いっこ下のやつから補足です。

「日本ってほんとにバカになったんだね」「もう相手にしないほうがいいね」と、世界から本気で思われてるカンジで、そしてその報道に乗る情報はぼくの直感と完全にシンクロしてるんで、たまらず考えをまとめてみました、ってトコです。
酔っ払いにしてはリアルで、しかも本質にせまってるように読み取れるんですが、どうなんでしょ?(へべれけのアタマでよくこんなまじめな文章を書けるよなあ・・・不思議・・・)
だけどこれは昨日今日の思いつきじゃなく、思い起こせば小渕さんのころから漠然といだきつづけてた印象かも。
悲観に悲観を重ねて、それでも楽観したくていいとこをさがそうとするんだけど、そんなのひとつも見出せなくて、ついに諦観へ、という現在であります。
酒は、さらにそんな心の澱を達観の境地から見下ろしてるんだね。
ちゃんちゃん。

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結局、なにがあっても再稼動するわけです。
ええ、わかってました、彼らのやり口は。
その姿勢が、そもそもこの日本国を没落に導いたことも。
世界のトップ製造大国、一流の製品を生み出す信頼の国・・・この国が「かつて」有してたそんな価値が、すでに過去の幻想と成り果てたこともわかってます、ぼくら国民全員が。
すべてが同じ根でつながってます。
アメリカはわが国よりもあさましいが、稼ぎ方をひねり出す小ざかしさを持ってます。
中国はわが国よりもはるかに脳のつくりが卑しいが、生き抜こうという戦略を持ってます。
わが国には、残念ながらというべきか、誇るべきというべきか、それらがありません。
この二つのバカバカしい国々に隷属する道を行くのは、忸怩たるものがありますが、まあしょうがないんでしょう、こういう政治を選んだんですから、ぼくらは。
すべてが内向き。
すべてが視野狭窄。
北欧などは未来を見ることに全力を注いでますが、わが国は、非常に限定された現在(昨日今日、とか、そんなレベル)しか見ず、過去にも未来にも向き合おうとしません、なんで?
こんな国は沈みゆくに決まってるし、すでに後戻りも(そして最後のあがきも)できないまでに沈みつつあります。
なんで学ばないかね?
原発を止めることによって、そのストレスから、新しい力が出てくるのにね。
経済成長を止めることによって、借金が減りはじめれば、そのときこそ本当の成長がはじめられるのにね。
でも、それはできない相談らしいです。
いったんつくったものを壊したくないんだなあ、それがどれだけ腐りきってても。
木を見て森を見ない、ムラを見て世界を見ない、ディテールを見てメカニズムを見ない。
それが保守ってわけだ。
もう無理でしょう、この国に「新しい力」を求めるのは。

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結局ぼくらは今、罰を受けてるのですよ。
どれだけ電力価格が上がろうと、それがどれだけGDPを押し下げようと、経済を冷え込ませようと、もう断じて原子力を稼動させちゃならんのです。
「原子力でつくられた電気を使ってるくせに、原子力に反対するのか?」という判で押したようなセリフで、ぼくはここ25年の間にのべ100人ほどの人物から説教をされましたが、今こそ言い返したいです。
「原子力でつくった電気を使った者は、みな等しく罰せられるべきだ」と。
原発の地元のヒトビトは、「原発が無くなったら食っていけん」と言いますが、逆にこれは、どんだけのあぶく銭をもらってたんだ?の裏返し。
しかしそれこそが電力会社の戦略で、巧妙なワナで地元を絡め取り、支配と勢力拡大を謀ってきたわけなのでした。
だけどそろそろそのくびきを断ち切らなきゃいけませんよ。
その金と仕事、そして依存心は、真っ当じゃなさすぎます。
そもそも、命に関わるほどの毒性を持つ放射能を10万年も吐き出しつづける汚物(核廃棄物)との子々孫々にわたる添い寝と引きかえにしてまでも「電気をくれ」と言えます?
そこまでスカスカな脳を持つ大人物だけが、「原発を動かせ」と口にする資格を有するのですよ。
なーんにも知らないで、ただ「電気が足りないなら、ちょこっと危険でもがまんして動かせばいいのに」と思ってません?
剛胆な政府は、原発のストレステストで「700ガル(揺れの基準)まで耐えられれば動かしてヨシ」としてますが、ここ10年の間だけでも、04年の新潟県中越地震で2500ガル、東日本大震災は2900ガル、08年の岩手宮城内陸地震では4000ガルなんてのがきてまして、柏崎刈羽原発なんて中越地震のときに所内3000ヶ所もが破損して、消火栓の異常のせいで火も消せないような終末的状況でした。
福島第一では今もなお、深さ18メートルの圧力容器に毎時6トンの水を入れても入れても40センチしかたまんないし(ほんとに冷やせてんのか?)、そこから「1立方センチ」あたり14万ベクレルなんておっそろしい高濃度汚染水が漏れ出してるし、こういう状況でね、「動かす」ってのは、どう考えても常軌を逸してます。
「たかが電気のために、あんたは命を賭けられるか?」というレトリックは、ついにシリアスな説得力を得るに至ったのです、本物の事故が起きたあとでは。
もっかい言うけど、そろそろ真っ当に生きる覚悟を固めないと、ほんとにこの星の水は飲めなくなりますよ。
暑い夏はきらいですか?
腹をくくりましょ。
原子力は、最も汚いエネルギーです。

