職場が秋葉原から東新宿に変わったこともあって、電車に乗っている時間が長くなった。
そのため、暇つぶしのためにスカイ・クロラシリーズの文庫の既刊を全部大人買いしてみた。
それが、木曜日の夜。
・・・なのだが、昨夜具合が悪くて早く帰って横になっていたので、その間と、今日ですでに3冊読んでしまった。
「スカイ・クロラ」
スカイ・クロラ (中公文庫)/森 博嗣

¥620
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「ナ・バ・テア」
ナ・バ・テア (中公文庫)/森 博嗣

¥680
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「ダウン・ツ・ヘヴン」
ダウン・ツ・ヘヴン (中公文庫)/森 博嗣

¥680
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スカイ・クロラは、映画の方を先に見ていたが、押井が割と原作に忠実に映像化していたことにびっくりした。
元から、押井が好きそうな作品なのだ、と言うことは読んでわかった。
空気感、空疎感、というのだろうか。
物語は、淡々と、空虚なまま、進んでいく。
私も、この作風は、嫌いではない。
文章が、緻密に計算されているのがわかる。
森博嗣の作品は初見だが、「初めから完成されていた作家」という評価は十分に理解できた。
音楽でも、小説でも、未熟なところが残されていた方が親近感がわく、入り込みやすくなるというのは多分私にとっては事実なのだが、この人の作品は完成されているが故、その文章に乗っていくのが心地良い。
たぶん、ものすごく頭の良い人なのだろう。
そして、ちょっと人間としてはつきあいづらいかも。
などと、勝手に妄想。
物語の話に戻そう。
映画では笹倉が女性となっているのは完全に押井の好みだとしても、ラストが大きく異なっていた。
もちろん、映画のラストの方がより映画的だし、小説のラストの方は、より小説的だ。
どちらも、その媒体における物語の描き方としては好感が抱けるので、どちらも好き。
映画の方の主役は完全に函南で、小説は、むしろ水素が主役なのだろう。
違うのは、ティーチャの立ち位置も若干異なると思う。
これは、押井の作品のとらえ方だし、演出なのだろう、と思う。
「大人」は小説では子供が超えなければならない存在、とは異なり、もっと異質なものだ。
本来なるべき事を強要される、死に至る老いた存在。
ただ、押井のキルドレの描き方自体には、ブレはなく、やっぱり良い映画化だったと感じる。
小説の方は、むしろナ・バ・テアの読後感の方が映画を見た後に感じた空っぽの感覚に似ていた。
というか、映画でスカイ・クロラを見た人間はナ・バ・テアを読むべきだと思う。
水素のことが、ティーチャのことが、そしてキルドレとは、がより綿密に描かれている。
なぜキルドレ達が空にあがるのか、空とは、何か。
そういったスカイ・クロラシリーズのテーマがわりと明確になっている。
押井がなぜ、笹倉を女性として、母として描こうとしたのかも、ちょっとだけ、理解できる。
子供達を空へ巣立たせる、理解者としての大人だからだ。
一方ティーチャを「超えるべき大人」と描いたのは、やはり違和感があり、これは映画としてのテーマ付けなのだな、と感じるのは上の方で書いたとおり。
そう思うと、押井もうまいなぁ、と感じる。
やはり彼は演出家なのだ。
ナ・バ・テアで完全に水素に感情移入した身にとっては、ダウン・ツ・ヘヴンは楽しい作品だ。
ホテルで水素を待っていた、その人物がティーチャだったときは、鳥肌が立つほどであった。
こちらもやはり、映画からスカイ・クロラの世界に入った人間には、ナ・バ・テアとともに是非読んで欲しい。
ああ、散香に乗って、空を飛びたい。
挿絵もなく、ただ文章で、しかもものすごく淡々と描かれているだけなのに、頭の中には青と白の世界、浮遊した世界で満たされる。
読んでいる途中は、間違いなく「飛んで」いる。
プロの文章とは、かくも凄いものなのか。
結構、感動。
以上、久しぶりに「小説」を、「物語」を読んだ、と感じたので、徒然なるままに感想を書いてみた。
そのため、暇つぶしのためにスカイ・クロラシリーズの文庫の既刊を全部大人買いしてみた。
それが、木曜日の夜。
・・・なのだが、昨夜具合が悪くて早く帰って横になっていたので、その間と、今日ですでに3冊読んでしまった。
「スカイ・クロラ」
スカイ・クロラ (中公文庫)/森 博嗣

