昔ハマっていたゲーム教えて!

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「ファミコンの日」
1983年(昭和58年)のこの日、任天堂から家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピュータ(Family Computer)」が発売された。
日本国内での略称・略記は「ファミコン・FC」。型番は「HVC-001」で、「HVC」は「Home Video Computer」の略である。
当時のメーカー希望小売価格は14,800円であった。

発売後、徐々に人気となり1年間で300万台以上を販売した。
その後、『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)や『ドラゴンクエスト』(1986年)などの人気ソフトで爆発的にヒットし、4年足らずで1千万台を突破した。
最終的な出荷台数は全世界累計で約6,291万台を記録した。
内訳は日本国内で約1,935万台、日本国外で約4,356万台となっている。

ゲームにのめり込むあまり、現実生活に対する興味が薄れる「ファミコン・シンドローム」という心の病も現れた。
1989年(平成元年)に携帯型ゲーム機「ゲームボーイ(Game Boy)」、1990年(平成2年)に次世代機である「スーパーファミコン(SUPER Famicom)」が登場した。

また、2016年(平成28年)には『アイスクライマー』(1985年)や『グラディウス』(1986年)、『ゼルダの伝説』(1987年)など30本のソフトを内蔵し、オリジナルの筐体を小型化したデザインで復刻した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ(Nintendo Classic Mini)」が発売された。
2023年(令和5年)にファミコンは発売されて40周年を迎えた。
(雑学ネタ帳より)

「昔ハマっていたゲーム教えて!」
ファミコンは持ってなかったです。
欲しいと思っていたような気はするけど、結局買わなかったです。
お年玉で買う事も無かったし、親にねだる事もしませんでした。

大人になって中古でスーパーファミコンは買いました。
1995年くらいです。
花札ゲームをしたくて買いました。

で、買った花札ゲームはつまらなくてすぐに放置しました。
その後、こちらのゲームにハマりました。
アスキー「ダービースタリオン 96」

競馬シミュレーションゲームです。
大人気のゲームでした。

当時、競馬は馬券も買って楽しんでいました。
その流れでダビスタもやりました。
かなりハマりました。
攻略本も買って遊びました。
1頭だけ28戦28勝という最強馬を作る事が出来ました。

でも、段々とスーファミ自体やらなくなりました。
ダビスタ以外ハマる事はなかったです。

その後、大人気になったプレイステーションも中古で買いました。
いくつか遊びました。
思い返してみて、1つだけハマったなと思い出しました。
「栄冠は君に4」

パソコンゲームで人気だった高校野球監督シミュレーションゲームです。
プレイステーションに移植されて出たのが「4」でした。
野球をプレイするのではなく、高校野球の監督になってチームを育成するゲームです。

高校名は架空ですが、モデルになった学校名は推測出来ます。
有名な強豪校は、最初からある程度強く設定されていました。

僕は、あえて弱小高校を選んでプレイしました。
まあ、大部分の高校がパラメーターは低く設定されていたんですが。

かなり時間はかかるものの、段々とチームは強くなります。
その過程を含めてハマりました。
時間かけ弱小高校を強くして全国制覇させる事が面白かったです。

最初は、自分の出身高校をチョイスして遊びました。
全国制覇させる→最初から始めるを何度か繰り返しました。

元々あまりゲームをやらないせいか、飽きたらプレステから離れました。
ゲームボーイも持ってたけど、ハマる事はありませんでした。
結局、ハードで購入したのはプレステが最後です。

ゲームするならば音楽を聴く方を優先していました。
それは、スマホゲームが当たり前になってからも同様です。

変な話、自分でも何で?と思うくらいゲームをやらないです。
唯一やっているのは、課金無しでシンプルに勝負するだけの花札ゲームです。

何と言うか、ゲームが嫌いとかでは全くないです。
ゲームに情熱をかける人と同じで、僕は音楽に情熱をかけた形です。
なので、今後もしかしたらゲームにハマるかもしれないです。

当然でしょう。

(共同通信)

