私の仕事用のスーツも聡の部屋に置いてあったからそのまま出社する事にした。
玄関先で、
「ごめん、今日は派遣会社に寄って更新してこないと。」
「わかった。部長には言ってあるのか?あるか。美加はそういいう所しっかりしてるから。」
褒めてくれるのは嬉しいんだけど、更新の事をちょっとは気にしてもらいたかった。
電車は途中まで一緒だったけど、私の方がいつもの駅より3つ先の駅に向かう事になった。
聡は会社の最寄り駅で降りる前に、
「更新、待遇が良くなってるといいな。」
そう言って降りた。やっぱり気にしてくれてるんだ。良かった。
私はそのまま14分かけて3つ駅先に行き、あまり立ち寄る事のない登録してる派遣会社に足を向けた。
大きなビルに入っている私の登録先の会社は26階にあり、広いフロアはほとんどが
アポイントの仕事をしているほとんど女性の派遣社員がパソコンに向かい合って電話をしていた。
元々この会社はアポイントの社員を集める会社で私みたいに事務職の派遣社員は珍しいらしい。
私は担当の川田さんを探した。川田さんは私より5つ年上の女性で離婚歴がある。
本人から聞いた訳じゃないんだけど幼稚園の男の子がいるらしい。
いつもビシッとスーツで5cm以上のヒールの靴を履いている。髪をベリーショートにしているから
若くみえて下手したら私の方が年上に見られる事もあるぐらい。
「川田さん。」
私が声をかけると川田さんは若い女の子に何か指示をしてから私の元へやってきた。
お辞儀をしてから、
「更新の手続きに来たんですけど。」
「分かってるわ。あなたが用もなくてここには来ないから。事務室で話し合いましょう。
話し合うって言っても書類はほとんど整ってるから印鑑を押してもらうだけなんだけどね。
印鑑は持ってきた。」
「はい。あと保険証も。」
川田さんらしくなく、
「あぁそうだったわね。保険証も変わるんだった。」
今日の川田さん、なんだかおかしいな。何がって聞かれたら困るんだけど。
お子さんの事で何かあったのかな…。
川田さんの事務室に入って対面式に座るとテーブルにはすでに書類が置いてあった。
「一応、目を通しておいて。」
私は6ページある書類を隅々まで読んで訂正箇所をお願いした。
川田さんは私が最近大口さんからイタリア語を習っている事を知らない。
これはスキルにつながるから言っておいた方がいい。
「川田さん、語学の事なんですけど最近イタリア語も勉強してるんです。
通訳ってまではいってませんけど、普段の会話位ならできます。」
書類をめくりながら川田さんは、
「それじゃぁ今度、イタリア語の研修を受けて頂戴。それで給与に反映するかは決めるから。」
あっさり言っただけで給料がアップって訳にはいかなかったか。
それでもアップの為の布石にはなったからいいのかもしれない。
「分りました。いつ研修を受ければいいですか?場所はここですよね。」
「それは追ってメールで送ります。」
やっぱり今日の川田さん、変だ。こんなに事務的に会話をする人じゃないのに。
どうしようかなって思ったけど思い切って聞いてみた。
「川田さん、何かあったんですか?」
立ち上がってコーヒーを入れようとしていた川田さんが私の方を振り向いて苦笑いした。
「さすが美加ちゃんね。伊達に私との付き合いが1番長い派遣社員じゃないわ。
ちょっとね。息子の事で。保育園から幼稚園に入れようと思ってるんだけど
なかなか認可幼稚園がなくってね。だからって言って私立のに入れるのも怖いし。」
仕事の話以外になると私の事は『美加ちゃん』と呼ぶ。
川田さんの方が年上だからいいんだけど。5年も川田さんと付き合ってきたんだから
少しの事でもお互いに気になる。聡がいなくなった1年前も川田さんにも探してもらったんだっけ。
私は書類をテーブルに置いて川田さんからコーヒーを受け取ると、
「やっぱり『認可幼稚園』と『私立幼稚園』だと違いますか?」
立ち入り過ぎた事と分っていたけど、多分川田さんも話をしたい相手が欲しいんだろうと察して
あえて会話を続けた。川田さんもそれはわかってるらしく再び座ると、
「そりゃ違うわね。月謝もそうだけど安全性とかね。いつか美加ちゃんが子供ができたとき
こういう事で悩むかもしれなわ。だからこそ上も保育所をここの会社に作ろうって思ってるらしいけど。」
「女性が多い会社だからでしょうか。」
私は当然と言える様な理由を言ってみた。
「それもあるでしょうけど、社会的イメージのもあるかもね。
ここに登録する時に社会保障がこれだけしっかりしてますよ~って言いたいんでしょ。」
川田さんは両手を挙げて上を向いた。
派遣社員は派遣社員で大変だけど、そこの社員は社員で色々大変なのよねぇ。