いま待ち遠しいことは?

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「忠犬ハチ公の日」
忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会が制定。
晩年のハチ

ハチ公は1923年(大正12年)生まれの秋田犬で、翌1924年(大正13年)から東大農学部の上野英三郎博士に飼われた。
博士の存命中は渋谷駅まで博士の送り迎えをしていたが、1925年(大正14年)に博士が急死したあとも毎日駅前で主人の帰りを待ち続けた。
ハチ公像(1954年)

その一途な姿から忠犬と呼ばれるようになり、1934年(昭和9年)に渋谷駅前に銅像が建てられた。
銅像の除幕式にはハチ公自身も出席したが、翌1935年(昭和10年)3月8日に死んでしまった。

ハチ公の銅像は第二次大戦中に供出され、現在のものは1947年(昭和22年)に再建されたものである。
ハチ公の日には、渋谷及び生地の秋田県大館市で慰霊祭が行われる。
(雑学ネタ帳より)

「いま待ち遠しいことは?」

待ち遠しい事は無いですね。

病気してからは、先々の事に対して予定を立てないようにしています。


ちょっと気になったニュースです。

阪神に2016年から4年間在籍…208登板で13勝、96セーブをマーク
元阪神のラファエル・ドリス【写真:荒川祐史】

独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスは8日、元阪神のラファエル・ドリス投手の獲得を発表した。
背番号は「98」。
ドミニカ共和国出身で、阪神には2016年から2019年まで在籍した。

36歳右腕は阪神で通算208試合に登板。
13勝18敗、96セーブ、28ホールド、防御率2.49をマークした。
2017年には37セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得した。

阪神退団後は、ブルージェイズで2020年に24登板、2021年に39試合に登板した。
メジャー通算103登板で12セーブを挙げている。
昨年はメキシコリーグのプエブラ・パロッツでプレーした。

ドリスのコメントは以下の通り。 
「日本に来るのは2019年以来の5回目になります。また日本に戻ってきて野球ができることに大変嬉しく思います。フィジカル面も健康で阪神タイガースでプレーした5年前と変わらないのでNPBでまた投げられるようにアピールしていきたいと思います」

高知は定岡智秋監督が指揮を執る。
OB選手にはロッテの角中勝也外野手、阪神・石井大智投手、ソフトバンク藤井皓哉投手、楽天・宮森智志投手らがいる。
(以上引用)

ラファエル・ドリス、懐かしい名前です。
『36歳右腕は阪神で通算208試合に登板。13勝18敗、96セーブ、28ホールド、防御率2.49をマークした。2017年には37セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得した。』

こうして数字で見ると、ドリス投手は本当に良いクローザーだったのが分かります。
ドリス投手がいた時は、確かに彼が投げれば大丈夫という空気感がありました。

2020年以降も阪神タイガースは契約を希望していたけど、ドリス側がメジャーとの契約を選んだと記憶しています。
阪神ファンとしては、残念でした。

2020年は、新型コロナウイルスが発生した年です。
メジャーリーグベースボール(MLB)も大きな影響を受けました。

オープン戦は中止になり、開幕も延期になりました。
結局、開幕は7月23日になりました。
その年のメジャーリーグのレギュラーシーズンの試合数は、60試合になりました。

そんな年にメジャーリーグで投げたドリスです。
60試合で24試合に登板したという事は、かなり重要な戦力として使われたと言えます。
2021年も39試合に登板していますが、故障者リストに入ったりと尻すぼみな結果になっています。

2022年は、ホワイトソックスとのマイナー契約でした。
同年9月に放出されています。
そして、2023年はメキシカンリーグで投げていました。

↑の数字等は、引用したニュースを見た後にWikipediaで確認しました。
ドリスがメジャーリーグで活躍出来たのは、短期間です。

本人の「日本に来るのは2019年以来の5回目になります。また日本に戻ってきて野球ができることに大変嬉しく思います。フィジカル面も健康で阪神タイガースでプレーした5年前と変わらないのでNPBでまた投げられるようにアピールしていきたいと思います」がどこまで信頼出来るかは、何とも言えないです。

恐らく、NPBの球団の中にはドリスが四国アイランドリーグplusでどれだけ投げられるかを見て獲得を検討する所があるでしょう。
中継ぎ投手や抑え投手が欲しい球団は、あると思います。

実際に投げてみないと分かりませんが、ヤクルトスワローズは調査するかもしれないです。
試合後半のピッチャー不足のヤクルトです。

今日は、こちらのミュージシャンの誕生日です。
ジュリアン・レノン (Julian Lennon)
1963年4月8日生まれ、61歳。
ジョン・レノンと先妻シンシア・レノンとの子供です。
1984年に1stアルバム「ヴァロッテ (Valotte)」でデビューしました。
当時、大物プロデューサーのフィル・ラモーンが手がけた事も話題になりました。
もちろん、ジョン・レノンの息子という事が一番の話題でした。

「ジョン・レノンの息子」という期待値が高かったせいか、アルバムは「全米17位、全英19位」と中ヒット止まりでした。
聴く側が求め過ぎたと思います。

デビュー曲です。

Julian Lennon / Valotte

初めて聴いた時、僕は中学生でした。
ゾワッときたのを覚えています。
もう40年前になります。

フィル・ラモーンのプロデュースは、今聴けばジョン・レノンに寄せていたのが分かります。
シンプルに良い曲です。

1985年の初来日ライブに行きました。
日本でもこのユニオン・ジャックのノースリーブTシャツを着ていました。

最後にこちらを。

Julian Lennon / Imagine

父ジョン・レノンの代名詞と言える名曲です。
ある意味、ジョン・レノンのパブリック・イメージでもあります。

↑は、2022年4月にウクライナ支援キャンペーン、「Global Citizen」でのパフォーマンスです。
横でギターを演奏しているのは、元エクストリームのヌーノ・ベッテンコートです。

ジュリアン・レノンの「Imagine」からも曲のメッセージが伝わってきます。
すごく良いです。

40歳で亡くなったジョン・レノンの息子ジュリアンが61歳です。
年月は過ぎていくものだと改めて感じました。