HeraldMailMedia.com (Oct. 23, 2016)

Just monkeying around with a Monkee

By Crystal Schelle

 

ペンシルバニア州シッペンスバーグ

50年前、「ヘイ、ヘイ、僕らはモンキーズ」はポップ・カルチャーの一部になった。

 

象徴的なTVコメディーの記念を祝う方法として、2人のオリジナル・メンバー、ピーター・トークとミッキー・ドレンツはこの1年、全国を横断してちょっとした音楽と映像とおしゃべりをファンと共有して過ごしてきた。

 

10月29日土曜、トークとドレンツは、モンキーズの "Good Times!" 50周年記念ツアーの一環でシッペンスバーグ大学のH.リック・ルアーズ・パフォーミング・アーツ・センターにやって来る。ショーの開演は午後8時。

 

ボブ・レイフェルソンとバート・シュナイダーによって作られた「モンキーズ」は、ビートルズの1964年の映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」がきっかけだった。番組は1966年にNBCで放送開始となり、トーク、ドレンツ、デイビー・ジョーンズ、マイケル・ネスミスからなる4人組の架空のロックン・ロール・バンドのおかしな冒険が始まった。

 

トークによると、半世紀近くも前のことなのに、今でもモンキーズについて語られ、番組が放送されていることが信じられないそうだ。

 

「考えたこともなかった。50年後に何をしているかなんてさ。エンターテイナーとして生活できてればいいなとは思っていたけど。」とトークはコネチカットのマンスフィールドにある自宅からの電話インタビューに応じた。

 

4才になった頃から、トークはなんとなくエンターテイナーになりたいと思っていたそうだ。

 

「僕はいつも目立ちたがりというか、おしゃべりというかそんな感じだったんだ。」

 

エンターテインメントの世界に入りたいと思ってはいたが、どうやって自分の夢を実現するかはニューヨーク・シティに住んでいても分からなかったという。

 

「自分のバンジョーとギターを持ってグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・ハウスをうろついたり、演奏させてもらったりしていた。そして、ある瞬間があった。ニューヨークの通りを歩いてる途中で、急に気づいたんだ。僕は街を離れなくちゃいけないって。理由は聞かないで、僕にも分からないから。とにかくそうしなくちゃいけないと思った。それで、「車に乗せてもらったら色々やるから、僕はLAかサンフランシスコに住むところを見つけるよ。」とかなんとか留守電に入れた。返信はなかったけど、よしと思って。ツケを支払い、色々片付けて。そうしたらなんと、僕が入ったバーにLAに行くヤツがいたんだ。さらに「住むところがあるから、来ていいよ。」と電話があって、僕は出かけた。

 

ピーターは6月の終わりに南カリフォルニアに着いて、9月には「モンキーズ」のパイロット版を撮影していた。

 

400人以上が集団オーディションに集まったが、最終的に4人のキャストが選ばれた。ドレンツだけがいくつかのTV出演を経験していた、「サーカス・ボーイ」もそのひとつだ。ジョーンズは元ジョッキーで、ロンドンの舞台「オリバー」に出演していた。ネスミスはLAで活躍するミュージシャンだった。

 

彼らの時代のしるし

 

「モンキーズ」はたちまちNBCの人気番組になった。トークが言ったことは世界で起きていることを反映していた。

 

「あの頃、体制は僕たち(若者)にあまり関心がなかった。戦争を告発することに忙しすぎたんだ。ジョンソンは、『アイク(アイゼンハワー)には彼の戦いがあり、私には私の戦いがある』と言った。ベトナムは、僕たちには関わりのない戦争だった。僕たちは元気よく暮らして、モンキーズはそれを反映していた。僕たちは、その当時、大人や独身の大人が出てこない唯一のTVだった。父親もおじさんも賢い年配者もいない。これこそがまさに時代を反映している。」

 

モンキーズ史学者たちの中には、モンキーズのテーマ曲の歌詞「僕らは若い世代、僕らは言いたいことがある」はカウンタカルチャーの一部だ、とまで言う者もいる。

 

「モンキーズは戸惑う子供たち、自分たちの生活に何が起こっているのか知らない子供たちに、自分の人生に責任を持つこと、楽しくしていること、誰にも相手にされなくても慌てずにいることは正しいと言っていたんだ。」とトークは語る。

 

トークによると、1960年代の親世代はまだ第二次世界大戦から回復しているところだった。「彼らの望みは子供たちを黙らせて静かにさせておくことだった。でも子供たちの望みはお祝いすることだった。」

 

