Monkees Monthly #23 (Dec. 1968)

The Monkees Story Part 15

 

先月号ではピーターが初めてモンキーズのオーディションに行った話を途中までお伝えしました。

 

後日、モンキーズのそれぞれのメンバーがこのシリーズに選ばれた実際の理由を詳しくお伝えする予定ですが、今は、もう少しピーターから幸運な1人に選ばれたと知った時の心に浮かんだ思いを聞いてみましょう

 
「ようやく進むべき方向が与えられた。僕にとっては重要な事だったんだ。これまでの人生であれこれと日常的な事を経験してきたけど、自分が最も満足できるものはどれなのか分からなかった。学校では多分、他の事に支障が出る位音楽に熱中してた。詩はたくさん書いたよ、一番面白い課題だった。でも実際にそれで生活していくのは難しいって事も分かってた。自分自身をあれこれ考えすぎて、深刻になりすぎていたのかもね。世の中が悪くなっていると感じていて、話し合う事でどうにか正しくすることができるんじゃないかっていう想いがあったんだ」。

 

「もちろん僕はみんなを笑わせる事ができた、特にクラブやレストランで演奏してる時にね。でも、それは彼らに信頼されたと思ってからの事で。モンキーズでは最初から笑いをとる為だって事が明らかだったから、突然これは僕に向いてるんじゃないかって思ったんだ。深刻になりすぎてた事は忘れて、、、。間違った事を正す方法を考えたりする時間は後からでもたくさんある、って事」。

 
「モンキーズのオーディションは僕の人生で丁度いいタイミングで来たのかもしれない。あと数ヶ月後だったら手遅れだったかも。僕は別の方向に逸れてしまって、二度と戻ってこなかったかもしれない」。
 

重要な局面

モンキーズ・ストーリーは重要な局面にやってきました。コロンビア・ピクチャーズと契約していたデイビーは国際的な賞賛を浴びることになるグループの存在を承知していました。ピーター、マイク、ミッキーは大勢のモンキーズ候補の中から選別される状態にありました。

 
ミッキー・ドレンツは、モンキーズの番組を見た事がある人なら分かると思いますが、天性の道化者です。けれど、彼は「僕は時々やり過ぎちゃうんだ。冗談をどんどん発展させていって、結局は訳が分からなくなっちゃうんだよね。モンキーズの撮影中は、僕の性格のそういう欠点に気を付けてるんだ。」とも告白しています。

 

例えそうだとしても、モンキーズのスポンサーがこの4人の若者はエンターテインメント業界で大きな存在になると確信できたのは、即興的な状況にも負けず、お腹を抱える程の爆笑を巻き起こした彼の手腕によるものでした。

 
ここで物語をミッキーへと戻しましょう、、、けれどもデイビーのファンには、他のメンバーとの初顔合わせや純度100%の英国人の若者を加える為の計画など、語られるべき多くの事がありますね、、、。
 
ミッキー「新しいTVシリーズを始める時って、スタジオに行くとか撮影するだけの問題じゃないんだ。撮影の裏での話し合いがものすごく沢山ある。考えるべきポリシーがあるんだ。僕たちが偉い人たちと一緒に撮影の裏で初めて顔を合わせた時、、、僕たちはすごく緊張してた。僕たち4人がモンキーズになると決まった途端、その人たちは凄い速さでエネルギッシュに話し出して、僕たちが感じたのは多分、、、僕たちは数百万ポンド規模の取引の真っ只中に放り込まれた世間知らずなんだって事。そんなだから、僕たちが自分たちの事をほとんど言えなかったって、分かってもらえるかな」。
 
偉い人たち

これは、1966年の前半にさかのぼります。深く関わってくる「偉い」人たちというのは、コロンビア・ピクチャーズの社長の息子で34才だったバート・シュナイダー(モンキーズを「作っている」スクリーン・ジェムズという会社はこの映画会社のTV部門です)と、33才のボブ・レイフェルソンも関わっていました。同じ位重要なのが、彼らのレコーディング製作を担当する事になっていたドン・カーシュナーの存在です。

 
この全ては、コロンビア・ピクチャーズの従業員から「ノーマンズ・ランド」と呼ばれる場所で生まれました。そこは主要な区画の一部ですが、最も魅力的な部門からはかけ離れていました。かなり古臭い緑色の建物で、階段は崩れて壁もしみだらけでした。2階の待合室は雑誌やポスターであふれ返っていました。メンバーたちが最初のオーディションを受けに来た時はここを通って行ったのです。
 
それは変わったポスターばかりでした。一つは「戦争は子供たちと他の生き物にとって健全ではない」と書いてあり、もう一つはジョンソン大統領の写真にこう添えられていました、「ケンカに口を出す者は通りすがりの犬の耳を引っ張るようなものだ」。参照しているのはもちろん、あの物議を醸した、大統領が自分の犬の耳をつまんで引っ張り上げている写真です、、、。
 
