お母さんが喜びそうなことは?

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「母の日」
日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。英語表記は「Mother's Day」。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
カーネーション

1907年(明治40年)5月12日、アメリカ人のアンナ・ジャービスが亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を行い、母が好きだった白いカーネーションを贈った。
これが日本やアメリカでの「母の日」の起源とされている。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年(明治41年)5月10日に同教会に470人の生徒と母親たちが集まり最初の「母の日」を祝った。
その後、1914年(大正3年)に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本では、1913年(大正2年)に青山学院で、母の日礼拝が行われた。
アンナから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされている。
その後、1949年(昭和24年)頃からアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。

カーネーションは母性愛のシンボルとなり、この日にはカーネーションなどの花を贈るのが一般的となっている。

関連する記念日として、この「母の日」と同日は「袋物の日」でもある。
また、6月の第3日曜日は「父の日」となっている。
「母の日」に贈る花がカーネーションなのに対して、「父の日」に贈る花は主にバラである。
(雑学ネタ帳より)

今日は5月の第2日曜日だからブログスタンプネタは「母の日」になっています。
ですが、日が被らなかったらこちらだと思います。
「看護の日」
厚生省(現:厚生労働省)が1990年(平成2年)に制定。

1990年8月、文化人・学識者による「看護の日の制定を願う会」が厚生大臣に要望書を提出し、12月に厚生省が5月12日を「看護の日」と定めた。
看護する心、助け合いの心を広く知ってもらい、育んでもらおうと、イギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820~1910年)の誕生日にちなんだもの。

1991年(平成3年)、「看護の日制定を願う会」が「看護の日」を一般社団法人・日本記念日協会の記念日として制定し、同協会により認定・登録された。
多くの人に看護についての理解を深めてもらうことが目的。
また、この日を含む週の日曜日から土曜日までを「看護週間」としている。
「看護の日・看護週間」には、毎年テーマを決めて各地で「ふれあい看護体験」や「看護の出前授業」などのイベントが開催される。
2017年(平成29年)の「看護週間」は、5月7日(日)から13日(土)で、メインテーマは「看護の心をみんなの心に」であった。

この日5月12日は、ナイチンゲールの誕生日にちなみ、「ナイチンゲール・デー」でもある。
また、1965年(昭和40年)に国際看護師協会(ICN)が「国際看護師の日」に制定している。
(雑学ネタ帳より)

ブログの下書きをしている午前中の段階では、相変わらずYouTube動画が貼れないエラーが継続中です。
だからというわけではないですが、続けて「引用」に頼ります。

『1820年5月12日 - 1910年8月13日)は、イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者、「近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母」。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった。』

↑のナイチンゲールのWikipedia、けっこう詳しく書いてあります。




90歳で亡くなったナイチンゲールです。
今日で生誕204年です。

前にもちょっと書いた事があります。
看護師の象徴としてパブリックイメージが強いナイチンゲールですが、彼女自身が看護婦として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時の2年間だけです。

初めて知った時、マジで「マジで?」となりました。
「献身の象徴的イメージ、そしてむしろ統計に基づく医療衛生改革で名声を得た」ともWikipediaに記述があります。

世界的なレベルで記念日になる人物です。
確かに「統計に基づく医療衛生改革」で評価されているといった方が説得力があります。

これも前に紹介した事があります。
同朋舎出版「My Catシリーズ ペルシャ猫の本」
エリザベス・マーティン&デビッド・テイラー著
1994年出版の本です。

はっきり覚えてませんが、2000年代に入ってどこかのブック・オフで買ったように記憶しています。
多分、かつてJR環状線鶴橋駅構内にあったブック・オフだったと思います。
値段は忘れました。

かつてブラックペルシャ猫の純血種と暮らしていたので、思わず反応しました。
ミンクです。
超々気が強い猫でした。
黒猫ベックのリアル母猫です。

ある意味、ミンクには「猫とはどんな存在か?」を教えられました。
もちろん全てではないですが。
ブラックペルシャの写真を見ると、ミンクを思い出しました。
ここにナイチンゲールがペルシャ猫をこよなく愛していた事が書かれています。

「生涯を通じて約60匹のペルシャ猫を飼い、当時の政治家グラッドストーン、ディズラレリ、ビスマルクらの名前をつけた」と記述があります。
最初に読んだ時、「生涯を通じて何故60匹も飼ったのは何故?」と思いました。
「看護師をしていたら忙しいだろうに?」とも思いました。
その後、前述のようにナイチンゲールが看護師として現場で活動していたのはクリミア戦争に従軍していた2年間だけと知りました。

クリミア戦争が勃発したのが1854年です。
ナイチンゲールが34歳の時です。

Wikipediaによると、ナイチンゲールは「37歳(1857年)の時に心臓発作で倒れてしまい、その後は慢性疲労症候群に由来すると考えられる虚脱状態に悩まされた。死去するまでの約50年間はほとんどベッドの上で過ごし、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった。」とあります。
「ベッドの上」という事は、ずっと在宅だったという事でしょう。
そこでナイチンゲールが数多くのペルシャ猫と暮らした事が理解出来ました。

ナイチンゲールにとって、猫は体調が優れない中での貴重なパートナーだったという事ですね。
すごく納得しました。

「お母さんが喜びそうなことは?」

何でしょうね?
分からないです。

分かりませんが、「生きていること」かなとは思います。
何と言うか、「生きてなんぼ」です。
大病を経験して、心から「生きていることに感謝」するようになりました。

ダイソーで買いました。
セイカ食品「ボンタンアメ」

ダイソーでは、4粒入りが2個100円のコーナーにあります。
前から売ってたかもしれないですが、僕が利用している何店舗かある中では置いているのは1店舗だけでした。

ボンタンアメ(文旦飴)、九州で生まれ育った人ならば馴染み深いお菓子だと思います。
祖母が好きだったので、子供の頃からよく食べていました。

大阪(関西)でも昔より見かけるようになりました。
ただ、それでも決してメジャーなお菓子ではないと思います。

昨年1月にAmazonで10箱(14粒×1)セットを買って以来です。
昨年は、そのうちの何箱かは神戸の叔母にあげました。
叔母も九州で生まれ育ったので、懐かしげに食べていました。

毎日書いています。
アメブロアプリでYouTube動画が貼れないエラーです。
今日も終日ダメでした。

日にちがかなり経ってもダメなのは、アプリそのものだけでなく、YouTubeの細かい修正にアメブロが対応しきれてない気がします
本当に早く対応してほしいです。