多度大社の「上げ馬神事」で、坂に向かって駆け出す馬=5月、三重県桑名市


三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる「上げ馬神事」が動物虐待と批判を受けている問題で、神事を運営する氏子と大社は神事の内容見直しを決めたことが15日、大社への取材で分かった。

詳細は今後検討していく。


問題を巡り、県は6月の事故防止対策協議会で、馬が駆け上がる坂の勾配を緩やかにしたり、馬をたたく行為をやめたりするよう指導。

氏子と大社は今月7日、県や市と改めて協議し、内容を見直す方針を決めたという。

大社の担当者は「動物愛護の観点から、人も馬も安全な形で実施したい」と話した。


上げ馬神事は、馬が坂の上に設置された高さ約2メートルの土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う伝統行事。

最近十数年で馬計4頭がけがをして安楽死させられ「虐待ではないか」との批判が出ていた。

(以上引用)


この上げ馬神事の問題です。

テレビで映像を見た時、「マジでこんなすごい坂を上がらせてるの?」と思いました。


どう見てもおかしいです。

そして、周囲の参加者がそれに熱狂している事にも驚きました。

これまで「馬が可哀相だし、動物虐待に該当する」と誰も言い出さなかった事にも疑問を感じました。


内容の見直しを決めたって、「当然でしょ?」と思います。

というか、問題になってからも対応が遅いですよね。


何と言うか、対応の遅さや氏子や大社が批判に対して基本沈黙しているのは、本音では「自分たちは悪くない」と考えているように思われます。

もし反論すれば、めちゃめちゃ叩かれる事が確実だから黙っておこうというとなるのは、自然と言えば自然です。


『上げ馬神事は、馬が坂の上に設置された高さ約2メートルの土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う伝統行事』

農作物の豊凶を占うってね。

豊作が良いのは分かりきっているんだから馬が楽に行ける形にして何の問題があるの?と思います。


伝統行事(神事)は、「免罪符」にはなりません。

馬が犠牲になって豊作でも良い気持ちはしないです。


今日は、こちらのミュージシャン(故人)の誕生日です。

イアン・カーティス (Ian Curtis)
1956年7月15日 - 1980年5月18日、23歳没。
イギリス·マンチェスター出身のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのボーカルだったイアン・カーティスです。

『ジョイ・ディヴィジョンのヨーロッパ・ツアーを終了させ、アメリカ・ツアー目前の1980年5月18日に首を吊り自殺した。23歳没。遺書は見つかっていないが、持病のてんかんの悪化や、妻と愛人との問題などが理由とされている。歌い方はパンク・ロックの影響下にあった当時のバンドのボーカルとしては珍しく、腹の底から響く張りのあるバリトン・ボイスだった。内省的な歌詞とエキセントリックなパフォーマンスで、長い経済不況にあえいでいた1970年代後半のイギリスの若者たちから大きな共感を得た。』


僕がイアン・カーティス、ジョイ・ディヴィジョンを知ったのは、1992年あたりです。
イアン亡き後のメンバーが続けたバンド、ニュー・オーダーを知った流れで知った形です。
その時点では、そこまで聴く事はなかったです。

僕がよりジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーを聴くようになったのは、2000年代になってからです。
2002年のイギリス映画「24 Hour Party People」です。
映画自体はそうでもなかったけど、映像や音楽(サントラ)はめちゃめちゃ良かったです。

そこからジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーを聴きました。
思いきり後追いで聴いた形です。

ジョイ・ディヴィジョンは、今でも時々聴いています。
スマホにDLしているので、「24アワー・パーティ・ピープル」のサントラも聴いています。

という事で、こちらを。

Joy Divsion / Atmosphere

1980年のシングルです。
「24アワー・パーティ・ピープル」のサントラにも収録されています。
イアン・カーティスの響きのあるバリトンボイスが魅力的な曲です。

最後は、こちらで。

Joy Divsion / Transmission

1979年のデビューシングルです。
この曲もサントラに収録されています。 

イアン・カーティスのボーカルはもちろん、バーナード・サムナーのギター、ピーター・フックのベース、スティーヴン・モリスのドラム、4人全てが素晴らしいです。
本当にかっこいい曲です。