久しぶりに泳いでみた。
雪だったし、さぶいかなー、と思ったんだけど、室内プールってのは南国だね。
水温はお湯に近い。
区民体育館も、あんなに温かくして、ちゃんとペイできるのかな?
さて、なんでこんな時期に泳いでんのかっつーと、ダイエットです。
3キロほど落としてみようかな。
工房で仕事してるとどうしても外に出づらくなるし、工房ではお菓子ばっか食べてるし、週末は飲んでばっかいるし(平日もか)、こうしてちょっとずつちょっとずつベスト体重からかさが増えていくんだな。
動かねば、そして控えねば。
案の定、泳ぎはじめると、すぐに息が上がってしまった。
やばい、筋肉が・・・
そして内臓が・・・
せっせと通って、キレを取り戻さなきゃね。
水の中にいるのが好き。
のびのびと自由でいられる。
重力の干渉を受けない分だけ、からだの動きに制約がなくなるからかな。
ひとの関節の可動域とはこんなにも広々としたものなのだなあ、と実感できる。
伸ばせば伸ばすほど、ほぐれる。
動けば動くほど、動きたくなる。
ジョギングなんかでも、走りだす前は「しんどそうだな、やめとこうかな」と思うし、走りはじめると「しんどいな、やめようかな」と思うんだけど、ある結界を突き抜けると楽になり、「もっと走りたい、やめたくない」と感じはじめる。
ハイになる、って現象かも。
よし、もっと泳ごう。
快楽ブッシツの自己分泌でラリラリになってやる。
そして、体重を落としてやる。

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「死ね」という言葉を子供同士は使うものだけれど、工房では絶対に許さない!
こないだ小3~4の子供たちがそんなことを言い合ってたので、プッチ~ン、と切れた。
「その言葉だけは、生涯使うんじゃねえ!わかったか」と真顔で凄みつつ注意。
「え~、めんどくさい~」も禁止。
そんな言葉を吐いた日にゃ、ガレージに呼び出して、いかにその言葉がだらしないものか、周囲のテンションを下げて悪影響をおよぼすか、なによりその言葉を発することによって自分がくだらない人間に見えてしまうかを、懇々と言って聞かせる。
「おまえうざい」もだめ。
その言葉が耳に入った瞬間、マジで怒る。
たった一撃で相手に精神的な死を与えうる言葉というのが、この世の中には存在する。
直情的になったとき、その言葉はダイレクトに相手に効いて痛快だけど、それは禁じ手というもの。
相手の人格を、または行為を批判するときは、きちんとした理論立てとレトリックが必要なの。
それをはしょると、ただの言葉の暴力になってしまう。
オレは師範という立場と責任において、そういう言葉を本気で排斥する。
断固として叱る。
真剣に向き合ってるからね。
親の「甘やかし」とは、結局、子供と真剣につき合ってない、ってことなんじゃないだろうか。
もっと叱りなされ。

