Baltimore Sun (May 26, 2016)

The Monkees' Peter Tork reflects on 50 years, looks ahead with new album

by Matthew Hay Brown

 

モンキーズのアルバムは全部パソコンに取り込んで、プレイリストに入れてあります。イヤホンを差せば、シャッフルして何時間でも聴けます。そんなことができるバンドはそうそういません。モンキーズの音楽を作っている時に、どれほど素晴らしいか分かっていましたか?長く愛されるものになると思いましたか?

 

どちらの質問もノー、だ。いい曲だとは思ったけど、「なんてことだ!ものすごい曲だ、一体どこから見つけてきたんだ?」なんて思ったことはないよ。モンキーズの曲がオールディーズの主流とみなされるようになるって感覚はあまりなかった。こういう場合は大体ちょっとした幸運によるものなんだ。そして、TV番組の一部だという事実、それ自体が大きな意味を持っている、だからすべての世代にとってのテレビのサウンドトラックになったんだ。

 

注目すべきは、あの短期間でモンキーズがどれだけの音楽を作ったかということです。TVショーも作りながら、ツアーもしながら、どうやってこなしていたんですか?

 

ある段階までは、僕たちはとてもラッキーだった。最初の2枚のアルバム ["The Monkees" and "More of the Monkees"] は僕たちのひとりかふたりが歌うだけで、後はほとんどがスタジオ・ミュージシャンによって作られている。だから、次々に曲を作っては、次々にTVショーで使っていたんだ。

 

だけど、その時点で、僕はしゃくぜんとしてなかった、僕自身がレコード製作に携わっていたかったからね。でも、思い返してみると、TVショーの製作中で、僕たちは朝の7時30分から夜の7時までスタジオで休みなく仕事をしていたわけで、レコードを作る時間なんてなかったんだ。というか、どうやって作るのかも分かってなかった。マイケルは多少分かってたけど。でも、僕たちは誰一人としてまだうまくできなかった。

 

ちゃんと理解すれば分かるけど、僕たち4人 - ミッキー、マイケル、デイビーと僕 - はまさしく、ある意味において、長い間、お飾り以外の何者でもなかった。今では、モンキーズのショーを見に来る人は僕たちが歌うモンキーズの音楽を目当てに来る。だけど、正直なところ、モンキーズはプロジェクトであり、出来事であり、僕たちとは関係のないものだった。僕たちはかなり貢献したけど、主としては、TVショーの俳優だったんだ。

 

そうですが、私にとって、モンキーズの物語の魅力は、最後にはあなた方が受け継いだことにもあるんです。あなた方自身が本当の意味で実行して、一枚のアルバム全体を完成させました、そこから、どれほどの音楽的資質を持っているのかという問いに直面した4人が、ピンチを切り抜けて、素晴らしい作品を作り出すことになったんです。

 

ありがとう。実際、僕も同意したいよ。時々、ロックの殿堂について聞かれるんだけど、最近は殿堂に入るべきかどうか分からないと考えるようになっていて。つまり、もし僕に権利があれば、モンキーズに投票する。でも、僕が言えるのは、もし自分たち自身でポップ・グループになったTV番組のキャストのための殿堂があったとしたら、僕たちは唯一の候補だってこと。いい方へ考えることはいくらでもできるからね。

 

新しいアルバムはモンキーズのプレイリストにばっちりハマってます。今回のプロジェクトでやりたかった事はありましたか?

 

個人的にはなかった。このアルバムに入れて欲しい曲があったけど、認めてもらえなかった。すごくがっかりしたけど、それとは関係なく、いいアルバムだ。この曲もアルバムに入っていれば、素晴らしい曲になったと思うけど、これは僕の個人的な意見だし、僕のアルバムじゃないからね。このアルバムはライノのアルバムなんだ。もちろん、すごくいいアルバムだと思う、参加できて本当にうれしいんだ。アッと言わせることができるんじゃないかって、ワクワクしてるよ。

 

新しいアルバムの製作は20年振りになりますが、先程これはライノのアルバムだと言われました。ニュー・アルバム製作はどこから発想されたのでしょうか?

