1800年の今日、伊能忠敬が蝦夷地(今の北海道)の測量に出発したんだって。

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「地図の日」
上にある通りです。

「タモリ倶楽部」では、たまに地図ネタ、地形ネタが放送されます。
見る分には面白いけど、個人的には地図萌えも地形萌えも無いです。


先日、14年前に広島県廿日市市で起きた女子高校生殺害事件の犯人が逮捕されたニュースで、容疑者の父親が「信じられない」とインタビューに答えた事を紹介しました。
それを言う?と書きましたが、その考えは今も変わっていないです。
父親としてそう思うのかもしれないけど、やはり考えが甘いです。
自分の息子が真っ当な人間ならば、14年の間に自首したはずです。

色んな見方が有って然るべきだけど、容疑者寄りの見解には何が言いたいのか理解出来ないものも多いです。
廿日市市の事件もそうですし、以下に紹介するニュースも同じくです。
受刑者逃走から10日 "服役仲間"が語った男の素顔
(テレ朝news)

愛媛県の刑務所から受刑者が逃走して10日目。広島県の向島では17日も捜索が続けられた。
受刑者が動き回るとされる島の夜の現状とは。日没後の街を取材した。

16日、夜の向島。
この暗闇のなかに平尾龍磨受刑者が潜んでいるのか。
これまで延べ8000人が投入され、17日も470人態勢で続いている捜索。
実は、検問は24時間だが島内の捜索は日が暮れるまでなのだ。
だとしたら、平尾受刑者が食糧調達などに動くなら夜なのではないか。
我々は、地元の人が不審な物音を聞いたという山の神社に行ってみた。
ここは13日、住民からガサガサと音がすると110番通報があり、警察が捜索を行っている。神社では脱走後、入り口に防犯カメラを設置したという。
それにしてもなぜ、平尾受刑者は罪を犯してまで脱走したのか。
平尾受刑者を知る人が動機について、こう話す。

平尾受刑者と同時期に服役していた男性:「もう家族に何かがあったとしか僕は考えられませんけどね」

こちらの男性は2015年松山刑務所に服役中、平尾龍磨受刑者の指導役を3週間ほど務めていたという。
平尾受刑者と同時期に服役していた男性:「家族のことをものすごく気にしていましたしね。迷惑を掛けたっていうので泣きながら言っていましたけどね」

脱走の背景には家族があるのか。
平尾受刑者の地元ではこんな話が出ていた。
平尾受刑者を知る人:「たしか先々月だったと思います。交通事故で重傷だったと、妹が死ぬか生きるかの。それで(平尾受刑者に)連絡したんじゃないですか」

その妹に会いに行くと、療養中だが立って歩けるほど元気だった。
そして、代わりに祖母がこう話してくれた。
平尾受刑者の祖母:「警察も龍磨(受刑者)が逃走してから3日くらい泊まって張り込んだが、ここに来るわけがない」

一体、どこにいるのか。
5年前に120件以上の窃盗を繰り返し逮捕された平尾受刑者。
実は、その逮捕前にも逃走していたのだ。
男性によると、平尾受刑者は山に逃げ、なんと約1カ月間も逃走を続けたというのだ。
警察の手が迫ると山に逃げ、警察がいなくなると毎晩、山から下りて食料などを調達していたという。
そんななか、17日も不審な出来事が。
地元の人が今月4日に供えた供え物がなくなっていたことに気が付いたのだ。
逃走して17日で10日目。
住民は不安な日々を送っている。
(以上引用)

このニュース、取り方次第だとは思いますが、何か変な感じがします。
だから何やねん?と言いたいです。

家族に迷惑かけたと泣いていたって、120件以上の窃盗を繰り返していて何言うてんの?と思います。
その時点で家族に迷惑がかかると考えなかったのか?と言いたくなります。
服役して家族の事を思うって、もちろん反省しないよりはずっとマシだけど、逆に言えば捕まらなかったら反省しなかっただろうとも取れます。
山中に約1ヶ月逃げて潜伏していた事からもそれが分かります。