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バスに乗りまして。
車内が空いてたので、一番前の座席に座ったのですよ。
しかし徐々に込んできまして、やがて満席に。
さて、ある停留所で、足を引きずったおばちゃんが乗ってきたのです。
即座に声をかける、えらいモヒカン頭。
「座ってもらえます?」(←この言い方がニクいね)と席をゆずってさしあげました。
するとおばちゃん、ありがとね、と、よっこらしょ、と座った後、あ、ちょっと待って、と言う。
「お?なに?なんかくれんの?アメちゃん?」
ほんとにその通りにアメちゃんが出てきました、はは・・・
ありがたくちょうだいしました。
車内、ちょっとあったかい空気。
いいものです、こういうのって。
その後、満員気味になりまして。
またある停留所で、ベビーカーにほやほやの赤ちゃんを乗せ、幼児の手を引いた若いお母さんが乗ってくる。
再びオレの出番。
バス内の「車椅子固定場所」という広い空間に陣取っていた小学生たちに「ここ、空けたげて」と言うと、彼らはおとなしく従い、ベビーカーのおさまるスペースをつくってくれました。
またまた、いい空気。
で、あらためて言いたいのは、このこわもてモヒカン頭によるすてきな行動を、「バス内の全員が注目してたはず」という点です。
ここが布石になるから、よく覚えといて。
さて、またある停留所で、こんなことってあるのか?絵に描いたような連続試練。
今度は松葉杖をついた高校生が乗ってくる。
明らかに足を骨折してます。
車内は満席。
しかし、しかしですよ、誰も席を立とうとしない。
みんな、さっきのオレのお手本、見てたよね?
あのあったかいやり取り、当意即妙の言葉の交わし合いに、みんな笑って応えてくれたよね?
それなのに、誰も立ちませんか?
ゆずれませんか?
あまりにびっくりして、あっけにとられて、声も出ませんでしたわ。
高校生、松葉杖を片手に二本持ち、吊り革につかまり、片足で必死にバスの揺れに耐えてます。
「今すぐこのバスが交通事故に遭って、こいつら全員、足の骨折れ!」
と、本気で念じてしまいましたわ、ザマーミロ。
・・・という、疲れ果てた一日でありました。

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どうしても「マ二ュアル言葉」に馴染めないんだよなー・・・
その「ありがとうございます」「シツレイいたしました」「ヨロコンデ~」には、気持ちが入ってるのか?
喜怒哀楽を状況に合わせてカードで選んで放り投げてるように見えてしまう。
しらじらしく、そらぞらしい(場合がある、ひとによって)。
彼ら彼女らは、言語をあやつってないよね、あやつられてるけど。
マニュアル言葉もいいけど、口先だけでなく、気持ち自体を声に乗せて発しなされ。
「礼儀があって敬意がない」ってのはオシムさんの日本人観だけど、もう少し言葉に体温がないとさー。
だけどこれを日本人の性質とは思いたくないのね。
昭和の昔の人間関係はあったかかったさ。
やはり片寄った教育がそう変貌させてしまうのか?
顔見えぬ相手と言葉を交わすネットのせいか?
ネットは便利だもんなー、なにしろ、言葉は交わしたいが顔色を見るのはめんどくさい、という状況にピッタシの夢のようなツールだもの。
表情もなくなるわな。
平田オリザという劇作家がいて、彼は自分の劇団に何人もの若手俳優さんをかかえてるんだけど、困ったことがあるらしい。
「うちの劇団員たちはそれぞれのバイト先で、正社員になってくれ、という勧誘が絶えないので、断るのが大変なのだ」という。
この大不況、就職大氷河期の昨今、の話よ。
彼らはとにかくコミュニケーションスキルが優れてるので、そうした要望は引きも切らないんだそう。
やはりひとが見てるのは、そして求めてるのは、技術でなく、人間味。
そろえてもらったセリフの中からの機械的なチョイスでなく、相手をちゃんと理解して、自分の言葉をつくりあげ、伝えるところからはじめましょ。

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考えてみると、酒を飲まない日はあっても、書き物をしない日はない。
これってちょっとすごいことだ。
書き物をするのはアウトプット。
酒を飲むのはインプット。(違うか)
入る分より出ていく分が多いんだから、大変だ。
そっか、これが「身をけずる」の意味か。

