好きな喫茶店の料理といえば?

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「喫茶店の日」
1888年(明治21年)のこの日、東京・上野(下谷上野西黒門町)に日本初の本格的なコーヒー喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」が開店した。

1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建ての洋館で、1階ではビリヤードの他、トランプや囲碁、将棋などをすることができた。
珈琲(コーヒー)は、明治の文明開化に花を添えるハイカラな飲み物として、特権階級の人々の間で人気があった。

「可否茶館」での値段は、もりそば1杯1銭の時代にコーヒーが1銭5厘、牛乳入りコーヒーが2銭だった。
また、席料が1銭5厘もした。
値段が高すぎたこともあり「可否茶館」は、3年もたずに閉店してしまった。

その後、1910年代の明治時代末から大正時代にかけて「カフェー」と呼ばれる喫茶店が全国的に普及し、日本において喫茶店ブームとなった。
1950年代後半には音楽も楽しむことができる「ジャズ喫茶」「歌声喫茶」「名曲喫茶」などが流行した。
このような喫茶店が登場・浸透した理由に、当時はレコードが高価で個人では購入が難しかったことが挙げられる。

1960年代から1970年代には、酒類を扱わない、純粋な喫茶店である「純喫茶」が流行した。
「純喫茶」は、酒類を扱い、女給(ホステス)による接客を伴う「特殊喫茶」に対する呼び名である。
店主自らがコーヒーを淹れるようなこだわりがある喫茶店が増えたのはこの頃からである。
上の写真は東京・神田神保町にある老舗の喫茶店「ミロンガ・ヌオーバ」である。
日本のタンゴ全盛期の1953年(昭和28年)に創業した「タンゴ喫茶」で、店内には哀愁を帯びたタンゴの音色が響き渡る。

関連する記念日として、喫茶店チェーン「コメダ珈琲店」を展開する株式会社コメダが「く(9)つ(2)ろ(6)ぎ」と読む語呂合わせから9月26日を「くつろぎの日」に制定している。
また、「コーヒー年度」の始まりの日に由来して、一般社団法人・全日本コーヒー協会が10月1日を「コーヒーの日」に制定している。
(雑学ネタ帳より)

「好きな喫茶店の料理といえば?」
今から20年ほど前、大阪梅田のとある百貨店で働いていました。
店員用食堂はありましたが、たいてい外に出て食べていました。

先日営業が終了した丸ビル(大阪第一ホテル)です。
地下の飲食店フロアに夜はバー、昼はランチをやっている店がありました。
丸ビルにはタワレコがあったので、CDを見に行った後そこでランチをする事がありました。

あと、建て替え前の富国生命ビルの中にあった喫茶店にもよく行ってました。
当時60代くらいのご夫婦がやっている店で、昔ながらの喫茶店でした。
ドリンク付きのランチを頼む事が多かったです。
店主のオバチャンは、アイスコーヒーを「冷コー」と呼んでいました。

で、その喫茶店でかなりの頻度で食べていたのが「焼肉定食」でした。
かなり昔の事なので、画像はありません。
代わりに、「喫茶店 焼肉定食」で画像検索しました。
近いイメージです。
京都にある喫茶店の焼肉定食です。
焼肉とサラダがワンプレートに乗り、みそ汁と漬物が付いていました。
喫茶店のランチの王道でした。

チェーン店には無い、単独でやっている喫茶店ならではの味でした。
めちゃくちゃ美味しかったです。

異動して行かなくなり、やがて富国生命ビルそのものが建て替えのために営業が終了しました。
人づてにビルの営業が終了する前に喫茶店は閉店したとは聞いていました。

喫茶店を紹介する様子をテレビで見ると、今でもあの喫茶店が懐かしくなります。
そして、あの焼肉定食をまた食べたくなります。

ギリセーフといったところです。

(デイリースポーツ)

8回、投手交代を告げる岡田(撮影・堀内翔)

「巨人1-2阪神」(12日、東京ドーム)

阪神が勝利したが、岡田監督の采配にファンが騒然となった。

7回完全投球を続けていた村上に、八回の攻撃で代打。
村上はプロ未勝利とはいえ、大記録への期待が高まっていただけに、左翼席からは「えーーーー」の声も響いた。

結果的に直後の八回、代わった石井が先頭岡本和に初球を捉えられ、まさかの同点ソロ被弾。岡田監督も苦笑いを浮かべた。

この岡田采配をどう見たか。
デイリースポーツ評論家・関本四十四氏は「俺は正解だと思った」と即答した。
理由については「回を追うごとに三振がなくなり、球威も落ちてきていた。(七回1死の)丸の打球(左飛)も紙一重だった」という。

