身近にできる難民支援を考えよう
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「世界難民の日」
2000年(平成12年)12月に国連(United Nations:UN)がそれまでの「アフリカ難民の日」(Africa Refugee Day)を改称して制定。
国際デーの一つ。
「世界難民の日」の英語表記は「World Refugee Day」。
1974年(昭和49年)のこの日、「アフリカ統一機構(OAU)難民条約」が発効した。
難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、国連難民高等弁務官事務所(The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees:UNHCR)をはじめとする国連機関や非政府組織(NGO)などによる活動への理解をさらに深める日としている。
この日を中心に、世界各地の難民に思いを馳せるべく、各国で様々なイベントが実施される。
※アフリカ統一機構について
アフリカ統一機構(Organization of African Unity:OAU)は2002年(平成14年)にアフリカ連合(African Union:AU)となり、アフリカ55ヵ国・地域が加盟し、本部はエチオピアの首都アディスアベバにある。
アフリカ連合は、アフリカの一層高度な政治的・経済的統合の実現、及び紛争の予防解決への取組強化を目的としている。
※難民について
難民とは、1951年(昭和26年)に国連で採択された国際条約「難民の地位に関する条約」(略称:難民条約)では、「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義されている。
現在では、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている。
また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内に留まっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている「国内避難民」も近年増加している。
(雑学ネタ帳より)
「身近にできる難民支援を考えよう」
その国の産業を安定させて国民が「住み続ける事が可能となる収入を得られるようにする」という意味で言えば、「フェアトレード製品」を買う事だと思います。
例えば、フェアトレードのコーヒーなんかそうです。
ただ、それはあくまでも対処療法的な事です。
引用した雑学ネタ帳にアフリカ統一機構が出ているからアフリカを例にすれば、欧米はもちろん日本から見ても「おかしい」と言える極端な「男尊女卑」があると思います。
男尊女卑、男女格差は、アフリカの発展を大きく妨げています。
僕は、アフリカの男尊女卑は「文化の違い」で片付けていい問題ではないと思っています。
世界がグローバル化している現在、アフリカの男尊女卑は通用しないです。
男尊女卑の問題は、社会的格差だけにとどまらないです。
社会での扱いの差は、子供の頃、極端に言えば生まれた時から始まります。
そして、それは結果的に男女の識字率の差にも繋がります。
女性が字を読めない事で社会で困る、虐げられる事は、(そんな事は無いと言う人もいるだろうと思いますが)かつての日本でもあったと言えます。
男女格差の象徴の1つと言える識字率の差は、絶対に縮めないといけない問題だと思います。
アフリカではありませんが、アフガニスタンなんかめちゃくちゃですよね。
あれだけ酷い男尊女卑の国では、そりゃ希望はなくなるよと思います。
「まあね···」という感じです。
↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/7aebb592941f9a9e0833b3e6401a6ab1dea4cf1d
善人で小心な「もっちゃん」が犯人イメージにそぐわないことからさらなる考察を呼んだTBS系ドラマ「田鎖ブラザーズ」は、19日の最終回で結末を視聴者の解釈に委ねる形で幕を閉じた。
31年前に両親を殺害した人物を探し、裁きを下すために警察の世界に入った真(岡田将生)と稔(染谷将太)の田鎖兄弟。
犯人だと信じ込んでいた作家の津田(飯尾和樹)は見込み違いが判明し、親を亡くした幼い兄弟を支えてくれた「もっちゃん」こと茂木(山中崇)が犯行を命じられたと知らされる。
ところが最終回、茂木犯行説を疑わせる材料が浮上。
これまた、田鎖兄弟に寄り添ってきた年長の幼なじみ・晴子(井川遥)が真犯人として浮かび上がった。
事件を解明する旅は終着点に達し、2人は晴子と対峙する。そして――。
真は事件の発端となった密造銃を構える。
制裁を覚悟する晴子。
額に当てた銃口から火花が散って銃声が響き、血の雫が滴り落ちた。
すると画面は一気に転換し、兄弟の原風景であるかつての工業地帯が映し出される。
現在の兄弟2人が、幼い頃の自分たちや両親と混在。
浮世離れした映像で物語は完結した。
発砲はされたものの、銃口が最終的にどこに向けられたのかは映されなかった。
血が落ちた経緯も不明。
その後の〝原風景〟シーンでおなじみの釣りをする晴子らしき後ろ姿が見られたが、この回では真のバディーである宮藤(中条あやみ)が同じ格好をした場面もあっただけに、晴子と断定できない。
一方で兄弟が蓬田署に向かう映像は自首を想像させる。
目を引くのは、最後の一連の〝原風景〟シークエンスがシネマスコープ画面で展開したこと。シネスコ転換は、回想シーンで行われてきた。真実にたどり着いた2人の姿の〝回想〟は、死さえも連想させる。
大人同士の2人が「大きくなったら何になりたい」と尋ね合う場面。
泣き顔で「何だろうな」と言う真の姿からは、どうしてこんな人生になってしまったのかという悔しさもうかがえる。
真も稔も死んではいないが、どこか違う世界に行ってしまった。
そんな2人が、ここに至るまでを回想したシークエンスとも考えられる。
視聴者の解釈に委ねられた結末は、大きすぎる余韻を残した。
(以上引用)
昨日最終回だった「田鎖ブラザーズ」です。
リアルタイムでは1回も観なかったです。
といっても、たいてい土曜日中には観ていました。
日にちを空けてもよかったけど、ドラマの内容に関するネットニュースが超がつくくらい鬱陶しいから早めに観ています。
で、「田鎖ブラザーズ」の最終回です。
最後まで視聴者に考察させる内容でした。
そのこと自体は悪くないし、ドラマとしてまあまあ面白かったです。
でも、もう少し「サクッと」観たかったとも思いました。
なので、「視聴者の解釈に委ねられた結末」は、逆に良かったです。
僕は、田鎖兄弟は亡くなっていないと解釈しました。
手製の拳銃で撃っても殺傷能力は無かったから晴子はケガで済んだと思います。
だから釣りも出来るようになった、そう受け取りました。
と、ドラマには正直ハマらなかったのに、つい考察してしまいました。
まあ、結局「田鎖ブラザーズ」の良かった点はそこでしょうね。
だから最終回まで観ました。



他のメンバーのパフォーマンスも素晴らしいという事は大前提として、ザ・ビーチ・ボーイズを聴けば聴くほど「ブライアン・ウィルソンは本当にすごい天才的なミュージシャン」だと感じました。
パブリックイメージはサーフ・ミュージックだけど、実は奥深いザ・ビーチ・ボーイズです。
それは、ブライアン・ウィルソンの才能によるものは大きいです。
前にもチラっと書きました。
僕は、1999年のブライアン・ウィルソンのソロとしての初来日になるライブに行きました。
ちなみに、大阪公演はその初日でした。
忘れてしまっている事の方が多いけど、「Pet Sounds」収録の「Caroline, No」が素晴らしくて感動したのは「感覚的」に覚えています。
めちゃくちゃ良いライブでした。
という事で、こちらを。
昨年6月11日に亡くなったブライアン・ウィルソンです。
日本のニュースは、僕が思ったより扱いが軽かったです。
もっと掘り下げて扱ってもいいのにと思ったのを覚えています。



