 

うん、これはアニバーサリー企画なんだ。ライノがモンキーズの50周年を見すえた頃、モンキーズに影響を受けたインディーズのミュージシャンたちがモンキーズに関わる仕事に興味を持っていると聞き込んできた。それから、アダム・シュレシンジャーにつなぎがとれて。映画「すべてをあなたに」の主題歌を書いたのがアダムで、この曲は60年代を完璧にとらえて、現代に取り込んでいる。アダムは2つの時代を軽々と乗りこなす、この仕事にぴったりの人物だった。

 

新作では、ボイス&ハート、ゴフィン/キング、ハリー・二ルソン、ニール・ダイアモンド、それからあなた方が書いた曲、さらに現代のミュージシャンたちが混在しています。私にとっては、それを聞いていて何がいいかというと、ブリル・ビルディングから現代への流れが本当によく分かることなんです。60年代に作ったオリジナルの音源で作業するのはどんな感じでしたか?それから、ジャムやXTC、オアシス、ウィーザー、ファウンテンズ・オブ・ウェイン、デス・キャブ・フォー・キューティは普段から聞いたりしてましたか?

 

とりわけ聞いてたわけじゃないけど、運転中にラジオを選曲してる時とか、彼らの曲がかかれば聞いていたよ。僕が見る限り、彼らのしていることは間違ってないと思う。60年代の最高の音楽のバリエーションみたいなものであり、みんなが歌いたいような歌をうたっているものであり。彼らはお金のために歌ってるわけじゃない。歌を書きたいのではなく、伝えたいことがあるから歌を使うんだ。僕が言ってること、分かるよね?

 

訳注: ブリル・ビルディングは音楽事務所やスタジオが入ったビルで、黄金期のアメリカン・ポップスの多くがここから生まれたと言われています。

 

昔の音源について、例えばキャロル・キングの曲に立ち返って歌うことは、いかがでしたか?

 

うん、面白かった。キャロル・キングの曲はボブ・ディランの作品集みたいなんだ。イメージが、キラキラしてて、詩的で、超現実的というか、強烈な体験だ。基本的にはキャロルの曲だけど、僕たちはバンジョーを追加して、僕が歌った。

 

それと、僕が書いた曲("Little Girl")はレコーディングしたのは最近だけど、実は何年も温めていた曲なんだ。元々はデイビー・ジョーンズが歌った "I Wanna Be Free" の続きとして書いた曲で。デイビーに歌ってもらうつもりでいたけど、実現しなかったんだ。それと、ハリー・二ルソンの歌、あれはハリーの作品で、すごく新鮮に感じた。

 

感じ方の限界を超えて、投げかけてくる曲なんだ。キャロル・キングの曲はもっと古い時代の感じがする。でも、デイビーが歌う "Love to Love" は、もしデイビーが参加していないと知らなければ、実際よりももっと最近の曲だと感じたかもしれない。その一方で、この曲は60年代っぽい部分もある。デイビーが歌う「愛があればこそ愛がある、君をどうやって愛せばいいのだろう、僕への愛がないとしたら、君って誰なの?」とか。

 

このアルバムは、60年代サウンド曲集と、2010年代の、この10年を何と呼ぶのかまだ分からないけど、60年代と2010年代に分かれているのではなく、つながっている連続体なんだ。

 

デイビー・ジョーンズがいない、3人でのアルバム製作は、どんな感じでしたか?「ここは彼のパートだったね」とか、「彼ならどうしたかな」とか話すような瞬間はありましたか?

 

デイビーのこと?いや、実のところ、色々な形で作業していたんだ。僕は出来る限りスタジオにいたけど、マイケルはプロデューサー以外はスタジオに入れずにひとりでやっていた。僕たちがそばにいたら思い切り歌うことができないと心配していたかどうかは分からないけど、あるいは僕たちが彼を困らせることを恐れたのか。いずれにしても、彼は自分のスタッフだけでやりたかったんだ。多分、子どもたちを連れてきてたと思うよ。

 

それで、ちょっと後悔しているんだ。僕もそこに立ち会っていたかった、始まりのところから。このアルバムで、マイケルの歌は並外れているんだ。彼の作品には大きな影響を与える何かがある。彼が作った曲( "I Know What I Know" )は今までの作品と同じ位いい曲だと思うし、"Me & Magdalena" では本当にいい仕事をしてる。すごく柔らかい曲なんだよ。

 

当初、ビートルズと比較されていましたが、彼らはあなた方に好意的な意見を持っていましたね。すぐにビートルズとの交流を持っていましたが(トークはジョージ・ハリスンの1968年の映画 "Wonderwall" のサウンドトラックで演奏している)、どんな感じでしたか?彼らのファンでしたか?