村上は二回に岡本和から148キロ直球で三振に斬るなど、四回まで5奪三振。
だが、五回以降の3イニングは奪三振がなかった。
巨人ベンチも「五回くらいからバテだしていた」(大久保打撃チーフコーチ)と見ていたという。
七回、完全試合の状況で交代となり「もう捕まえられるってところも感じていた」とも語った。

この采配を巡り、ネットでは否定的な意見が目立つ。
「何で?」、「村上可哀想」、「一本打たれるまで見たかった」などの声が上がっていたが、関本氏は村上のコンディション面にも言及。
右肘を手術した経験などもあることから、「あと打者6人とはいえ、球数は84球。いけるところまでいって安打を打たれたら、という考えもあるかもしれないが、村上の将来を考えたことが一番だろう。先の、先まで考えていたと思う」と語った。

試合は延長十回に阪神が勝ち越し、接戦を制した。
岡田監督は「勝ったから良かったようなものの、頭の片隅には完全試合行けたんじゃないかと…」と笑いながらも、「(交代は)いや全然悩まんかった(笑)」と、うなずいた。
(以上引用)

昨日の試合は、出先でSportsnaviの試合経過を見てチェックしていました。
1球ごとの更新だから試合の流れは分かります。
ただ、選手の状態までは分かりません。

昨日の村上頌樹(しょうき)投手は、7回まで1人のランナーも出さないパーフェクトピッチングでした。
8回表に代打を出された時、「マジか!大丈夫なんか?」と思いました。

すると、8回裏に交代した石井大智投手が岡本和真選手への初球でホームランを打たれました。
速報を見て、「バッドタイミング過ぎ!」と思いました。

ですが、石井投手はその後はしっかり抑えました。
その後のピッチャーも良かったです。

10回表、近本光司選手が勝ち越しタイムリーヒットを打ちました。
最後は、湯浅京己(あつき)投手がヒットは打たれたものの、試合を締めくくりました。
最後は、radikoで中継を聴いていました。

試合後、岡田監督のインタビューを聴きました。
他の記事にあるように、「継投での完全試合が頭をよぎった」と言ってました。
相変わらず「まあ」とか「おーん」といった繋ぎ言葉が多かったけど、ピッチャー交代は悩まなかった事は伝わってきました。

昨日の岡田監督の采配については、賛否両論が出ています。
何と言うか、どっちの見方も正しく思えてきます。
紹介した評論家の意見も結果論としては、その通りだと思います。

昨日は、結果的に勝てたから良かったです。
岡田監督は、これから何度も難しい決断をしなくてはいけないでしょう。
岡田監督は、勝負カンは持ってると思います。

と書きましたが、ピッチャーがめちゃくちゃ頑張ってるんだから打てよと思います。
昨日も打っていれば余裕で勝てました。

今日は、こちらのミュージシャンの誕生日です。
アル・グリーン (Al Green)
1946年4月13日生まれ、77歳。

ソウル・ミュージック界の大御所の1人です。
「Let's Stay Together」(1972年)は、有名ですね。

僕自身は、そこまでアル・グリーンを聴いた事はありません。
知っている曲は、少ないです。
しかし、その知ってる曲はすごく好きです。
1988年の映画、「3人のゴースト」の主題歌です。

Annie Lennox & Al Green / Put A Little Love In Your Heart


欧米では、ある意味スタンダード化している曲の「Put A Little Love In Your Heart」です。

多くのミュージシャンが歌っています。


僕は、ユーリズミックスのアニー・レノックスとアル・グリーンのデュエットで知りました。

とにかく良い曲です。

「Put A Little Love In Your Heart」という言葉もすごく良いです。 


あと1曲、この映画で知りました。
1999年の映画、「ヴァージン・スーサイズ」です。
僕には映画は合わなかったけど、サントラはすごく良いです。

そのサントラで知った曲です。

Al Green / How Can You Mend a Broken Heart

アルバム「Let's Stay Together」収録の曲ですが、僕は「ヴァージン・スーサイズ」で知りました。
ビー・ジーズのカバーなのも後になって知りました。
邦題は、「傷心の日々」です。

カバーを先に知ったせいか、ビー・ジーズのオリジナルよりもアル・グリーンのカバーの方が好きです。
もちろん、ビー・ジーズも良いです。
泣きのボーカルというか、アル・グリーンの感情をためて歌うボーカルが実に良いです。