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政治について言及するのは好きじゃないんですが(ウソ。大好き)、ここは言わせてください。
世界一危険と言われる普天間の基地を辺野古に移すとか、いや嘉手納だ、グァムだ・・・とかなんとかいう話題を、ぼくは今まで「バカめが」と憤りつつも、どこか遠い花火のようにながめてたのです。
しかし「宮古島」「下地」などという代替案が出てきたとき、ギョッとしたのですね。
背筋の裏につべたいものをあてられた感触です。
なぜなら、そこは毎年のように訪れてて、ぼくにとっての天国のような場所だからです。
怒りに打ちふるえてしまいましたよ。
「きれいな海を埋め立てて基地などというおろかな施設をつくるべきではない」という、どこか空々しい響きがあった意見に、全的に賛成せざるを得ない立場に追い込まれた気分です。
そうかなるほど、政治課題をリアルに体感するというのはこういうことだったんですねえ。
やはりわれわれヤマトンチュ(本州人)は、どれだけ本気になってその問題を机上にのせてみたところで、骨身にしみて深刻に感ずるということがありません。
「基地をお台場にもってくる」と言われれば、東京人の間でもそれこそ夢から覚めたようにガチンコの議論がはじまるんでしょうが、現時点ではどうしても彼岸のお話になってしまうわけです。
しかし、宮古島となれば話は別。
断固反対、と、今さらながら掘り下げて考えみる次第でありました。
ぼくは、日本国内に米軍などいらない、という意見です。
そもそも、日本国土「防衛」の協力をするというのが、日米安保における米軍駐留の建前のはず。
ゆえに、海兵隊などという最精鋭のアタック部隊を日本に配するのは、どう考えてもおかしなシフト。
日本がシリアスな意味で警戒してるのは、今んとこ北朝鮮ただ一国なので、それなら能登半島の先っぽあたりに「防衛隊」のラインを敷くのが常識的な戦略でしょう。
それを、東南アジアやアラブ方面を見据える場所にオフェンス部隊を置いてるという時点で、アメリカの策謀は見え見え。
彼らがそこにいるのは、「そこにいたいから」なのです。
いてくれと頼まれたからではないわけ。
日本に存在する米軍基地とは、日本を守るためのものじゃなく、アメリカ自身がよそを攻めるための基地なのです(わかりきってたことだけど)。
米軍が駐留してるおかげで、日本への攻撃は抑止されている、というバランス論もありますが、そんなことはありません。
むしろ、米軍のせいで日本は危険にさらされている、というべきでしょう。
日本には、(戦力を保持しない、と憲法にあるにも関わらず)世界でも有数の戦力を保持した自衛隊があるんだから、それで十分じゃないですか。
それが頼りないというのなら、日本が武装解除したときの吉田さんの「日本が侵略の危機にさらされたときは、きっとそれを克服すべき国際的協力が発生する」とかなんとかいう言葉を信じましょ。
そのために国連ってのはあるんでしょ?
というわけで、「お金だけせびって、やりたい放題にやってる」米軍は全面撤収してくれないかなあ、というのがぼくの意見です。
いてもいいけど、もう少し静かに、お行儀よく、こぢんまりと、質素に、恐縮しつつ存在しててほしい。
とにかく、やつらの態度には傲慢さとあさましさがあるだけで、徳と知性と、なにより人間味が決定的に欠如してるので、移設どうこうとかそんなディテールの問題じゃなく、根本的にムカッ腹が立ってるわけ。
米軍が日本に対して示すべきは、謝意と敬意でしょ。
それができんヤツは、とっとと出てけ、と率直に言いたいです。
それがいやなら、せめておとなしくしとけよ、と。
これは、このいっこ下のブログネタ↓と相反する意見のように聞こえるかも知れませんが、そんなことはない、まったくの同一意見です。
敬意の表し方を知らない者に対しては、敬意など示しようにない、ということです。
ぼくは、いばったヤツが大っ嫌いなので。
フェアに振る舞わない人間を、ぼくは対等な人間とは思わないし、つき合おうとは思いません。
そうやって生きてきたのでした(ホントに)。
暴言多謝。

