好きな鍋料理は?

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「鍋の日」
愛媛県伊予市に本社を置き、鍋料理に欠かせないつゆなどを作っている食品メーカーのヤマキ株式会社が制定。

日付はこの日が「立冬」(11月7日頃)になることが多く、冬の到来を感じる頃になることから。
冬に向かい鍋物がより美味しくなることをアピールし、家族で鍋を囲んで団らんを楽しんでもらおうとの願いが込められている。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
ヤマキの商品として、だしで味わう「だし屋の鍋」シリーズがある。
だし屋のヤマキだからこそできる、だしにこだわり、だしを活かした美味しい鍋つゆである。家庭では出せない美味しさが味わえ、だしが様々な具材の味を引き立ててくれる。
また、塩分は控えめで、最後までつゆが美味しい鍋ができる。
商品ラインナップには、豊かな魚介だしの香りとうま味が楽しめる「寄せ鍋つゆ」や、地鶏だしのうま味とコクが効いた「ちゃんこ鍋つゆ」のほか、「豚しゃぶ野菜鍋つゆ」「地鶏だし塩鍋つゆ」「黒豚だし醤油鍋つゆ」「あごだし塩鍋つゆ」などがある。
(雑学ネタ帳より)

「好きな鍋料理は?」
昨年は、肉系の鍋or魚系の鍋かを聞く質問でした。
そこで「水炊き」と書きました。

今年も「水炊き」としたいところですが、違う鍋にします。
こちらです。
「もつ鍋」です。

昨年選んだ「水炊き」と同じく、僕が生まれ育った福岡の代表的な鍋です。
↑は、S&BのHPからの写真です。
家で食べる鍋として紹介される事もあるけど、どちらかと言えば外食のイメージが強いです。

ちなみに、「もつ鍋」におけるいわゆる「鍋のしめ」は、こちらの麺が定番です。
「ちゃんぽん麺」です。 

これまで僕がもつ鍋を食べた時は、ほぼほぼ最後の〆はちゃんぽん麺でした。
この最後のちゃんぽん麺が本当に美味しいです。
とはいえ、かれこれ10年以上「もつ鍋」を食べた記憶はないです。

阪神タイガース、38年ぶりの日本一にひたっています。
いくつも記事があります。
どれも興味深く読んでいます。

1つ紹介します。

(東スポWEB)

シリーズ第5戦で気迫の投球を見せた阪神・大竹耕太郎

38年ぶりの日本一を果たした阪神でシーズンから先発陣の一角を担ったのが大竹耕太郎投手(28)だ。
ソフトバンクから現役ドラフトで加入した6年目左腕は崖っぷちからチームトップの12勝を挙げて大ブレーク。
日本シリーズでも第5戦で5回1失点の力投を見せて勝利を呼び込んだ。
そんな苦労人が今季全試合でバッテリーを組んだ坂本誠志郎捕手(29)、早大の大先輩である岡田彰布監督(65)への熱き思いをつづった独占手記を寄せた。

日本シリーズはソフトバンク時代の2018年に一度経験しましたが、先発した2日の第5戦は、自分の中でも全く意味合いの違うものでした。

大事な1試合を任され、何とかその期待に応えたい。
緊張もありましたが、それを上回る充実感がありました。
どういう状態でも試合をつくるとか、失点を最小限にして粘るとか。
それだけは絶対に最後までやり抜こうと。
登板前からそこだけはブレずに、と思って臨みました。
先制を許し、5回1失点とリードされた状態で降板となりましたが、今持っている自分の力は出すことができたのではないかと思っています。

阪神入団の1年目から日本一という最高の経験をさせてもらい、仲間への感謝は尽きません。

中でも公式戦、ポストシーズンと全試合でバッテリーを組んだ坂本さんとの出会いは、自分にとってもすごく大きなものとなりました。

投手としての自分は、性格的に疑いや不安がある中で投げた球は「打たれる」と思い込む傾向があり、どちらかといえば、自分が信じた球を「正しい」と思って投げたいタイプ。
1年間を通じ試合中のベンチでは、根気強くコミュニケーションをとり続けてくれました。

試合中は、だいたい僕から「次の回、こう投げたいんですけど、どう思いますか?」と配球に関する問いかけをして。
それに坂本さんが応じてくださり、いろいろな視点を踏まえ、リードを考えてくれました。
常に2人で配球を模索しながら目の前の回を迎えることができたことは、とても心強いものでした。
今季は自分でも投球の幅が広がったなと思います。
これまでで一番、捕手としゃべったシーズンになりました。

もう一人は岡田監督です。
早大の大先輩でもあり、本当に一人ひとりを見てくださる監督だと思います。
コミュニケーションこそじかにはとらないですが、自分のことを見てもらえている感覚は常にありました。
他の選手もそうだと思いますが、練習や試合で自分しか気づいていないようなちょっとした調子の良しあしも、しっかり見てくださっている。
ここ2、3年は、そういうものを全く感じることができないシーズンを送りましたし、常に背中を押してもらえている感覚がありました。

