神様のマナ(パン)
本文:ヨハネの福音書6章、ルカの福音書22章
これはヨハネの福音書6章とルカの福音書22章の要約説明である。
イエス様が五つのパンと二匹の魚で5千人に食べさせ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。また、イエス様はご自分を捜しにきた人々に「あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」と言われた。この時、彼らがイエス様に言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」イエス様は答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」また、彼らが言った。「私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」イエス様は彼らに言われた。「モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。モーセが与えたそのパンは食べても死ぬことになったが、私の与えるパンは、食べると死ぬことはなく、永遠に生きます。」またイエス様は、このパンがイエス様ご自身であると言われ、ご自分は天から下って来た生けるパンであり、人々が食べて永遠に生きるパンであると言われた。そしてイエス様の血と肉を食べる者は永遠のいのちを持っていて、終わりの日にその人をよみがえらせると言われたので、それを食べない者には永遠のいのちがないということである。この言葉を聞いた者たちがつぶやいている時、イエス様は「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」と言われた。この言葉につまずいた者たちは離れ、ペテロは「主よ。私たちがだれのところに行きましょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」と言った。<ヨハ6章>
前述したように、マナ(パン)はイエス様であり、マナ、即ちイエス様を食べると永遠に生きるという御言葉である。このイエス様をどう食べれば、永遠に生きられるだろうか?神様は御言葉であり(ヨハ1:1)、イエス様も御言葉である(Ⅰヨハ1:1)。それ故、イエス様の血と肉を食べることは、乳である食物、すなわちイエス様の御言葉を食べることになる。この御言葉は、神様の御言葉であり、いのちである(ヨハ1:1~4)。当時、イエス様の与えられたご自分の血と肉は誰も知らなかった黙示、すなわち啓示の御言葉であり(イザ29:9~14)、これは唯一イエス様だけが与えて下さることの出来るものであった(マタ11:27、ヨハ17:8)。
また、イエス様はルカの福音書22章で、ご自分の血と肉すなわち、ぶどうの木(ヨハ15:1)からできるもの(ぶどう酒、即ちいのちの御言葉)は、父の国が臨む時に食べると、新しい契約(新約)を結ばれた。これは、イエス様が十字架を背負い、この世を離れられたことにより、二度とイエス様から受けて食べられなくなったが、父の国の再臨の時に来られ、それを再び食べることになるという契約である。
再び来られる時、誰がどこでどのように食べるようになるだろうか?新しい契約、即ち新しい黙示である啓示録5章の封じられた啓示の御言葉、これが約束したヨハネの啓示録であり、約束した黙示をイエス様が来られ啓示される時に聖徒はこれを食べることになる。これについてもっと詳しく調べてみる。過ぎ越しの日の夜、弟子たちと新しい契約で約束された通りに、神様の印を押され創造された父の国12支派があるシオン山で(啓7章、14章)、イエス様の血で贖われた国と祭司長たち(啓1:5~6、啓5:9~10)と、イエス様の血で罪の衣を洗った白い群れが、その血によって救われた国と民になる。彼らは、イエス様が罪人のために、十字架で流して下さった血を信じることによって罪の赦しを受けて義人となり、相続人となり、ここにイエス様が来られ共に食べることになる。
私たちは罪によって死に、私たちの中でイエス様が生きておられる。すなわち、イエス様は私たちの罪の身代わりとなられて十字架を負われた後、信じる私たちの心を聖殿として、霊として私たちの中におられる(ロマ8:9~11、ガラ2:20)。これは神様が罪のないイエス様の中におられることと同様である。これが神様の御心であり、イエス様が十字架を背負われた理由であり、啓示の信仰を持っている私たちの望みである。
封じられた本、啓示録は今日(主の再臨の時)イエス様が開かれ(啓1:1、啓6章、啓8:1)、新しいヨハネに与えられた(啓10章)。これが即ち、啓示録2章の「隠れたマナ」である。これは過ぎ越しの日の夜、結ばれた新しい契約の御言葉のように約2千年ぶりに開かれて見せるものである。啓示録1章1節のように、神様がしもべたち(12支派14万4千人、啓7:3~4)に示すためイエス様に与えられ、開かれ、御使いを通して啓示録10章の新しいヨハネを通してしもべたちに証しされたので、しもべたちは記録された御言葉(啓1~22章)を守らなければならない。「隠れたマナ」は啓示録5章の七つの封印で封じられた本の御言葉であり、過ぎ越しの日の夜、新しい契約の血で約束された「隠しておいた天のマナ」である。これが今日、天から下って来た永遠のいのちのパンである。
我ら新天地は神様の御心である聖書に精通し、ただその御心通りに成し遂げていることを全世界に知らせている。信じる者は隠れたマナの啓示を受けるようになる。