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「ナ・バ・テア」
ナ・バ・テア (中公文庫)/森 博嗣

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「ダウン・ツ・ヘヴン」
ダウン・ツ・ヘヴン (中公文庫)/森 博嗣

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スカイ・クロラは、映画の方を先に見ていたが、押井が割と原作に忠実に映像化していたことにびっくりした。
元から、押井が好きそうな作品なのだ、と言うことは読んでわかった。
空気感、空疎感、というのだろうか。
物語は、淡々と、空虚なまま、進んでいく。
私も、この作風は、嫌いではない。
文章が、緻密に計算されているのがわかる。
森博嗣の作品は初見だが、「初めから完成されていた作家」という評価は十分に理解できた。
音楽でも、小説でも、未熟なところが残されていた方が親近感がわく、入り込みやすくなるというのは多分私にとっては事実なのだが、この人の作品は完成されているが故、その文章に乗っていくのが心地良い。
たぶん、ものすごく頭の良い人なのだろう。
そして、ちょっと人間としてはつきあいづらいかも。
などと、勝手に妄想。
物語の話に戻そう。
映画では笹倉が女性となっているのは完全に押井の好みだとしても、ラストが大きく異なっていた。
もちろん、映画のラストの方がより映画的だし、小説のラストの方は、より小説的だ。
どちらも、その媒体における物語の描き方としては好感が抱けるので、どちらも好き。
映画の方の主役は完全に函南で、小説は、むしろ水素が主役なのだろう。
違うのは、ティーチャの立ち位置も若干異なると思う。
これは、押井の作品のとらえ方だし、演出なのだろう、と思う。
「大人」は小説では子供が超えなければならない存在、とは異なり、もっと異質なものだ。
本来なるべき事を強要される、死に至る老いた存在。
ただ、押井のキルドレの描き方自体には、ブレはなく、やっぱり良い映画化だったと感じる。
小説の方は、むしろナ・バ・テアの読後感の方が映画を見た後に感じた空っぽの感覚に似ていた。
というか、映画でスカイ・クロラを見た人間はナ・バ・テアを読むべきだと思う。
水素のことが、ティーチャのことが、そしてキルドレとは、がより綿密に描かれている。
なぜキルドレ達が空にあがるのか、空とは、何か。
そういったスカイ・クロラシリーズのテーマがわりと明確になっている。
押井がなぜ、笹倉を女性として、母として描こうとしたのかも、ちょっとだけ、理解できる。
子供達を空へ巣立たせる、理解者としての大人だからだ。
一方ティーチャを「超えるべき大人」と描いたのは、やはり違和感があり、これは映画としてのテーマ付けなのだな、と感じるのは上の方で書いたとおり。
そう思うと、押井もうまいなぁ、と感じる。
やはり彼は演出家なのだ。
ナ・バ・テアで完全に水素に感情移入した身にとっては、ダウン・ツ・ヘヴンは楽しい作品だ。
ホテルで水素を待っていた、その人物がティーチャだったときは、鳥肌が立つほどであった。
こちらもやはり、映画からスカイ・クロラの世界に入った人間には、ナ・バ・テアとともに是非読んで欲しい。
ああ、散香に乗って、空を飛びたい。
挿絵もなく、ただ文章で、しかもものすごく淡々と描かれているだけなのに、頭の中には青と白の世界、浮遊した世界で満たされる。
読んでいる途中は、間違いなく「飛んで」いる。
プロの文章とは、かくも凄いものなのか。
結構、感動。
以上、久しぶりに「小説」を、「物語」を読んだ、と感じたので、徒然なるままに感想を書いてみた。
