないといけない。偉大なる先人たち、シナトラやエルヴィスも多少の落ち込みがあった。その気になれば、僕たちも別のやり方でカムバックできたと思う。だけど、そのためのエネルギーが足りなかった。誰一人、僕と僕の望みを受け入れようとはしなかったんだ。
JT: あなたが最初にグループを離れる事になったのはそれが理由だったんですか?
PT: 僕はグループにいたかった。僕の人生の目標は一つの音楽の活動に参加している事だった。それ以降は、その点については上手くいってると思う。僕が辞めた後は、僕抜きで彼らはトリオとして続けた。それからマイクが辞めて、デュオとして続けた。こういう噂もあったよ、ミッキーが辞めたらデイビーがひとりモンキーとして続けるって。幸いにも、それは実現しなかったけどね。それからミッキーとデイビーはトミー・ボイスとボビー・ハートと一緒になって、ディズニーランドのショーでちょっとの間復活して。僕も一回参加したんだよ、髭ヅラで肩より長い髪で、小綺麗な4人の中で場違いに見えただろうな(もっとも4人の内2人は白髪頭だったけどね)。
PT: 空想のシーンをやった時があって、僕を取り囲んで撮影しなくちゃいけなかったんだ。僕たちはハワイアンな恰好をして、スカートを履くことになっていたけど、それはやり過ぎだって言ったんだ。それで僕は丸一日それを無視した。マイクは3エピソード分無視してたよ。
PT: そうだね、僕たちがTVに与えた影響はかなり控えめだったんじゃないかな。今、誰もやってないし、あれから誰もやってないからね。モンキーズの影響が一番大きいのはパートリッジ・ファミリーだったけど、もう一つアーチーズがある。現実すぎるモンキーズに懲りて、ドン・カーシュナーが絶対にトラブルにならないって確信できるものにしようと作ったグループさ。
PT: 僕個人のマスターテープが丸ごとなくなってるのは知ってる。どこにあるかも分からない。他にどれだけのものがあるかは分からないけど、そんなに多くはないよ。未発表の曲とかはないはずだ。個人的にもう一度見てみたいのは、最初に聞いてから聞いてないんだけど、モンキーズの「メリー・クリスマス」で僕たちが歌った "Riu Chiu" 。中世風のやつで、チップ・ダグラスが僕たちに教えてくれたんだ。アカペラで、カメラを回しながらクリスマスの回のためにその場で歌った。今、販売されてる物(再放送も含めて)には入ってないんだ。だから二度と見られないかもしれない。それ以外は聞きたいものは思いつかないな。(オーストラリアの)モンキーズのコンピレーションには「ヘッド」のサウンドトラックから "Circle Sky" のライブ・バージョンが入ってるよ。(筆者注:オーストラリアのコンピレーションには他にも多くの未発表曲やTVやレコードとは別バージョン、別ミックスなど色々と収録されている。)