「過ちがまったくなかった訳でもない。過剰なドラッグは撃ち殺されて、過度なジャンクは射殺された。悪いセックスと悪い繋がりやらあれやこれや。でもまだ、そういうのは異端児だった。彼らは多少吸っていたし、お楽しみを続けていたし、ロマンスを楽しんでいた。僕たちは楽しい時間を過ごしていたけど、僕たちの力が及ぶ限り誰かを傷つけることはしなかった。ジョンソンとニクソンは人々を傷つけようとしていたが、僕たちは何の敵でもなかった。『自分の人生を続けること、別のおとなの言いなりにならない若者になって自分の人生を実行していいんだ』と伝えるTV番組があることは心強いことだ。すごいことだったと思う。」

 

おふざけ Monkeying around

 

モンキーズの人気が出たので、メンバーの顔が印刷されたランチボックスや人形といったグッズがすぐさま登場した。また、ロックン・ロール・バンドのTV番組ということで、ファンはレコードを求めた。

 

マネージメントの制限により、メンバーはバンドとして演奏することが許されなかった。彼らに許されていたのは、声を提供すること、しかも全員一緒でもなかった。あの有名なテーマソングはドレンツの声しか入っていないのだ。

 

グループ名を掲げた最初のアルバムは1966年10月に発表された。アルバムに収録された12曲とも、メンバーの1人だけがセッション・ミュージシャンが録音した演奏に合わせて歌っていた。ネスミスが共作・プロデュースした2曲だけトークがギターを演奏している。

 

ファースト・アルバムはドレンツが歌う "The Last Train to Clarksville" のヒットに拍車をかけた。アルバムには他にドレンツが歌う "Saturday's Child" とジョーンズが歌う "I Wanna Be Free" が収録された。

 

思い返すと、最初の2枚のアルバムでは本当の意味でバンドになることはできなかったとトークは言う。

 

「僕は全然納得できなかった、その頃にはビートルズのファンになっていたから。まさに金字塔だった、、、。でも、僕たちのレコードは僕たち抜きで出されていた。これは善きもの、聖なるものへの造反行為だったんだ。」

 

トークによると、グループは「集中砲火を浴びて、僕も巻き込まれた。」

 

「当時は分からなかったけど、今なら『そういう手法であり、僕たちは俳優なんだ。音楽的な着想を持っているけど、僕は俳優として参加したんだ。」と言える。」

 

彼らはミュージシャンとしてレコードを作るために戦い、そして勝利した。

 

「(1967年の)"Headquarters" の製作は僕の人生における最高潮のひとつだった。今になっても、スタジオに座ってじっくり歌と向かい合った、あの時間は僕の人生最高の時のひとつだ。」

 

トークにとって、スタジオの中で4人が協力し合い、音楽を作り上げている時に自分のアイデアを聞いてもらうのは素晴らしいことだったという。

 

「その後、同じ雰囲気にならなかったのは残念だったけどね」と付け加えた。

 

その代わり、彼らは混合体制に移行した。モンキーズの1967年のアルバム "Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd." に収録の "Pleasant Valley Sunday" ではネスミスがギターを、トークがピアノを演奏し、プロデューサーがベースを弾いた。

 

「でも、僕はスタジオで演奏して弾いたんだ。」

 

2枚目のアルバム "More of The Monkees" はビートルズやローリング・ストーンズを抜いて、1967年もっとも売れたアルバムとなった。番組は1968年に終了したが、グループは2枚のアルバム "The Birds, The Bees & The Monkees" と "Head" を発表した。グループは1969年から1970年にかけて3枚のアルバムを次々と発表したが、トークは違約金を支払って契約を解除したので、それらには参加していない。

 

モンキーズはビルボード・トップ100にトータルで20枚のシングルがランクインして、その内3枚 "Last Train to Clarksville"、"I'm A Believer"、"Daydream Belieber" が1位を獲得している。

 

トークは1986年のモンキーズ20周年記念の時にグループへ復帰して、1987年のアルバム "Pool It!" に参加した。

 

モンキーズとしての人生

 

モンキーズのブームは数年におよび続いた。SNSや24時間のニュース・サービスが始まる以前の日々、メンバーにとってはあまりに過酷なものだった。

 

初期の頃は苦悶だったと、トークは語る。彼は少しの間は「まともな生活」を送ることができたそうだ、一人の女性と出会い、一年ほど関係が続いたと言う。

 

「そう、それが人間というものだ。ロサンゼルスでは簡単だった。僕が通りを歩いていたら、集中砲火を浴びるところだったよ。もし、モンキーズが1967年とかに道を歩いてたら、例えば僕がドラッグストアに行こうとしたら、店内アナウンスで『ピーター・トークが来店中です』なんて流れるんだ。すぐに人が群がってきて、僕は歯磨き粉すら買えない。大変だし、うんざりする。でも、十分な余裕はあったし、最悪の事態ってわけでもなかった。人間らしい生活を送るために最善を尽くして、うぬぼれないようにして、とは言え、完璧にうまくこなせたとは言えないけどね。」