しかし、初期段階の企画はこの事務所の続き部屋で行われたのです。それでは、順番にモンキーズ全員から最初の数ヶ月の思い出を語ってもらいましょう。まずはミッキーから、「自分たちの限界は分かっていたけど、会議で公然と聞かされるのはかなりキツかったね。僕はいつも映画のモノマネをしてるって思われてたみたいで。タフな男が言いそうな台詞を書きたい時は僕が呼ばれるのさ。僕はどの位歌えるのかって聞かれたから、自分の限界を正直に答えたんだけど、結局、初期のレコーディングには僕の声が一番向いてるって判断されたんだ」。
 
「だけど、ピーターとマイクもたくさん歌ってきた、デイビーだってそうだけど、もっとミュージカル・コメディー的な感じだった。僕たちは、初期の頃はもちろん、モンキーズのTVシリーズがこんなにヒットするとか、レコードがチャート入りするとか思いもしなかった」。
 

「知ってるかもしれないけど、アメリカではTVシリーズを売り込むのは大事な事なんだ。誰かがそのシリーズを気に入って買ってくれる、スポンサーになってくれる。だから良いものでなくちゃならない。ただ、僕たちは一旦選ばれたら、あらゆるトレーニングを受けなくちゃいけないって事が分かった。そこで、コーチがやってきて即興と言われる演技や僕たちに必要な色々な事を教えてくれたんだ」。

 
「学校に戻ったみたいだった、、、僕にとってはちょっと変わった思い出なんだけど。僕は子供の頃ショービジネスの裏で沢山の事を学んできたんだ。また繰り返しさ。僕たちが知らない事を学んでいる最中にその回りでは一流のショービジネスが繰り広げられていたんだ」。
 
けれど、最悪だったのはこの全ての計画を極秘に行わなければならなかった事かもしれません。おかしなポップ・グループを主人公にした、世間をあっと言わせる新しいシリーズを立ち上げたばかりのところで誰かにそのアイデアを盗まれたりしたらどうにもなりません。なので準備期間はセキュリティのマントのようなものの下で進められました。メンバーはとても忙しく働きました。このプロジェクトには莫大なお金が懸かっていて、全てが正確である事が重要だったのです。
 

面白い話

ここでミッキーの妹、ココから面白い話を聞きました。ココ「ミッキーと私はうちで両親のためにコンサートを開いてよく一緒に歌を唄っていました。二人で組んでその時流行っていた歌をやったり、ゴギ・グラント(訳注:1950年代の米国の歌手)の "Wayward Wind" とかをやっていました。家じゅうの明かりを消して、私がロウソクを持って歩いて来るんです、するとソファの陰に隠れていたミッキーが板で風を起こしてロウソクをチカチカさせて、最後に消してしまうんです」。

 
「ミッキーは曲を書くでしょう?すごく良い曲があるんです。ミッキーが全体の構想を出して、私たちの声に合わせて変えていく事もあります。ミッキーは最初ミュージカル風のアレンジは苦手だったんですけど、すごく勉強してました。今でもミッキーが家に来た時は一緒に歌うんですよ」。
 
「二人でレコード・デビューできそうな事も何度かありました。『君たちをスターにしてあげる』なんて言う人もいましたが、何も起きませんでした。またある時は私たちがやりたいと思っていた曲の版権を持っている人がいたのですが、私たちが無名だからという理由で実現しませんでした」。
 

モンキーズにならなくても、ドレンツという歌手が誕生していたかもしれませんね!けれど、モンキーズが始まってからもミッキーは妹が歌手の道を選ぶより大学へ進学して欲しいと思っていました。それで彼は彼女が進学したら車を贈ると約束しました。ココ「私は大学へ行くのは辞めようと思っていました、でも心の奥底では行きたかったんでしょうね。だから、そうしました。ミッキーの約束とは関係なかったんです」。

 
そして、その年のクリスマス、モンキーズの名前が急速に広まっていった頃、ココはミッキーに車は買ってあげられないと言われたそうです。けれど、彼はレンタカーで会いに来て、日本の折り紙セットをプレゼントしました。ココはとても喜んだそうです。すると突然ミッキーがこう切り出しました。「ところでさ、ココ。本当は僕、レンタカーで来たんじゃないんだ。これが男なのさ、、、これは君のものだ」。そしてポケットに手を突っ込んで、車の鍵を取り出しました。
 
そんなこんなで、モンキーズのリハーサルはスクリーン・ジェムズで続き、パイロット版が製作されました。大手TV局のNBCは自社のアーチストを一同に集めた懇親会を1966年6月にチェイスン・レストラン(訳注:ウエスト・ハリウッドにあった有名人御用達の店)で開催する事を決定しました。モンキーズの1作目がスクリーンにお目見えする前の事です。ゲストの多くは放送内容の決定権を持つ系列局の関係者たちで、そこに秋からの新シリーズの出演者が加わっていました。
 
困った事に、その関係者たちのほとんどは長髪を見せびらかすビートニク(訳注:1950年代のビート・ジェネレーション-当時の米国社会の抑圧に言葉で対抗する文学運動、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ等が有名-に影響を受けた世代)という種類に当てはまるアーチストに対して強い不信感を持つ冷静な人たちでした。脚本家陣はモンキーズの各々の個性を紹介する為に短い寸劇を用意していましたが、その夜はとても遅くなり、最後の方でメンバーたちは脚本通りにやるのはやめようと言い出してしまいました。

 

この続きとその反響については、来月号で。