100歩譲って重傷だった妹に会いたかったからとします。
でも、普通考えれば脱走(逃走)してその後捕まるリスクよりも模範囚で仮釈放が早くなるように務める方が、どう考えても賢いです。

まあ、そんな簡単な理屈が分からないからこそ120件以上もの窃盗を繰り返したのでしょう。
「今現在」というか「Just Now」しか考えられないところがすごいです。

テレ朝って、何かズレていますよね。
何故、逃走している受刑者が本当は妹想いの兄というようなニュアンスになるのか理解に苦しみます。

何と言いましょうか、自社社員をきちんと守れないどころか、騒ぎが大きくなってから実は・・・とか言い出すくらいですからね。
自分たちのおかしさが分かっていないのでしょう。

向島(むかいしま)の人たちは、リアルに不安な日々が続いていると思います。
広島県警も愛媛県警も本気の本気で捜索しているでしょう。
でも、日にちかかり過ぎじゃね?と思います。
早く捕まえてほしいものです。


今月7日、甲斐バンドの甲斐よしひろ氏が誕生日だと書きました。
でもってまたまた誕生日ネタです。

今日は、甲斐バンドのドラマー松藤英男氏の誕生日です。
1954年4月19日生まれの64歳です。
(左から2番目が松藤英男氏)

甲斐バンドのファンは、松藤氏のボーカル曲が好きだと思います。

甲斐バンド 「ビューティフル・エネルギー」
(1980年)
作詞:甲斐よしひろ/作曲:松藤英男

良い曲です。
甲斐さんより少しキーが高い声が良い感じです。

いつのライブが分からないですが、甲斐よしひろソロライブの時の歌です。
年月が経っても良いパフォーマンスを見せています。

「ビューティフル・エネルギー」がヒットしていた頃、ラジオを聴く事に興味を持ち始めた時期でした。
この曲がラジオから流れてくるのを聴いていた記憶があります。
子供ながらに良い曲だなと思いました。

とはいえ、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」と共通していて、歌詞がWミーニングになっています。
その意味が分かったのは、ずいぶん後になってからでした。
甲斐さんの作詞のセンスの上手さがよく分かります。

「ビューティフル・エネルギー」は、カネボウCMソングでした。
CMは覚えていないけど、CMソングだったのは覚えています。

「ビューティフル・エネルギー」の他、"松藤英男ボーカル曲"には良い曲があります。
甲斐バンド 「グルーピー」

1979年リリースの6thアルバム、「マイ・ジェネレーション」に収録されている曲です。
アルバムのラストを飾る名曲「熱狂(ステージ)」の1曲前にこの曲が収録されていて、「グルーピー」から「熱狂(ステージ)」への流れがすごく良いです。

今日は紹介しませんが、甲斐バンドの「熱狂(ステージ)」は泣ける歌で検索するとヒットします。
泣けるというか、本当に良い曲で、この曲を聴くと甲斐バンドが好きで良かったと心から思えます。

甲斐バンドのメンバーが60代半ばなのに改めて驚きです。
でも、甲斐バンドが解散したのが僕が高校生の時です。
僕がアラフィフなのを考えると不思議な事ではないのですが。

最後にこの曲で終わります。
甲斐バンド 「裏切りの街角」

1975年リリースの甲斐バンド2枚目のシングルです。
甲斐さん、めちゃくちゃ若いです。
43年前だから、当時22歳です。

甲斐バンドがまだフォーク寄りの頃です。
ですが、ギターの音や松藤さんのタイトな感じのドラムの音にロックに向かっているのを感じます。
松藤さんのドラムは、すごく良いのにほとんど映りません。

甲斐バンドはここのとこあまり聴いてなかったけど、やはり良いなと思っています。
何故か他のバンドやミュージシャンよりも昔の事を思い出します。
ノスタルジーを感じる甲斐バンドです。

4月19日、僕にとって非常に大切な日です。
大切というか、忘れられない日です。
また明日書きます。