新撰組で好きな隊士はいる?

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「新撰組の日」
僕が記念日関連で引用する事が多い「雑学ネタ帳」では、3月13日が「新撰組の日」となっています。
また、3月13日のWikipediaでもこの日が「新撰組の日」となっています。

そこで、今日はこちらのコラムを紹介します。
Yahoo!ニュースで「エキスパート」認定されている、歴史作家·時代考証家の山村竜也さんが書かれています。


新選組の隊旗

2月27日は「新選組の日」であると、一部ネット上で書かれている。文久3年(1863)2月27日が、新選組の結成された日であり、それを記念して「新選組の日」に認定されたというのである。

しかし、これはまったくの間違いなのだ。
2月27日は新選組が結成された日でも何でもなく、単なる誤りで記念日が認定されてしまったに過ぎない。
なぜそんなことになったのか――、「新選組の日」に関する状況を整理してみよう。

※間違った理由がようやく判明した
新選組が結成された日とみなされるのは、正しくは彼らが京都守護職・松平容保のお預かりとなった文久3年(1863)3月12日、もしくは13日であるべきだ。
2月27日のほうは何の日でもないとはいっても、何かはしたのだろうと思われるだろうが、信じがたいことに本当に何もしていない日なのである。

ならばなぜ、この日が「新選組が結成された日」などとされたのだろうか。
私も頭を悩ませたが、ようやくその理由がわかった。
『国史大辞典』(吉川弘文館)の「新選組」の項目に、こう書いてあったのだ。

「京都に残った浪士組は、文久3年2月27日に京都守護職松平容保の監督下に入り――」

これは、内容的にまったく間違っている。
本当に2月27日に松平容保の支配下に入ったのなら、それを新選組の結成日とするのに問題はないが、そういう事実はどこにもない。
異説としても見当たらないのだ。

おそらくは単なる間違いなのだろう。
そして、記念日を認定する団体も、『国史大辞典』が日本史の事典として権威のある本であることから、無条件に内容を信じてしまったもののようだ。

よりによって、たまたま記述が誤っている箇所を見て、「新選組が結成された日」を認定してしまうとは…。
困った話もあったものだ。

※新選組が誕生した日は
では新選組が結成された日、すなわち新選組が誕生した日はいつと見なすべきだろうか。

幕府が将軍上洛の護衛のために募集した「浪士組」は、文久3年2月23日に京都に到着したが、浪士組の首謀者の庄内浪士・清河八郎がその夜突然裏切った。
自分たちの真の目的は幕府のためではなく、天皇のために尽くすことにあると、一同を前に宣言したのである。

そして3月3日、浪士組は江戸に帰って外国との戦争にそなえよという命令を、朝廷から出させることに清河は成功した。
230人余りの浪士組の者は驚いたが、清河の巧みな弁舌に乗せられて大半はそのまま江戸に帰還することになる。

しかし近藤勇ら20人ばかりの者は、将軍警護という本来の目的をまだ果たしていないといって反対し、浪士組を脱退して京都に残る道を選んだ。
彼らは3月10日、京都守護職をつとめる会津藩主・松平容保を頼り、自分たちが京都に残留することを許可してもらいたいと願い出た。

この願いが聞き届けられたのは、3月12日深夜のこと。
近藤が故郷にあてた手紙に、こう書かれている。

「十二日夜九つ時、ようよう願いの趣意お聞き済みにあいなり、会津公お預かりとあいなりおり候」

壬生村で待機する近藤らのもとに、おそらくは会津藩の使者がやってきたのだろう。
使者がもたらしたのは、近藤らを会津藩のお預かりとする、つまり臨時雇用するという吉報だった。

夜九つ時というのは、深夜0時のこと。
なぜそんな時間に知らせが届けられたのかというと、翌日の13日に浪士組本隊が江戸に向かって出発することが決まっていたからだ。
だからそれまでの間に、近藤らの身分を確定させてやる必要があったのだった。

ちなみに深夜0時ならば、12日とみなすのか、13日とみなすのかという問題がある。
現代的に考えれば0時から日が改まるのだから13日となるが、江戸時代の一般的な考え方ではまだ12日のうちになるからだ。

ここは当時の慣習に従い、近藤らの会津藩お預かり決定は12日とみなすのが適切というべきだろう。
すなわち新選組が誕生したのは3月12日――。
この日をもって「新選組の日」と認定するのが、最も正しい考え方ということになる。

