何色のランドセルがタイプ?
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「ランドセルの日」
ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の革細工職人・増田利正さんなど、ミニランドセルの制作者らが制定。
日付はこの日が卒業式の頃であり、そして「3+2+1」が小学校の修業年数の「6」になることから。
6年間ありがとうの意味も込められている。
6年間の思い出をいっぱい詰め込んだランドセルに感謝の気持ちを表す日。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240321/00/forever-j/e5/a0/j/o1080071715415533889.jpg?caw=800)
教室の机に掛かるランドセル
※ランドセルについて
ランドセルは、日本の多くの小学生が通学時に教科書・ノートなどを入れて背中に背負う鞄である。
色は男子は黒、女子は赤が主流であるが、その他、ピンク、茶、紺、緑、青などカラフルな色の物も発売されている。
江戸時代(幕末)、幕府が洋式軍隊制度(幕府陸軍)を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされたバックパック「背嚢」(はいのう)のオランダ語呼称「Ransel」(「ランセル」または「ラヌセル」)がなまって「ランドセル」になったとされている。
明治時代以降、本格的な洋式軍隊として建軍された帝国陸軍においても、歩兵など徒歩本分者たる尉官・准士官・見習士官、および下士官以下用として革製の背嚢が採用された。
通学鞄としての利用は、官立の模範小学校として開校した学習院初等科が起源とされている。創立間もない1885年(明治18年)、学習院は「教育の場での平等」との理念から馬車・人力車による登校を禁止、学用品を入れ生徒が自分で持ち登校するための通学鞄として背嚢が導入されたが、当初はリュックサックのような形であった。
1887年(明治20年)、当時皇太子であった嘉仁親王(後の大正天皇)の学習院初等科入学の際、初代内閣総理大臣・伊藤博文が祝い品として帝国陸軍の将校背嚢に倣った鞄を献上、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったとされている。
(雑学ネタ帳より)
「何色のランドセルがタイプ?」
(ニッポン放送 NEWS ONLINEより)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240321/01/forever-j/59/9c/j/o0680045415415541808.jpg?caw=800)
僕が小学生だった1970年代(昭和50年代)、ランドセルの色は男子は「黒」、女子は「赤」でした。
「黒·赤」以外のランドセルで小学校に来ていた同級生はいなかったように記憶しています。
そして、多くの児童のランドセルは牛革でした。
合成皮革(クラリーノ)のランドセルはあったけど、少数だったように記憶しています。
ランドセルで思い出しました。
1月末の記事ですが、こちらを。
↓
(デイリースポーツ)
ダウンタウン浜田雅功が27日にMBSで放送された「ごぶごぶ」に出演。
シンガーソングライターのaikoと、大阪でロケを行った。
大阪出身のaikoの聖地を巡る企画の後編。aikoのデビューのきっかけとなったコンテスト優勝時、在学中だった大阪音楽大学へ向かう。
正門で浜田に手渡されたのは黒のランドセル。「せっかくやから当時のスタイルで…」というスタッフに「うそやろ!?」と言いつつ背負う浜田。
aikoはクラシックを学ぶ生徒がほとんどの音大にランドセルで通い、変な子が入学してきた!と言われたという。
aikoも赤のランドセルを背負い、27年ぶりにキャンパスを歩く。
ふたりはポピュラーボーカル科の校舎へ。ここでaikoが差し出したのはロリータファッションの定番アイテム、白のフリフリのヘッドドレス。
当時はランドセルにロリータファッションで通っていたという。
「…カンベンしてくださいよ」と言う浜田に、aikoはヘッドドレスを装着。顎の下で丁寧にリボン結びし「かわいい~♪」と言うaikoに、「おまえ、やりたい放題やな!!」と浜田。
さらに、通学で利用していたスクーター・ベスパと共に記念写真を撮影。
ここで「せっかく来たんやからちょっと顔出せへん?」「先輩やで?なぁ!」と浜田。
