こんにちは。

無事、社会に戻った僕の最初の課題は

仕事を見つけることでした。

運よく、中学のころからの友人が

仕事を紹介してくれて

出院から1週間で仕事に就くことができました。

建設業の仕事でした。

親方と従業員含めて4~5人の

小さな会社でしたが、

ここでは本当にたくさんのことを

学ぶことができました。

最初の1年間くらいは毎日のように

怒鳴られていました。

短気な僕は、親方に逆ギレしたりして

さらに怒られたり・・・

でも、そのおかげで仕事もはやく覚えることもできましたし

忍耐力や根気もつきました。


親方にはたくさん話をしてもらったり、

いつもたくさんおしゃべりをしたり、

僕にとってお父さんみたいな人

だなと思っていました。

今でも本当に感謝しています。

18才までこの職場でお世話になりました。

私生活では、バイクに乗っていて、

派手な改造をして暴走行為をしてしまいました。

それ以外の非行はしませんでしたが、

たくさんの人に迷惑をかけ

先生や親などたくさんの人を

裏切ってしまったと反省しています。
こんにちは。

少年院送致が決まり、

半年間の少年院生活を送ったよっしーですが

その頃のことについてです。

はい。とにかく頑張りました。

寮に入り20~30人の人たちとの集団生活

そのすべてが規則・規律正しい生活です。

朝は7時に起床し、寮の掃除を全力で

そのあとは畑での農業実習

昼食を食べてまた農業実習

夕方からは日記を書いたり、テレビを見たり

そして9時に就寝。

毎日が本当に充実していました。

僕の大好きな人、担任の先生から

たくさんの指導や話をしていただいて

応援してもらいました。

今でも手紙のやり取りをしていますが、

僕の大好きな人で、本当に感謝している人です。

頑張って頑張って、最後には先生達に

認めてもらえたことが

本当に嬉しかった。

そうして半年後、社会に復帰しました。

いまでも、辛いとき

くじけそうなときは

このときに頑張ったことを

振り返ると、勇気がわきます。
こんにちは。

今回は少年院送致が決まった

時のことについて書いていきます。

中学校卒業式の前日

僕は4度目の逮捕に至りました。

そして、中等少年院・短期

処分を受けることになりました。

前々回の記事で

僕は、少年院送致が決まったときに

「安心した」と書きました。

その理由です。


僕は、中学生の頃、数えきれないほどの

非行を犯し、そして逮捕・鑑別所

→試験観察処分ということを

延々と繰り返していました。

信じてもらえないかもしれませんが

僕は逮捕され、鑑別所を出るまでの

約1か月半の間、毎日反省し、

考えていました。


次に外に出たら

もう捕まるようなことはしない。

そう思っていました。

僕のことを心配し、

応援してくれる母や彼女、

友達など、みんなに心配を

かけたくないと思っていました。


そんな調子で毎日反省し、

その意志を裁判官や家庭裁判所調査官に

泣きながら一生懸命伝え、

僕の言葉を信じてもらい

少年院送致を免れていました。


一般的に2~3回目の逮捕で

少年院送致が決まることになります。

僕の場合は4回目での

少年院送致ということで、

めずらしいケースでした。

鑑別所を出て、

1~3か月の間は

比較的まじめな生活を送るのですが、

徐々に崩れていき、

以前のひどい生活に戻る

というのが僕の中学生の頃の

パターンでした。

だから、4度目の鑑別所にいるとき

僕は少年院は覚悟していましたし

少年院に行きたいと思っていました。

少年院に行けば

僕は変われるかもしれない。

このままでは一生

少年院や刑務所に入り続ける

かもしれない。


そんな将来が嫌で、

もう悪さはしたくない。

だけど、今まで反省はしているのに

また非行を繰り返すようになり

捕まってしまう。

自分がなぜそうなってしまうのか

それが本当に分からず、

自分ではどうしようもないと

悩んでいたので、少年院に

行くことを望みました。

審判では、その気持ちを裁判官に

伝えました。

異例の、審判の中断と会議が行われた後、

再開した審判では短期少年院の処分が

言い渡され、最後に裁判官の方は

僕にこう言いました。

「本当は、審判を始める前、

君を一年間の長期少年院に

送るつもりだった。

半年間、一生懸命頑張ってきなさい。」


僕は、安心し、今度こそは!

そう思っていたのを覚えています。