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こんにちはグラサン

本日も私のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。

 

先日、「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者とみられる男性が、入院先の病院で自身の出自を名乗ったと報道されていました。その後、男性は亡くなられています。

 

 

私は子ども時代から、桐島容疑者の指名手配犯のポスターを見ていたので、今回の報道には大変驚きました。ただ、子ども時代に見ていたといっても「昭和40年代50年代には、こんな激しい闘争があったのか…」と思う程度、また父親から手入れの行き届いてない古い民家を逃亡犯がアジトにしていることがあるから、絶対に近寄らないように注意されていた程度で、正直なところ何をした人物かまでは知りませんでした。

 

この度、報道を見て、昭和50年に「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わった人物だということを知り、ゾッとしました。

 

そして、大学卒業後にお世話になった韓国企業の年配の職員の方が、毎朝 出勤する時は、何か不審なものがないか確認しながらオフィスに入ると、銀座のビル爆発の話を交えながら話をしてくださったことを思い出しました。その方とご一緒させていただいていたのは2000年頃ですので、何十年もの間、身を守る行動をとり続けていたのだと、改めて当時のことを思い返しました。

 

 

今回の出来事から、思い出したくないことを思い出さざる負えない状況になってしまった方もいらっしゃると思います。連続企業爆破事件の被害者様とそのご家族様に哀悼の意を表すと共に、桐島聡容疑者と思われる人物の肉親の方々の生活が乱されることのないよう、心から願うばかりです。