世の終わりと主の降臨の前兆
本文:マタ24~25章、ヨハ14:23~24(要約説明)
マタ24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起るのでしょう。あなたの来られる時や世の終りには、どんな前兆があるのでしょう。」
ヨハ14:22~24 (22節)……「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」(23節)イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(24節)わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」
イエス様が弟子たちの質問に初めて答えられたのは「人に惑わされないように気をつけなさい。」と言う言葉であった(マタ24:4)。また、この時を指して啓示録3章には、全世界に来ようとしている試練の時であると書いてある(啓3:10)。この時に私たちの行くべき道と従うべき師は、唯一神様の御言葉である。神様は御言葉であり(ヨハ1:1)、イエス様も御言葉であり(Ⅰヨハ1:1)、聖書も神様の御言葉である。
主の降臨の前兆について、国(霊的)と国(霊的)、民族(霊的)と民族(霊的)の戦争があり、人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合い、方々にききんと地震が起ると言われた(マタ24:7~10)。この時、不法がはびこるので、愛は冷たくなると言われた(マタ24:12)。そして2千年前、オリーブ山で弟子たちに語られたこの天国の福音がすべての民族に証しされるために、全世界に宣べ伝えられるが、そうしてこそ終りの時が来ると言われた(マタ24:14)。
前述した二つの国の戦争とは霊的な国の戦争で、神様の御国(教団)と異邦、悪魔の国(教団)との教理の戦争であり、侵入した不法者、悪魔の牧者が勝利することによって、彼(悪魔)が聖なる神様の聖殿に立つことになる(マタ24:15、Ⅱテサ2:1~4、啓13章 参考)。この時、救いの所である山(シオンの山、啓14章)へ逃げず(マタ24:16 参考)、自分の教会に残っている者たちは、侵入したサタンの教徒(信者)となる。そして、身重の女と乳飲み子を持つ女(マタ24:19)、すなわち神様の聖殿の牧者たちにわざわいがある。この時、イエス様は、選ばれた肉体たちのために苦難の日数が減らされると言われ(マタ24:21~22)、にせキリストたちやにせ預言者たちが、選ばれた者たちを惑わすことに注意しなさいと言われた(マタ24:23~26)。この時、苦難(戦争)によって霊的な太陽・月・星(選民の家族)が暗くなって落ち、夜になる(マタ24:29)。それから、イエス様は御使いと共にいなずまのように霊として来られ、働かれることを知らせた(マタ24:27、31)。また、この時に目をさましている者に盗人のように来られ、連れて行くと言われ(マタ24:42~44 参考)、この時の「時に応じた食物(霊的食物:マタ24章の御言葉)」を聖徒たちにきちんと与える者(啓10:8~11 参考)にその全財産を任せることを約束された(マタ24:45~47)。
また、この時に来られる花婿であるイエス様を迎える条件はともしびと油である。これを準備した者は天国の宴会に参加することになり、準備できなかった者は参加することができない(マタ25:1~13)。ともしびは神様の御言葉である聖書であり(詩119:105)、油は聖霊の証しである(出27:20、ゼカ4:11~14、啓11:3~4 参考)。小羊の結婚の宴会の家にはマタイの福音書22章の御言葉通りに善なる者や悪者がみんな集まったので(マタ22:1~14)、これはまるで羊と山羊のようである(マタ25:31~33 参考)。この時、ヨハネの福音書14章の約束通りに予備された私たちの住まい(ヨハ14:1~3)すなわち、天の御国を羊のような信仰人に相続する(マタ25:34)。天の御国を相続する羊のような信仰人たちはヨハネの福音書14章23~24節の約束通りに主の御言葉を守った者たちである。「救われた、聖霊を受けた、正統だ。」と言いながら、主の御言葉を守らない者には天国も永遠のいのちもなく、またそのような者は主を迎えることもできない。
前述どおり我が新天地は誰でも来ることができるのではなく、聖書によって認められた者だけに限られる。約8ヶ月間(基礎及び初等・中等・高等課程)の聖書の勉強が終わった後、核心聖句約300~400問題の試験に合格してこそ入教できる。我が新天地12支派は何一つ聖書通りにならないことはない。12支派の創造は聖書に約束された通りに成し遂げられたことであり(啓7章)、教名も聖書に約束されたものである(啓15章)。そして、神様とイエス様がいのちの御言葉(ヨハ1:1~5、Ⅰヨハ1:1~3)であるように、私たちも聖書に精通して“歩く聖書”になったので、すなわち啓示の通達者であり、啓示の信仰によって神様の子となったのである(ガラ3:23~26 参考)。
誰でも真理の都、真理の御国、天国と永遠のいのちを求める信仰人は、前述したようにまことの信仰をしなければならず、神様から認められなければならない。このために我が新天地の聖徒たちは休まず、祈っている。