AXS.com (Jun. 13, 2016)

Christian Nesmith talks about his dad, Michael Nesmith of The Monkees

by Allen Foster

 

Monkee Jam 2016(2016年6月4,5日にニュージャージーで開催されたモンキーズのファン・イベント)は大盛況だった。発起人のジョディ・リッツェンは責任以上のことをやり遂げて、参加者全員にとって魔法のように素晴らしいイベントだったことを証明した。公式開催は土日だったが、金曜日の夜に限定のコンサートが行われ、サーシ・リンクとクリスチャン・ネスミスが登場した。演奏はカジュアルなもので、ファンの集まりのために、気さくで真心に満ちた体験を提供してくれた。

 

コンサート終盤、話題が変わり、発売されたばかりで評価も好調のモンキーズのアルバム "Good Times!" の話になった。クリスチャンが、ノエル・ギャラガー/ポール・ウェラー作の "Birth of an Accidental Hipster" という曲にバックコーラスをつけた経緯を話しはじめたのだ。結果としてこの話は、かの有名なマイケル・ネスミスを父親に持つとはどういう事であるかについての心温まる回想につながった。

 

「ネズが『一緒に曲作りを手伝ってくれないか?』と電話をかけてきたんだ。僕たちがかかわった過去2回のモンキーズのツアーで、僕はボーカルのアレンジを結構やってたから、評価してもらったのかな。」とクリスチャン。

 

「彼が僕の家に来て、ふたりで小さいスタジオに入った。彼は父親だし、僕は彼が歌うのを聞いて育ったんだ。ここ2、3年の間に彼と30公演はやったけど、スタジオのヘッドホンで聞くまで、本当にグッときたことはなかった。彼が歌って、僕は聞きながら録音したんだけど、「マイケル・ネスミスの声がヘッドホンから聞こえてくる!」となってしまって。その瞬間に起きている事がまったく違っていて、なんて言ったらいいのか分からない。50年間聞いてきた、あの象徴的な声がそこにあったんだ!」

 

誰かが叫んだ、「自分のお父さんが有名人だと理解したのは、何才くらいでしたか?」

 

「テレビに出ていたのは分かっていたけど、番組のことは気にしていなかった。何故かと言えば、当時の僕は2才か3才くらいだったけど、かなりマセてたから、結構わかっていたんだ。当時のことは詳細に覚えている。家も覚えてるし、車も覚えてるし、スタジオも覚えてる。でも、家では普通の父親だった。例えば、僕が行儀の悪いことをしたら、3才くらいの時に悪さをしてたら、どうなると思う?おしりを軽くはたかれるだろう。その一方で、TVを見ると間抜けみたいなことをしている。これは誰だ?そんなわけで、TVショーは僕には響かなかったんだ。でも、音楽はいつも楽しかった。幼い頃から、TVを理解していた、わかっていたんだ、彼はそこで役を演じていると。でも、13才か14才くらいになるまで、モンキーズのレコードがすごく売れていたってことはわかってなかったんだ!僕たちの音楽的素地において、モンキーズがどれほど象徴的な存在になっていたのか、僕は理解してなかった。」

 

他の観客からも質問がくる、「あなたのお父さんはあなたと一緒に父親らしいことをしたことがありますか?ボール遊びをしたり、おむつを替えたりとか?」

 

「もちろん。彼は父親だからね。ただ、覚えておいてほしいんだけど、僕が出かけたり、父の周りをぐるぐる回ったりし始めた頃は、人気の絶頂期だったんだ。だから、どこに行ってもすぐに見つかってしまって。それで僕はイギリスに行かなかった、「見て!モンキー・ベイビーよ!ビリビリ~!ほら、そこに腕が。」なんてね(笑)。

 

「お父さんが有名だというのは分かっていたんですか?」

 

「うん、分かっていた。でも、どのくらい有名なのかは分かっていなかった。でも、これは言いたいんだけど、僕たちがやった中でここ2、3年にやったツアーが、一番楽しくて、一番親しくできた。僕たちはあらゆる時間をツアー・バスの中で過ごして、同志のように並んでステージに立つことになって、父と息子というのがなくなったんだ。もちろん彼は僕の父親だけど、僕たちは親友になった。それがすごくいい。父と共に過ごした人生の中でもとりわけ大切な時間になった。」