まことの神様の国、霊的新しいイスラエルの家族
創造主の神様は、6千年前、エデンでアダムに生気を与えて生霊にされた(創2:7)。しかし、アダムは善悪の実を食べて再び肉に戻った(創3章)。そして、人が地上に増え始め、神様の子どもが地の娘たちと一つになり、肉になった(創6:1~3)。
その後、神様はアダムの9代目の子孫ノアを選ばれ回復の働きをされたが、ノアの二番目の息子ハムによってまた罪が入って来た。この後、神様は、ノアの10代目の子孫アブラハムを選ばれ、肉的イスラエルがアダム以後、イエス様が来られる時まで続いて来た。彼らは、アダムが生霊から肉に戻った時から産まれた肉体の子孫なので、すなわち、アダムの肉的な血統によって産まれた子孫たちである。
その後、神様が新しい事を行われる事を約束され(エレ31:22)、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンに移住するまで14代、バビロンに移住してから14代を経て(マタ1:17)新しい事を行われた。すなわち、マリヤを通して聖霊によって子イエスを産んだ事である(マタ1:18~21、ルカ1:26~35参考)。イエス様は肉の種によって産まれたのではなく、聖霊、すなわち、神様の種によって畑であるマリヤから産まれた神様の御子である。
初めの御言葉が神様であられ(ヨハ1:1)、神様の種は神様の御言葉であり(ルカ8:11)、神様の種によって産まれた御子のイエス様も御言葉であられる(Ⅰヨハ1:1~3)。イエス様の時から御言葉を信じて受け入れる者たちを神様の子どもにされる(ヨハ1:12~13)霊的イスラエルが始まった。これが、すなわち、新しい事であり、新約である。
肉的選民イスラエルは、新しい事、すなわち、イエス様の出現によって終わり(ルカ16:16)、イエス様が天国の良い種(マタ13:24)をご自身の畑、すなわち、イエス教会に蒔かれた。この種は肉の種ではなく、神様の種、すなわち、御言葉である。パウロはガラテヤ書4章19節で「産みの苦しみをする。」と言い、また、テモテに愛する「子」テモテと言い(Ⅱテモ1:2)、また、第一コリント3章1~2節では、兄弟(聖徒)たちを「堅い食物ではなく、乳を与えた。」と言ったので、パウロは肉の種ではなく、神様の霊の種を受けて霊の子どもを生んだのである。
それゆえ、肉の種と霊の種があり、肉によって生まれた者は肉であり、霊によって生まれた者は霊である(ヨハ3:3~6)。
聖書を基準として信仰をする者であるなら、神様が旧約に何を語られ、新約に何を語られたのかを知って、御言葉に従って信じる者にならなければならないだろう(ヨハ14:29)。
私たち(肉体)の心は畑であり(Ⅰコリ3:9)、私たちの心の畑に神様の種が蒔かれ、神様の種と御霊によって再び生まれる時、新しい被造物になり(Ⅱコリ5:17)、神の子孫(使17:29)になる。これは御言葉の種でできた神と呼べる(ヨハ10:35)。神様の種と御霊によって生まれた神様の子どもが神様を父と呼ぶ事ができ、神様の家族なので、神様の家である天国に入る資格を持つようになる。彼らが今日、新しく生まれた霊的新しいイスラエルの神様の家族である。そして、彼らが第一の復活にあずかるようになり(啓20:4~6)、肉体も神の子孫に変わって、Ⅰコリ15:52~54 で言ったように、新しい被造物になる。
肉の種によって生まれた肉体が神様の子どもになる事はできないし、神様が彼の父になることはできない。これは神様とは関係のない地の人に過ぎない。
私たちが見たところ、仏教徒やカトリック教徒たちのほうが改新教徒たちより善良で優しい者が多いようである。しかし、彼らにないものがある。それは神様の御霊と種である。彼らは肉的な人として善良で優しいだけで、神様とは何の関係もない。それだけではなく、神様と光といのちの御言葉がないので、やみに属した者たちであり、肉的な人に過ぎない(ヨハ1:1~5参考)。
神様は聖書に「事実」を語られた。しかし、人が聖書の神様の御言葉をわからないので、恣意的な信仰をするだけである。それゆえ、イエス様がユダヤ人たちに聖書も神様の力も知らないから、思い違いをしていると言われたのである(マタ22:29)。カトリック教徒、改新教徒にかかわらず、御言葉の前に出て来て新しく生まれなければならない。
新約の約束通り、今日(主後、約2千年)、 創造された新天地12支派は神様の種によって生まれた家族であり、聖霊に導かれて聖書に精通し(Ⅰコリ2:10参考)、啓示を受けて宣べ伝えている。今日、預言通り成し遂げられたので、聖徒たちはこれを信じなければならない(ヨハ14:29参考)。
聖書を基準として信仰をする者ならば、神様が聖書に何を語られたのかを知って、御言葉に従って信じる者にならなければならない。
今日、聖書の約束通りに成し遂げられた神様の国である新天地と、その成し遂げられた事を信じない既成教会のうち、どちらに救いがあるだろうか?正しい判断をしなければならない。