小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?

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「小学校開校の日」
1869年(明治2年)のこの日、京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校した。

「上京第二十七番組小学校」は後の「柳池りゅうち小学校」、「下京第十四番組小学校」は後の「修徳しゅうとく小学校」である。
当時の京都には、上京・下京のそれぞれに番組(学区)という行政区画が置かれ、番組ごとに小学校が建てられたため、「番組小学校」と呼ばれた。

「上京第二十七番組小学校」の創設者であり、私財を投じて校舎や敷地を寄付した商人・熊谷直孝くまがい なおたかを初め、多くの寄付や献金が住民から集まった。
そして、地域が一丸となって学校の建設が進められ、年内には64の番組小学校が開校した。
国が「学制」を定める3年も前のことであった。

学制とは、日本最初の近代学校制度に関する基本法令のこと。
1872年(明治5年)に公布され、日本における近代学校の成立・発展の基礎となった。
全国に小学校をつくり6歳以上の男女が身分に関係なく通うことを目指したもので、義務教育の始まりであった。

「柳池小学校」は戦後の新学制によって「柳池中学校」となり、統廃合を経て2003年(平成15年)に「京都御池中学校」となったが、敷地内には「日本最初小学校」と記された石碑が建てられている。
(雑学ネタ帳より)

「小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?」

簡単なようで難しい質問ですね。
いくつか思い出す事はありますが、「これが1番」と挙げるのは難しいです。

1番ではないですが··· 
小学5年生の時、学校に新校舎が建設されました。
数年かけて建て替えられる予定で、小学5年生の時に3分の1ほど出来ました。

はっきり覚えていませんが、たしか教室の他に音楽室や家庭科室が置かれたように記憶しています。
児童が学ぶ教室は、2学年分でした。
学年順で5,6年生が新校舎に入る事になりました。

新校舎は、それまで学んでいた旧校舎と違って全体的に明るかったです。
新しい校舎という事で先生を含めてみんなウキウキしていました。

大人になって思い返した時、「木造で古い旧校舎も良かった」と感じました。
まあ、これも1つの思い出補正ですね。

昨日、こちらの洗剤を買いました。
花王「アタックZERO パーフェクトスティック」

テレビでCMをよく見ます。

出演料だけでもすごいお金がかかっていそうなCMです。

それはいいとして、単純に使ったらどんなだろう?と思いながら見ていました。
今使っている洗剤です。
「アタックZERO 部屋干し (液体)」です。

他の洗剤と明らかな違いは分からないけど、不満は無いから良いと思います。
蛍光剤無配合が基本です。

で、買った「アタックZERO パーフェクトスティック」です。
ドン・キホーテで7本入りが198円(税抜き)で売っています。
前から見ていたのですが、売れ行きは良いようで、明らかに在庫が減っていってました。

7本入りなので、お試しに買ってみました。
そして、早速今日の洗濯で使いました。

Before Afterの写真は無いけど、靴のお手入れの仕上げに使う「から拭き」用の布を見て「きれいに洗えている!」と思いました。
布に付いていた靴クリームがかなりきれいに落ちていました。

という事で、なかなか良い洗剤だと思います。
売れている理由がちょっと分かった気がしました。

昨日、ブログをアップする時間にウォーキングの休憩中と書きました。
夕方に銀行へ行ったついでに長めに歩きました。

最初は、電車で移動してから歩きました。
休憩したのは、こちらの場所の近くです。
京阪電車天満駅の近くにある施設です。
大阪観光の拠点の1つです。

僕は、この場所を目的に散歩したわけではありません。
すぐ近くの天神橋を渡って、その先まで歩きました。

歩いて喉が乾いたので、トイレついでに近くのスーパーに入って飲み物を買って来た道を戻りました。
そこで休憩した場所が「川の駅はちけんや」のすぐ近く、Googleマップでは「はちけんやリバーステージ」と出る所です。
夕陽を背景にした風景がきれいでした。
時間は、大阪市の日没時間18:58でした。

川に面した階段で休憩しました。
休憩スポットになっているのか、他にも4,5人休憩していました。
ノンアルコールビール「アサヒゼロ」を飲みました。
ポテトスナックを一緒に食べました。

端からは「川辺でビールを飲んでいる人」に見えたと思います。
僕は、ノンアルコールビールで充分楽しめました。

テレビCMで「ビール好きも満足」と打ち出している「アサヒゼロ」です。
キャッチコピーは少し煽り過ぎだけど、ノンアルコールビールの中では美味しい方だと思いました。

けっこう歩いて疲れていました。
凪の風が気持ち良く、結局50分くらい休んでいました。
日没時間に来たので、辺りは暗くなっていました。
屋形船が航行してしていました。
来た時とほぼ同じアングルで撮りました。
橋を照らすライトと背景の空のコントラストがきれいでした。
右手奥に見えるのが川の駅です。

知ってはいたけど、初めて来た場所でした。
ゆっくり出来て良い所だと思いました。
ウォーキングを兼ねてまた行きたいです。

昨日、ウォーキングで履いていたスニーカーです。
クリスチャン ルブタンです。
お手入れ後、初履きです。

結論から言えば、「ウォーキングには不向き」です。
まあ、簡単に予想出来た結果なんですが。

スポーツブランドのスニーカーと違って重量感があります。
クッション性があるわけでもないです。
デザイン性は抜群だけど、歩くためのスニーカーではないと実感しました。

今日は、こちらの作曲家(故人)の誕生日です。
中村泰士(なかむらたいじ)
1939年(昭和14年)5月21日 - 2020年(令和2年)12月20日、81歳没。

僕はその頃を全く知りませんが、元々は歌手としてデビューした中村泰士さんです。
僕が中村泰士さんを認識したのは、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします Ⅱ」です。

その後、元歌手で作曲家だと知りました。
奈良県出身の中村さんです。
Wikipediaに記述はありませんが、関西ローカルのテレビ番組で見る事がありました。

で、この名曲です。

ちあきなおみ / 喝采

1972年(昭和47年)の大ヒット曲です。
9月に発売されたにもかかわらず、同年の「第14回日本レコード大賞」で大賞を受賞しています。
また、その年の「第23回NHK紅白歌合戦」でも歌われています。

聴き込むほど詳しくはないですが、個人的には「昭和歌謡の名曲」〜最高傑作だと思っています。
聴いていると、歌詞に歌われる光景が目に浮かんできます。

最後にこちらを。

ちあきなおみ 中村泰士 / 喝采

動画の情報によると、1989年(平成元年)10月6日に関西ローカルで放送された「ちあきなおみ 情け歌」という特別番組での映像です。
ちあきなおみさんと中村泰士さんのデュエットです。

この動画、アップされたのは2011年6月です。
詳細は分からないけど、これまで何度も見られなくなった時がありました。

僕の記憶が間違ってなかったら、昨年あたりは見れなかったです。
今日、久しぶりに確認したら復活していました。

ちあきなおみさんは、この放送の3年後に歌手を引退しました。
歌手と作曲者のデュエットです。
思わず聴き入ってしまう2人の歌唱です。
超をつけてもおかしくない「貴重映像」だと言えます。