好きなコロッケは?

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「コロッケの日」
香川県三豊市に本社を置き、各種の冷凍食品の製造・販売を手がけ、全国の量販店、コンビニ、外食産業などに流通させて、日本一のコロッケメーカーを目指す株式会社「味のちぬや」が制定。

日付は庶民の味方として親しまれてきたコロッケを春の行楽シーズンに家族で食べてもらいたいとの願いと、「コ(5)ロ(6)ッケ」と読む語呂合わせから。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
※コロッケについて
コロッケは、明治時代の文明開化の中で日本に伝えられた西洋料理の一つで、そのルーツは、フランス料理の前菜の一つである「クロケット」(フランス語:croquette)であるとされている。
クロケットの「クロケ」(croquer)はフランス語で動詞「バリバリ食べる」の意味で、「クロケ」が訛って「コロッケ」という言葉が生まれたといわれている。

大正時代の末期から昭和時代の初めにかけて、コロッケを含む洋食が広く大衆に普及した。
現在では、精肉店などで販売されるほか、家庭でも調理され、庶民の味となっている。
また、冷凍食品としても開発が進み、手軽に美味しいコロッケを食べることができるようになった。
コロッケは、トンカツ、カレーライスとともに「大正の三大洋食」または「日本の三大洋食」とも呼ばれている。

日本独自の進化を遂げたコロッケは、日本国外でも日本の料理の一つとして紹介されるようになった。
日本国外に逆輸出される日本のコロッケは、日本語そのままに「Korokke」の名前で呼ばれている。
(雑学ネタ帳より)

「好きなコロッケは?」
(味の素HP、レシピ大百科より)
じゃがいもがゴロゴロと大きめなコロッケが好きです。
クリーム系のコロッケも良いけど、昔ながらのシンプルな「じゃがいも&ひき肉」のシンプルなコロッケが良いです。

家でじゃがいもを育てていたので、祖母がコロッケを作る事がありました。
じゃがいもを細かく潰さず、ゴロゴロした状態を残していました。
懐かしい味です。

昨夜は、すぐに眠れました。
YouTubeで音楽を聴いていて、2,3曲で寝ていました。

夜中の2時過ぎに目が覚めました。
水を飲んでトイレに行ってまた寝ようとしましたが、3時過ぎまで眠れなかったです。

スマホで花札ゲームをしているうちに眠くなりました。
起きたら6時を過ぎていました。
途中目が覚めたけど、寝起きは悪くなかったです。

朝食です。
「全粥」、「みそ汁」、「ツナと小松菜炒め」、「桃缶」、「ふりかけ」、「牛乳」

シンプルな朝ご飯です。
お粥にふりかけはちょっと微妙でしたが、ツナと小松菜炒めはまあまあでした。
朝食後の午前中は、持ってきた本を読んでいました。

昼食です。
「全粥」、「お好み焼き風卵焼」、「茄子の煮物」、「青菜のお浸し」、「キウイ」

以前の入院でも出てきたお好み焼き風卵焼です。
あまりソース味は強くないけど、病院食の中では美味しい方です。

今日も13時〜入浴(シャワー)しました。
他に予約がなかったので、時間丁度に入りました。
後ろに予約が有ったら25分過ぎに出るけど、誰も予約してなかったから逆に30分を少し超える時間に出ました。

昨日ほどではないけど、病院内ではやる事が少ないからシャワーも良い気分転換になります。
髪の毛が長いので、どうしても洗いたい気分になります。

髪の毛はドライヤーを使わず、タオル&自然乾燥で乾かします。
乾かした後、ヘアクリームで整えました。

今日は、15時過ぎに院内コンビニでカフェラテ&アイスで読書しました。
カフェラテは、ホットです。
森永製菓のパルム「ショコラミント」を食べました。
チョコミントアイス大好きです。
美味しかったけど、もっとミントが効いていたらさらに良かったです。

何度も読み返している向田邦子「女の人差し指」です。
向田さんのエッセイは、何回読んでも本当に良いです。

夕食です。
「全粥」、「牛肉の甘辛炒め」、「中華スープ」、「大根の甘酢和え」

牛肉の甘辛炒めとなっていますが、辛さ要素は0でした。
大根とシラスの甘酢和えは、お酢が控えめで食べやすかったです。

今日は、こちらのミュージシャンの誕生日です。
(左側の人です)
高浪慶太郎
1960年5月6日生まれ、63歳。
元ピチカート・ファイヴのメンバーだった高浪さんです。
ピチカート・ファイヴのオリジナルメンバーの1人です。
高浪さんは、1994年にピチカート・ファイヴを脱退しました。
2010年までは、高浪敬太郎名義でした。

ピチカート・ファイヴファン(ピチカートマニア)としては、初代ボーカル佐々木麻美子さん、2代目ボーカル田島貴男さん時代も良いです。
ですが、個人的には3代目ボーカル野宮真貴さんになってからのピチカート・ファイヴが最高に好きです。

ピチカート・ファイヴが小西康陽&野宮真貴の2人ユニットになってからの方が音楽的にもイメージ的にもトータル性は高まりました。
でも、音楽的にバラエティ豊かだったのは高浪さんがいた頃です。
僕自身は、野宮真貴さん加入後のピチカート・ファイヴは全部好きだからどちらが良いとは言えないです。

2年前、2021年9月の記事ですが、こちらを。

(Real Sound)


ピチカート・ファイヴの配信プロジェクト、「配信向けのピチカート・ファイヴ」が、9月22日にスタートする。

「その1」として配信されるのが「高浪慶太郎の巻」。

1985年のデビュー時から、小西康陽と共にオリジナルメンバーとして活動し、ピチカート・ファイヴの屋台骨をつくった高浪慶太郎が、1991年から1993年にかけて残した名曲13曲は、三代目ボーカリストに野宮真貴を迎え、渋谷系が盛り上がった時期とも重なる。

ここでは、現在は長崎に住みながら音楽活動を続ける高浪慶太郎と、9月21日にデビュー40周年を迎える野宮真貴に当時のピチカートを巡る状況と今回の配信曲についておおいに語ってもらった。

(以上、一部引用)


トータル3ページと少し長いので、冒頭だけ引用しました。

多少なりともピチカート・ファイヴに興味が有れば、すごく面白い記事です。

記事を読めば分かりますが、野宮さんは高浪さん作の曲を気に入っていたのが分かります。


2年前の今日も高浪さんの誕生日という事で、高浪さん作曲のピチカート・ファイヴ曲を紹介しています。

好きな曲だから同じでもいいかなと思いましたが、違うのにします。

1991年リリースのミニアルバム「超音速のピチカート・ファイヴ」からです。

Pizzicato Five / Tokyo's Coolest Sound


作詞が小西康陽さん、作曲が高浪敬太郎さんです。

野宮真貴さん加入初期の隠れた名曲です。

タイトル通りにクールな音楽です。


最後は、こちらで。

Pizzicato Five / ショック療法

作詞:高浪敬太郎・野宮真貴、作曲:高浪敬太郎
1992年リリースのアルバム「Sweet Pizzicato Five」収録の曲です。
ピチカート・ファイヴが渋谷系の筆頭格として注目される直前のアルバムです。

めちゃくちゃクールでおしゃれな曲です。

高浪さん作曲のピチカートの曲もすごく良いです。