 

多くの共演者と同じように、ファンは往々にして、スクリーンの中の友情がスクリーンの外にも存在すると思いたがる。

 

「僕が言いたいのは、それぞれのメンバーについて異なる比率、異なる割合で愛してるし、大好きだってこと。」

 

ネスミスについては「才能にあふれていて、熱心で、色々なことを成し遂げてる。」

 

ドレンツについては一番身近に感じる、と言う。

 

「ミッキーは100%テレビで見たままのもじゃもじゃ頭のピエロだ。彼は絶対に手を抜かない。尊敬と感謝と友情だよ。最近、ミッキーと僕はものすごくウマが合うんだ。ステージが楽しくてね。お互いのネタで笑い合ってしまうし。ライブ中に、どっちかが初披露するネタで、吹き出さずに済んだことはない位だよ。お互い警戒してるんだ。」

 

4番目のメンバーについては、「僕はデイビー・ジョーンズにほとんど恋してた。」

 

「家族のような、兄弟とかバスケットボールの選手権チームのようなものさ。」

 

「楽しい時間」はまだ続く Still some ‘Good Times!’

 

モンキーズのマネージャー兼ツアー・プロデューサー兼アーキビスト(収集及び保存の専門家)のアンドリュー・サンドーヴァルが、50周年記念ツアーの企画を持ち込んだという。

 

「49周年記念ツアーもやったんだけど、誰も気付いてくれなかったんだ。」とトークはおどける。

 

実はジョーンズが亡くなる以前から、デイビー以外の3人で集まる相談をしていたそうだ。

 

「全員いいアイデアだと思ったんだ、マイケルは違ったけど。まあ、彼は僕たちとツアーしてなかったしね。」とは言うものの、ネスミスは彼らのライブ中に1度スカイプで登場し、共演している。

 

トークが肺炎にかかった後ライブを2回キャンセルした時は、ネスミスが代役でドレンツと共演した。

 

今年、2作のコンピレーションアルバムが発売された。バンドのヒット曲中心の3枚組CD "The Monkees 50" と必須音源の "Forever" である。また、モンキーズが新しい音楽をやるタイミングでもあった。彼らのスタジオ・アルバムは、グループ30周年記念の1996年に録音された "Justus" 以来となる。

 

モンキーズの12作目のスタジオ・アルバム "Good Times!" は5月に発売された。プロデュースはエミー賞やグラミー賞を受賞したシンガー・ソングライターのアダム・シュレシンジャー(ファウンテンズ・オブ・ウェイン)である。今作はモンキーズの血を受け継いだ現代のソングライターたちがモンキーズのために書き下ろした曲の作品集となっている。シュレシンジャーは1996年の映画「すべてをあなたに」の音楽を書いており、そのテーマ曲は1960年代の音楽を脈々と受け継いでいる。3人の残ったモンキーズはこのプロジェクトに彼らの声を提供した。

 

「製作の上で、この仕事を成り立たせることができるのはアダムしかいなかった。」とトークは言った。

 

提供された曲は、ウィーザーのリヴァース・クオモ作の "She Makes Me Laugh"、オアシスのノエル・ギャラガーとザ・ジャムのポール・ウェラー作の "Birth of An Accidental Hipster"、デス・キャブ・フォー・キューティのベン・ギバード作の "Me & Magdalena"。

 

「やりすぎでもなく、ただのモノマネでもなく、60年代をどうにか掴みとっている "Good Times!" は驚異的だよ。」

 

さらにトークは「"Me & Magdalena" はとても魅惑的だ。」と言う。

 

「マイケルは、今回の歌で今まで僕が聞いたことがない歌い方をしているんだ。」とボーカルに影響を受けやすいことを語った。

 

また、"She Makes Me Laugh" も風変わりで気に入っているそうだ。

 

「ポップスではあまり聞いたことがない描写だよね。普通だと、『愛してる、愛してる、ホントに、君は僕がどれだけ愛してるのか知らないだろう』とか、『目の前から消えてくれ、なんてひどい人なんだ』ってなるけど、ポップスにはその中間はあまりないんだ。」

 

"Good Times!" にはニール・ダイアモンド作の "Love to Love" やキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作の "Wasn't Born to Follow" のようなオリジナルのモンキーズの曲も収録されている。

 

このアルバムは80公演をまわるツアーの幕開けにふさわしいものとなった。

 

「ショービジネスで一番働くバンドだと思う。特に僕たちの年令を掛けるとね」