 
もちろん、僕は大ファンだよ。その意味では、すごく良かった。モンキーズが売れる前、僕が契約した頃に、ジョージに会ったことがあるんだ。ジョージが(ママス&パパスの)キャスの家に来ていて、僕はその頃キャスの妹と付き合っていたから、挨拶するチャンスがあったんだ。
 
彼らの人となりを知りうるだけの付き合いができたから、それは本当に楽しかった。リンゴとは色んな機会で会うことができたけど、彼はいつも本当に人間くさくて、すごく率直なんだ。
 
リンゴと付き合うのはスリリングなものじゃない。君もそれを望まないし、彼も望んでない。誰かが僕と会う時、僕もそれを望まない。そういうのは人間関係にとって、障害になっても助けにはならないから。リンゴは、そういったものを越えて、つながるんだ。彼は4人の中でいつも一番人間らしい、と思う。最低限の課題だ。
 

1967年のモンキーズのライブについて「ボルチモア・サン」紙に載ったレビューは観客やブームのことばかりで、バンドや音楽についてはあまり書かれていませんでした。そのツアーで何か覚えていますか?

 
僕たちにとって、モンキーズの1時間のコンサートは急進的な出来事だった。僕たちはロサンゼルスのドジャー・スタジアムでビートルズのコンサートを見たんだけど、彼らはいつもやっている通りにやっていた。6組の出演者がいて、その内5組は同じバック・バンドだった。そしてビートルズが登場するけど、20分しか演奏しないんだ。がっかりだよ。「おいおい、なんでコンサートに来て、20分しかビートルズを聞けないんだ?」って思った。ビートルズなら2時間半できるじゃないか!曲なら6時間分はあるのに!
 
その他は、突き詰めると、自分たち自身のカバー・バンドになるってことがちょっと面白かった。曲のために僕たちができる最善のことをしただけだ。だけど、それには別の側面もあった。群衆、雑音、移動。ステージに上がっている時を除けば、まるでトンネルの中で生活しているみたいだった。リムジンに乗って、ホテルに潜り込む。ホテルのホール。リムジンに戻る。飛行機の中へ。またリムジン。楽屋からバーン!ショーの始まり!バーン!リムジンに戻る。
 

今回のアルバムに入らなかった曲ですが、どこかで聞くことはできないでしょうか?

 
うん、聞けるよ。何種類か特別盤が出るんだ。少なくとも、その内の一つに入ると思う。

 

"Better World" という曲で、僕の弟ニックが書いたんだ。この歌でもっとも伝えたいことは、充分すぎるということだ。世界中の飢えた人々を満たすだけの食糧があるのに、政治的な違いによって格差が生まれている。党派の名前をつけるとかそういうことではなく、政治的なことだ。世界の格差の真の原因の97%が政治の短絡的な視点によるものだ。このメッセージが届いたら、伝わってくれたら、あちらこちらで少しずつ物事が変わっていくと、僕は絶対的に確信している。
 
あなた方は最初に集められた方法やレコードでは誰が演奏しているのかなど、かなり手厳しい批判を受けていました。今では愛されていますが。TVショーは革新的だったと見られています。音楽も沢山の素晴らしいアーチストに影響を与えました、ガレージ・ロックからパワー・ポップ、インディー・ロック、"Good Times!"に曲を提供したアーチストに至るまでずっとです。モンキーズへの評価が変化したことについて何か考えたことは?変わってきたと感じた時はありましたか?
 
うん、1997年にモンキーズがUKツアーをした時の話なんだけど。僕たちは演奏していてすごくいい時間を過ごせた。僕自身かなり楽しかった、どうしても言いたいんだ、でも英国の批評家は僕たちに刃を向けた。彼らの批評は、6,000人の泣き叫ぶ阿呆は何も分かっていない、このバンドは余りにもひどくて、悪夢以外の何者でもない、なんて感じだった。
 
それで、次に僕たちがやったツアーは2001年だったと思うけど、批評家が僕たちに対してとても穏やかだったんだ。60年代に僕たちに刃を向けてた批評家は1997年はまだのさばってたけど、2001年までに死に絶えたんだね。
 
そして、あなた方は生き延びた!
 
うん、それだけのことだよ。批評家から生き延びるだけで、いいんだ。長生きするのさ。例えば、どうやって50周年記念を迎える事ができたか?僕は死んでないから、そしてまだ歌っていたいから。
 
 

https://www.baltimoresun.com/food-drink/bal-monkees-good-times-peter-tork-20160524-story.html