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オレ思うんだけど、外国人に対しては、自国人(日本人)と相対する以上の敬意を持って接するべきです。
舶来の人々をありがたがれ、と言ってるんでも、こびへつらえ、と言ってるんでもありません。
自分は外交の最前線にいるのだ、という事実をわきまえて接せよ、ということです。
彼らは、彼らの母国に帰って、日本はどうだったか、と訊かれたとき、日本国家の外交政策のことを説明はしません。
自分の身の回りに起こったことを説明するはず。
彼らは、自分が接した日本人の振る舞いを「日本」そのものとして認識するのです。
あなたは、日本代表、なわけ。
だから、きちんと紳士的に振る舞い、常識的なコミュニケーションを心がけましょう。
もちろん、ことさらに善人を装う必要はありません。
間違ってない情報を与え、日本人の正しい姿を本国に持ち帰ってもらおうよ、という意味です。
日本人にはいまだ外国人アレルギーがあって、となりに目が青かったり肌が黒かったりする人物が座ると緊張しちゃうんだけど、気さくに声かけてやんなよ。
やつらだって、言葉がわからず、どうしていいかわかんないんだよ。
そんな人々をがっかりさせたくなくね?
チャロがなんでまだあの町で生き長らえてるのか、つー話ですよ。
・・・んで、写真はブライアンです from スコットランド。
この日にカウンターでとなり合い、友だちになりました。
「お、同じアタマじゃねっか」
「おう、そうですねー」
そこから市井の外交ははじまるのです。
オレはもちろん25年前に高校で習った英語しか知らない人間だけど、なんとでもなるもんですよ、会話なんて。
いや、コミュニケーションなんてね。
何語で話すか、なにを話すか、どう話すか、なんてこと考えないで、話す、という姿勢だけ見せれば、その時点で交流は成功するもんです。
さ、レッツトライ。

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工房忘年会であります。
画像を連続して貼り付けたいんだけど、うまくいかないので、いちいちリンクにします。
画像を見たいひとは、そのシーンの説明文をポチッと押してください。

というわけではじまった、森魚工房恒例の年忘れ大宴会。
まったく乾杯が大好きなヒトビトであります。(師範がそそのかしてるんだが)
料理はひと品持ち寄り、器は各自に手製のもの、これで盛り上がらないわけがない。
そば懐石職人・はたのくんの鴨薫製や、半日がかりで仕込んだおでんも飛び出し、宴たけなわ
例によって、豪華(?)賞品争奪ジャンケン大会がはじまります。
一回戦、なんとなんと最後まで勝ち残ったのは、あおい少年(5つ)
大・中・小の賞品から、もちろん「いちばん大きなヤツ」をチョイス。
目玉賞品であるアフタヌーン・ティー製のブランケットを一発で引き当てます。(引き強し!天性のギャンブラーか?)
二回戦は、工房のルーキー、「ポジティブ・メーテル」浅野さんが勝ち、キハチのおやつセットをゲット。
ヨメはんが会社からくすねてきたものばかりですまん。
三回戦は、ジャンケンの女王、よはんなさんが、お抹茶と茶せんセットをものにし、またしても強運を披露。
男ども、もっとがんばらんかい。
さて、ジャンケン大会がちょうど終わったタイミングで、吾妻くん登場。(この絶妙の間の悪さは、さすが)
しかしホテルニューオータニで2000円で供して財界人をうならせるわらび餅が登場すると、一同興奮。
前回、料理人の立場でありながら、スーパーで出来合いの焼き鳥を買ってきてしまった失態を帳消しに。(2時間遅刻してまで、がんばってつくってくれたらしい。えらい!)
ノドを枯らしてしゃべりつづけた師範も、10時を過ぎるとヨッパでへろへろ。
最後は、パティシエ・よはんなさんの手製ロールケーキにパクついてシメ。
たのしいたのしい会でありました。
来週末の土曜もかるーくやるから、みんなこいー。

