大口さんが指定した店はすぐに分かった。
イタリア語を教えるだけあってイタリアンの店だった。
私が店をキョロキョロして大口さんを探していると、奥の方から、
「近藤さん、こっち。」
という声が聞こえた。その声の持ち主は聡から紹介されて写メも見せてもらった大口さんだった。
「すみません、遅くなって。」
「いいんですよ。僕のちょっと前に来たから。さて、何か飲みますか?」
大口さんは私にメニューを差し出してくれた。
「じゃぁ…。アイリッシュコーヒーを。」
店員の人を呼んで大口さんは私の分と自分の分の飲み物を注文してくれた。
「聡に聞いてたんですが、加藤さんは語学には強いみたいですね。」
「自己流に勉強しただけですから。」
「それでも日本語を入れてでも5各語を喋れるのはすごいですよ。」
そこへ私達の飲み物が運ばれてきた。
「Grazie。」
「lentamente。」
大口さんが言った『Grazie』ぐらいは意味は分かったけど
店員さんがなんて言ったのかが全く分からなかった。
「さて、近藤さんはイタリア語はほとんど知識がないとの事ですから、基本から勉強していきましょう。」
「はい。よろしくお願いします。」
最初は挨拶からの勉強になった。
『Ciao』から始まり、夜の挨拶『Buona notte』と基本中の基本から教えてもらった。
「近藤さん、『Sì』の発音がちょっと違いますね。舌を噛む様に発音して下さい。」
色んなイタリア語を教えてもらったけど、昼近くになると、大口さんから、
「ちょっと休憩も兼ねてお昼にしましょうか。」
再度メニューを渡された。イタリアンは食べた事はあるけど知らないメニューもあったし
私から注文の品を言うと値段の事も考えないといけないから大口さんに任せた。
「じゃぁ、パスタランチにしましょうか。スープと前菜、パスタ、ジュレ、デザートが付いていて
美味しいんですよ。」
周りを見れば女性客が多く、ほとんどの席が埋まっていた。
パスタがすごく美味しくて、今度聡と来ようかなと考えた。
会社から表参道まではかなり距離がある。会社の人に見つかる事はないだろう。
昼食をはさんで勉強をしていたらもう6時だった。
もうそろそろ聡と落ち合って、映画を観に行かないと。
「大口さん、今日はありがとうございました。また教えて頂いてもいいですか。」
「Sia contento。」
店を出る時、大口さんがドリンク代や食事代を出してくれそうになったから、
「大口さん、私の分は私が払います。授業料ってわけじゃないですけど、
これからも教えて頂く機会が増えると思いますから。」
「じゃぁ、割り勘って事で。今度、時間が空いたらお会いしましょう。」
「はい。」
大口さんと別れると、聡の携帯に電話を入れた。
「聡?私、今大口さんの授業が終わったんだけど。」
「俺も今会社を出るんだ。多分俺の方が先に着くと思うから関根さんの店で待ってるよ。」
「分かった。」
関根さんの店に行く途中、本屋さんに寄って映画雑誌を買った。
今日は何を観よう。恋愛系の映画は止めておこう。今日はコメディ系のがいいな。
あの監督の『あっちもこっちも』も気になってたし。
地下鉄と電車を乗り継いで、関根さんの店に着くと聡は仕事らしき資料を見ていた。
「いらっしゃい。尾山君、もう来てるよ。」
関根さんがレジの前で私に教えてくれた。
「せっかく来ただけど今から映画を観るの。帰りには寄るから。」
「待ってるよ。」
聡の席に近づくと聡は顔を上げて私に笑いかけた。
「どうだった?大口のイタリア語勉強は。」
「うん。これからもう一つ語学が増えるからいい勉強になった。」
関根さんの店で聡は清算を済ませて二人で映画館に向かう。
「今日は何を観るんだ?」
「『あっちもこっちも』って映画。ほら、コメディの映画を得意としてる監督いるでしょ?
その監督の新作なの。」
私達はチケット売り場に向かいながら今日、観る映画の事を話していた。
会員専用レーンに並ぶと徳永君がいた。
前に聡子ちゃんから徳永君の気持ちは知らされていたけど、私は聡子ちゃんの気のせいだと思ってた。
でもなぁ。わざわさレディースデイに合わせてシフトを組んでるって聞くと
それも嘘じゃない気がしてきた。
チケットを買おうとして1人で並んでいて順番が来た時、徳永君は嬉しそうに笑った。
「今日はレディースデイですもんね。何にしますか?」
「『あっちもこっちも』にする。チケットは2人分でお願い。1枚は通常の値段でいいから。」
「お二人で来られたんですか?」
「うん、まぁね。」
そこで初めて、聡の存在に気付いたみたい。レーンの後ろで私を待ってる。
「あの人彼氏さんですか?」
こういう時なんて言えばいいんだろう。聡子ちゃんが言ってた事も気になるし
付き合い始めたって言っても昨日、今日の話だし。
「彼氏って言えば彼氏かな。前に付き合っていて色々あったんだけど
また付き合う事にしたの。」
私の言葉に徳永君は沈んだ表情になってしまった。
やっぱり聡子ちゃんが言ってた通り私の事、好きなのかなぁ。
なんとなく罪悪感を持ってチケットと預けたポイントカードを受け取った。