とっさにえらい人の了解を得て、ロリータ頭のまま、ずんずん校舎の中へ。
コンサートの練習中という授業中に突入すると、悲鳴をあげて喜ぶ生徒たち。レジェンドの大先輩・aikoに号泣する生徒もおり、全員で正座してふたりを拝み倒していた。
そんな後輩たちと記念撮影後、興奮冷めやらぬ生徒たちとハイタッチするaiko。
浜田は授業中だった先生にフリフリの付いた頭を下げてご挨拶していた。
(以上引用)
MBSの「ごぶごぶ」は、番組自体は2007年に開始しています。
↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%81%B6%E3%81%94%E3%81%B6
昔から見たり見なかったりの番組です。
ゲストによって見る見ないを判断している形です。
aikoさんゲストの回は、見ました。
普段から関西弁は出ているaikoさんですが、関西ローカルで相手が浜田雅功さんという事でいつも以上に関西弁が強めでした。
それはいいとして、大阪音楽大学でのやり取りです。
↓
『ふたりはポピュラーボーカル科の校舎へ。ここでaikoが差し出したのはロリータファッションの定番アイテム、白のフリフリのヘッドドレス。当時はランドセルにロリータファッションで通っていたという。「…カンベンしてくださいよ」と言う浜田に、aikoはヘッドドレスを装着。顎の下で丁寧にリボン結びし「かわいい~♪」と言うaikoに、「おまえ、やりたい放題やな!!」と浜田。さらに、通学で利用していたスクーター・ベスパと共に記念写真を撮影。』
「ごぶごぶ」を見た事がある人は分かると思います。
ロケはある程度の流れは決まっているものの、浜田雅功さんの無茶振りで度々予定が変わります。
そこが面白いところでもあります。
逆に言うと、浜田雅功さんが内容を事前にあまり聞いていないという事でもあります。
aikoさんがランドセルとヘッドドレスを浜田さんに付けさせたのも内容を聞いていない事を逆手に取っていたと言えます。
ネットニュースに載っていた写真です。
ちょっと昔を思い出しました。
ランドセルを使っている人はさすがにいなかったけど、仕事柄ロリータ・ファッションの販売をしている友人は何人かいました。
当然、ガチのロリータ・ファッションです。
仕事が終わってご飯を食べに行く事もありました。
僕は友人の服はいつも通りで普通に見えたけど、知らない人が見たらけっこう目立っていたと思います。
今は変わってきていると思いますが、ロリータ・ファッション好き=ヴィジュアル系バンド好きのイメージはあるような気がします。
でも、昔はヴィヴィアン・ウエストウッドの影響からパンク・ロック好きな人が多かったです。
まあ、僕の友人がそうだったからかもしれないですが。
その頃のロリータ・ファッション好きの友人が今どこで何をしているかは知らないです。
連絡先も分からないし、共通の友人だった人とも交流がありません。
再会する事はまずないですが、もし会えばお互いに「オジサン(オバサン)になったな」と思うでしょう。
でも、恐らく年齢より若く見えるはずです。
という事で、ベタなパンク・ロックの曲で終わります。
Sex Pistols / Pretty Vacant
セックス・ピストルズ、唯一のスタジオアルバム「Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」(1977年)収録の曲です。
アルバムの邦題「勝手にしやがれ!!」でよく知られていると思います。
1977年という事は、昭和52年です。
リリース当時、まだ僕はランドセルの小学生でした。
初めてセックス・ピストルズを聴いたのは、たしか高校生の頃でした。
よく覚えていないけど、パンク・ロックを好んで聴くようになったのは大学生以降でした。
パンクをよく聴くようになって、ピストルズよりラモーンズやクラッシュの方が好きになりました。
とはいえ、今でも時々聴いています。
良いバンドかどうかは正直微妙だけど、パンク・ロックの先駆者だった事は間違いないです。
良い曲も多いです。
オマケ
Sex Pistols / Pretty Vacant
1996年の再結成ツアーのライブ映像です。
当時、めちゃくちゃ話題になりました。
僕は、大阪IMPホールでのライブに行きました。
見たら(聴いたら)すぐに分かりますが、バンドとしてクオリティがすごく上がっています。
今日も昨日に引き続きかなり寒いです。
真冬に着るダウンブルゾンでちょうどよかったです。
週間予報を見る限り、恐らく着るのは今シーズン最後になると思います。