今まで無味乾燥なことしか書いてこなかったけど、今日も色々考えたことを書きます。
何が最も重要かということ。
他者と生きていく上で、相手の気持ちを考えることである、というのは既に書いた。
では、その相手の気持ちを理解するために何をすべきかということである。
気持ちというのは毎秒変化しており、何に左右されるかというと勿論、状況である。
他者という存在を取り巻く人間関係、物理的な環境、現時点での所与性、歴史的経緯、これらを総合した状況である。
これら全てを把握するのは不可能に近いであろう。
でもなるべく、情報を整理して、他者と向き合わなければならない。
私という人間は一人しかいない。
私が一つの考えを持ったとしても、全員に当てはまるわけではない。
私と他者の差異を認識すること。
しかし、ここで問題となってくるのは、何故、私と他者は言葉を交わすことが出来るのかということ。
勿論、言語が異なる場合は別だが、話す言語が同じであればある程度意思疎通ができる。
これは何故かということ。
実はシニフィエは異なるのだが、一般人は意思疎通が出来ていると思い込んでいる。
この問題からも分かるように、世界は複雑なのである。なのにも関わらず、シンプルだと豪語する人間は履き違えているし、傲慢な人間である。
そして、相手の気持ちを理解する上でもう一つ重要なのはリアリティである。
人は、リアリティ、すなわち自分の身に迫ってくる生の感覚を求めている。
リアリティの中に生きないと、説得力のかけらもない、無味乾燥な言葉に成り下がってしまう。
これが自分と他者の乖離をなるべく防ぐ方法である。
何が共通感覚=常識であるのか、またそれだけではダメで、その共通感覚からズレた新鮮味=差異が他者を充実させる。
今回も無味乾燥な理論の話になってしまったので、今後の生き方に還元していこうと思う。