思い出されるのが2月のキャンプです。
監督さんはミーティングで「選手全員、どうにか稼げるように。絶対できるから」と。
僕はまだ阪神に入団したばかりで、まだ1球も貢献できていない2月の最初にその話をしてくださり「自分もいけるんじゃないか」といい意味での〝勘違い〟させてもらい、その信頼に応えたいと思って、ここまで必死に腕を振ってきました。
結果的に初めて年間を通じ、先発として働くことができた経験は今後の野球人生に大きな財産となりました。

来年以降も飛躍のきっかけを与えてくださった監督の信頼に応えられるよう、さらに精進を重ねていけたらと思っています。
1年間、応援ありがとうございました。(阪神タイガース投手)
(以上引用)

独占手記となっていますが、原稿からではなくQ&A形式で答えた感じがする記事(文章)です。
しっかりとした答えなので、独占手記として記事にしたのでしょう。

昨年初開催された現役ドラフトでソフトバンクホークスから阪神タイガースに移籍した大竹耕太郎投手です。
ソフトバンクの選手の事はあまり知らないけど、セ・パ交流戦で阪神タイガースに勝ったから大竹耕太郎投手の事は知っていました。(確認したら、2019年の交流戦でした)

今シーズン、大竹投手は12勝2敗と貯金を10個作りました。
良いピッチャーだと思っていたけど、ここまで大活躍してくれるとは考えていませんでした。
期待以上の活躍をしてくれました。

記事を読むと、大竹投手はすごくクレバー(賢い)なのが分かります。
考えて投げていた大竹投手です。

熊本県で進学校として有名な済々黌高校出身の大竹投手です。
学歴がどうと断言するつもりはありませんが、流石だなと思いました。

TBSの山本恵里伽アナウンサーは、済々黌高校で大竹投手の2学年上です。
6月、news23で2人の対談がありました。
そこまでの面識はなかったみたいです。

山本恵里伽アナは、テレビで見ていたらけっこう背が高く見えます。
共演者と並んでいるのを見て思っていました。
公表されていませんが、164cmとの事です。

そんな山本アナが小柄に見えます。
大竹投手は、184cmです。
やはりプロ野球選手は体格がすごいですね。

現在、山本恵里伽アナはnews23の金曜を担当しています。
阪神タイガースの日本一に大きく貢献した大竹投手との再対談を期待しています。

昨日、前回タイガースが日本一になった1985年のヒット曲としてティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」を紹介しました。
今でも好きな良い曲です。

あと、1985年と言えばこちらの曲も思い出します。

USA For Africa / We Are The World

USA for Africa, United Support of Artists for Africa)は、1985年にアメリカのスーパースターが一堂に会したプロジェクトの名称。
当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソングである「ウィ・アー・ザ・ワールド」をリリースした。

1984年、ボブ・ゲルドフの呼びかけでイギリスのスーパースターたちが集まり、アフリカの飢餓救済のためのプロジェクト「バンド・エイド」を結成。
大きな話題を呼び、チャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」が大ヒットする。

これに触発された形でハリー・ベラフォンテがアメリカで同様のプロジェクトを作ることを提唱する。
呼びかけたのはまずライオネル・リッチー。
そこからマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら数々の大物アーティストが芋づる式に呼びかけに応じ、最終的に集まったアーティストは45人に達した(主な参加アーティストはウィ・アー・ザ・ワールドの項を参照)。
参加アーティストは全員が無償で参加している。

マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で曲を書き、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの下、1985年1月28日にレコーディングが開始された。
プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称とのダブルミーニングで「USAフォー・アフリカ」と名付けられ、3月8日、「ウィー・アー・ザ・ワールド」をリリース。
世界的な話題を呼んだこの曲は瞬く間に世界各国でチャート1位を記録した。
しかし日本では、通常盤(7インチ盤)と12インチ盤とで売り上げ集計が分散されたこともありオリコン週間シングルチャート最高位は第2位であった(通常盤と12インチ盤を合計すれば同チャート1位相当、同12インチ盤が2位だった週の第1位は小泉今日子の「常夏娘」)。

「ウィー・アー・ザ・ワールド」はシングルとアルバムの両方がリリースされた。
また2004年には制作ドキュメンタリー映像「We Are The World THE STORY BEHIND THE SONG」のDVDがリリースされている。
(USA For Africa、Wikipediaより)

1985年の洋楽のヒット曲と言えば、やはりこの曲を思い出します。
3月、僕は12インチレコードを買いました。
繰り返し聴いたのを覚えています。

今でもYouTubeで時々聴いています。
当時の意義と世界の現状は別として、38年経った今でもシンプルに良い曲だと思います。