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睡眠薬を94錠も服んでも死ねず、三日と三晩めに目が覚めて、「今起きた」といって工房にくるひとがいるんですが。
バカー!
今どきの睡眠薬は、いくら飲んでも死なないらしいね(薬剤師やってる生徒さんによると)。
ひとは、そう簡単には死なせてもらえません。
だって、死ぬときは苦しい。
苦しいから死にたくない。
そのしんどさを排除した死に方をテクニカルな形で求めるのは、あらゆる(まともな)宗教が説諭するとおり、卑怯というものでしょう。
死の苦しみとは、神の意志そのものなんであり、その観念があるために、ひとは「死なんとこ」と思いとどまるんであり、逆に、そう簡単に死ねたら、生きてる価値なんて大したものではなくなってしまいます。
「お手軽な死に方」という考え方自体、生をバカにしてます。
死の瞬間にいちばんつらい目に遭わねばならないことを思いついたのは、神様ではなく、われわれ生命体自身にちがいありません。
それは、遺伝子に組み込まれた制御システムと解釈できます。
生物総意としての「種の存続システム」と言い換えてもいい。
生物がこの世に誕生したとき、「死ぬときは苦しもう」と自らに課したわけです。
死の苦しみと、生殖行為の快楽は、種を途絶えさせないための最も基本的なアイデアと考えるべきです。
そこのところを、きちんを咀嚼しときましょう。
「死にたいな~」なんて血迷うことは、誰にでもあるもの。
だけど死にたくなってもね、一応踏みとどまって生きときましょうよ。
そのうちにいいときがくるかもよ。
そしてなによりその自死は、すべての生きてる、あるいは死んでいった、またこれから生まれ来る、あらゆる生物に対して失礼でしょ。

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稚拙すぎる・・・
ここまで頭が悪いとは誰も気付かなかったわけですが、本当に大丈夫なんでしょうか?
なにより、覚悟が据わってない。
激しくがっかりさせられつづけてます。
「一大事をまかされている」という肝を据えた態度がほしいです。
国民は今回のチョイスで、「交代を望んだ」というよりは「次回の選択のために、一度試させてみよう」というスタンスで彼らを舞台に上げたわけです。
旧来のものよりはマシだろう、という淡い期待もありました。
かく言うぼくもほんの少し期待してたわけですが、交代直後にこのブログで予言した「大掛かりな失敗」の兆しがこう早々と顕在化してこようとは思ってませんでした。
新大統領を頂いたアメリカなどを見てると、露見した大失敗や古い悪癖というものを一気に片付けて、早くも新しい時代に向かおうというダイナミズムが構築されつつあるわけですが、我が国にはそれがありません。
思想がなさすぎます。
ディテールがあるだけで。
国民ウケする細かいところをちょこちょことテクニカルにいじってるだけで、大きな戦略というものがまったくない。
旧来の、まったくひどいシステムの「認識」と「処方箋づくり」にいまだ手間取ってる、というハンディキャップを加味しても、この能力のなさには驚くばかりです。
国民も、もっと露骨な物言いで叱咤してやらないと、彼らにとっての次回のチャンスは致命的に失われかねないのでは?と心配になります。
ぼくは「情報公開」というただ一点で彼らをチョイスしました。
二大傑物には、等質等量の武器(情報)を持たせなければ、フェアに競い合うことなどできない、と常々思ってたからです。
そののちに、真の選択は行われるべきなのです。
今回は、失敗してもいいから実験と割り切って、やり方を見せてもらってるだけ。
そこの本質の部分を本人たちが理解してくれてないのが、いちばん悔しいところです。
ただ、もう旧来のひとたちにまかせようなどというチョイスはありえないので、しばらくは様子を見るしかありません。
新しいひとたちに早いとこ成熟してもらわないと、本当にこの国の没落は超加速的らせん軌道に乗ってますよ(やがて、ではなく、すでに、乗っている)。
頭を使う以前に、頭を冷やせ、と言いたいです。
つか、このままいけば、分解→再集結という流れ以外にありえないんで、むしろとっとと逝きつくとこまで逝ってほしい。
バカをさらしきって、あきれ果てられてほしい。
で、ガラガラポンして、「リベラル」と「保守」という大きな二種類の色を結晶化させて、「民主主義」という、いまだかつてこの国に存在したことのなかった思想を体感してみたい。
これは、見果てぬ夢でしょうか?

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