船でお出かけしたことある?
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「太平洋記念日」
マゼランは、その時「El Mare Pacificum(平穏な海)」と表現している。彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。
(Wikipediaより)
船で出かけた事は少ないです。
全くのゼロではないですが。
僕が子供の頃、父親は牛乳専門のタンクローリーの運転手をしていました。
雪印系列の会社だったので、乳製品の輸送車にも乗っていました。
どれくらいの頻度だったかは全く覚えていませんが、関西方面にも輸送していました。
で、2,3度くらい妹と一緒に関西に向かうタンクローリーに乗った事があります。
夏休みでした。
タンクローリーに乗ってそのまま陸路ではなく、カーフェリーでの移動でした。
絶対じゃないけど、恐らくこのタイプのフェリーです
「フェリーさんふらわあ」のHPでググりました。
昭和48年に就航したフェリーです。
「さんふらわあの歴史」を見て、年代的にこの船のはずです。
もう40年以上前の事です。
大分忘れてしまったけど、個室の2段ベッドで寝たように記憶しています。
子供心に楽しかったです。
大阪に付いて街中に入ると、神戸の叔母が僕たちを迎えに来ていました。
叔母の家で数日過ごし、後から来た祖母と共に福岡に帰るのがパターンでした。
「船でお出かけ」で思い出すのはこれくらいです。
乗る機会がありません。
今日は、こちらの人物の誕生日です。
向田邦子さんです。
ちょっと前にも書きました。
僕の個人的な見方ですが、向田邦子さんの書く文章は本当に美しいです。
良い意味で古き良き昭和を感じる向田さんの文章です。
「父の詫び状」は、本当に名作(名エッセイ)だと思います。
シナリオ本なので、読むとドラマの場面が目に浮かんできます。
向田さんが遺した猫に関するエッセイは、多少時代のギャップを感じるものの、猫に対する愛情を強く感じさせてくれます。
51歳の若さでした。
もし存命だったら、今日で92歳の向田さんです。
何とも言えないですが、充分に考えられる年です。
今年で亡くなって40年です。
今でも多くの人を魅了し続けている向田さんです。
黒柳徹子さんが語る向田さんの思い出話は、楽しい話が多いです。
向田さんが書いた黒柳さんとのエピソードを黒柳さんが語る時、黒柳さんは本当に楽しそうです。
それだけ絆が強かったと言えます。
という事で、こちらを。
「寺内貫太郎一家」オープニングテーマ
向田さんが原案・脚本を担当した昭和を代表する名作ドラマです。
今の価値観からしたら考えられない部分は多少あるけど、それでも心に響いてくるものがあります。