記念日認定団体の方々は、一刻も早く「新選組の日」を改めていただき、来年からは2月27日に無意味に騒ぐことのないようにお願いしたいものである。
(以上引用)

「新撰組で好きな隊士はいる?」
↑のコラムを引用しましたが、実のところ僕は新撰組に関する知識はゼロに近いです。
でも、そんな新撰組の事を知らない僕でも理解出来る分かりやすい文章です。
すごく納得しました。

アメブロの「今日は何の日?」は、時々こうした確認が甘い(確認不足な)事がありますよね。
確認はすぐに出来る事なのに?と思います。

高校3年になった時、社会科は受験に合わせて選択出来ました。
高2では、「世界史」と「日本史」両方授業がありました。

テストの成績は、圧倒的に「世界史」が良かったです。
なので、高3では世界史を学びました。
世界史の先生(当時20代後半の男の先生)は、僕がUKロック好きになるきっかけとなったThe Smithsを教えてくれた人です。
立花ハジメやジム・ジャームッシュも教えてくれたりして、僕のサブカル好きのベースになりました。

世界史の成績が良かったのは、そのおかげかもしれないです。
マジで世界史の成績は良かったです。

文系だったので、受験は世界史に特化しました。
今とは、カリキュラムが違うと思います。
僕が高校生の時は、日本史は高2までで大丈夫でした。
 
もし、高校でちゃんと日本史を学んでいたら新撰組の事にも興味を持ったかもしれないです。
もちろん、興味を持たなかった可能性もあります。

今日は、最高気温が10℃ちょっとだった大阪です。
朝から風が強く、実際の気温よりかなり寒く感じました。
先週末からずっと寒い大阪です。

感覚的にはかなり寒いです。
でも、寒い所に住んでいる人たちから見たら「寒いうちに入らない」でしょうね。

↑で高校生の時に世界史の先生に教えてもらった映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」です。
監督はジム・ジャームッシュ、主演はミュージシャン(サックスプレイヤー)のジョン・ルーリーです。
1984年公開(日本では1986年)の作品です。

僕は、1987年に見たように記憶しています。
たしかレンタルビデオで見ました。
それまで洋画=ハリウッド映画という風に認識していました。

よく分からない部分も多かったけど、それ以上にものすごいかっこ良さを感じました。
ある意味、衝撃を受けました。

Jim Jarmusch - Stranger Than Paradise (日本版予告)

「ジム・ジャームッシュが監督した長編映画第2作であり、商業映画としては初の監督作品となった。全編を通してモノクロで撮られたデッドパン(無表情)喜劇である。ワンシーン、ワンカット、固定カメラで撮影された。構成は全部で3つに分かれ、ニューヨークを舞台にする『The New World,』、クリーブランドを舞台とする『One Year Later,』、フロリダを舞台とする『Paradise,』より成る。」
(ストレンジャー・ザン・パラダイス、Wikipediaより)


これまで4回くらい見ています。
ただ、最後に見たのは20年くらい前です。

ジム・ジャームッシュは、僕がまだ洋画をよく見ていた頃にハマった映画監督です。
何気にこの映画が面白いです。
「Ghost Dog: The Way of the Samurai」
1999年公開の「ゴースト・ドッグ」です。

アメリカ、ドイツ、フランス、日本の合作映画です。
武士道精神を説いた書物「葉隠」を愛読するNYの殺し屋ゴースト・ドッグと年老いたイタリア系マフィアとの対決を描いている映画です。
武士道を敬愛する殺し屋という設定が面白いです。

(僕は見ていませんが)、「ラストキング・オブ・スコットランド (The Last King of Scotland)」(2006年)で第64回(2006年度)ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)、第79回(2006年度)アカデミー賞主演男優賞を受賞したフォレスト・ウィテカーが主演です。

ブログに書いていて久しぶりにジム・ジャームッシュの映画を見たくなりました。
ジム・ジャームッシュ作品のいくつかは、U-NEXTで配信されています。
契約してないから見られません。
31日間の無料トライアルもありますが、本契約する気は無いから試さないと思います。

という事で、今日はこちらの曲を。

Screamin' Jay Hawkins / I Put A Spell On You

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の主題歌です。
アメリカのブルース·R&Bミュージシャン、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの曲です。

CCR(Creedence Clearwater Revival)によるカバーが有名です。
というか、僕はCCRバージョンを先に知りました。

モノクロ画面にスクリーミン・ジェイ・ホーキンズの歌がすごく合っています。
ブログを書く前にYouTubeで聴き入ってしまいました。