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自民党のやることなすこと、全部気に入らない。
かといって、民主党はこの三年間、ほんの少しも仕事をしてない。
ずるい自民党に、バカの民主党、というのが一時代前の通り相場だったんですが、今や、アタマが悪すぎる自民党に、ウソばっかついてる民主党、という構図に立場が入れ変わりつつありますね。
結局これは、政権に就くと腹の裏が汚れてしまい、下野すると脳みそが腐ってしまう、という日本の政治の構造欠陥のようです。
きれいごとばかりを並べ立てる野党が、政権を獲ってそのまま政策を実現させる、ってのは、この国では不可能なのかも。
いちばん清く美しい(ことを並べ立てる)党といえば共産党ですが、政権を獲れば(ないけど)、おそらく今の民主党以上に国民をだましおとしめることになるのでしょう。
この落差は、志しの高さのカウンターベクトルです。
そもそも志しの高さとは本来、難敵と刺し違えてでも約束を守り通すこと、なんですが、どうも「かっこいい約束を声高らかに謳い上げる」というディテールのみで酔っ払い、そこに完結してしまうやからが、政治家という種族らしいです。
政権交代が実現していちばんよかったのは、国民がそのことを身に染みて理解した、ってことです。
つか、そのこと「だけ」です。
ほんの少しもいいことなかったなー。
でもこのままじゃ、この先もきっと政治でいいことなんてひとつもありませんね。
日本が三流国に没落しきった今、いっそ、天皇陛下に主権を戻してみたいです。
あの方がいちばん国民に近いところで仕事をされてますし、どんな差配をしてくださってもあの方のされることなら納得できますし。
主権在民なんて、ウソばっかし。
クソ政治家ども、全員切腹して、大政奉還しろ。

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工房からいちばん近い酒場で、とても親しくしてもらってた「竹串」さんの大将が、亡くなりました。
心臓系の難病だったんだそうです。
一年ほど前から突如として激やせしはじめたんで、ただ事じゃないと思ってたんだけど、しれっと遠回しに事情を訊いても「えへへ」と、答えるのを避ける感じなんで、それきりその問題には触れないようにしてましたが、そんな態度がいよいよただ事じゃなく思わせられ、それでもちょこちょこと頓着なくかよっては、さしさわりのない会話をしつづけてきたのでした。
本人は(しんどかろうに)平気な顔を装って焼き鳥を焼いたりして、最後の入院の前日まで「がんばって」カウンターの中で立ち働いてました。
強いひとです。
ほんとにおいしい焼き鳥屋さんで、手羽先なんて、身を前歯ではさむだけでほろほろっと身がぜんぶ骨からはがれちゃう、みたいな見事な処理がほどこしてあって、んでまたそこに甘い肉のおつゆがあっちっちにほとばしったりして、んでかんばしい炭の香りが立ちのぼってきたりして、んでまた皮に身に絶妙の塩気が効いてたりして、たまらんシブい仕事をしてくれるひとなんでした、また調子のって開高さん風の文体になっておりますが。
とにかく、知性さえ感じさせるようなね、そんな細工なのでした。
臭みも雑味もなくてまるでフルーツみたいに新鮮なレバ刺しとかね、こってりジューシーなつみれとかね、どれもが一流の仕事っぷりで、あれがもう食べらんなくなるのかー、つよりも、あの空気感ね、大将のいる風景が、もうないのですね。
とてもとてもさびしくなるんですが、でもまた竹串さんにはかよい詰めようと思ってます。
おかみさん、がんばってや。
最後に、大将、享年63、ご冥福をお祈りします。

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朝、起き抜けにピアノの練習。
が、日課になってまして。
だけど「日に課す」なんて大げさなことじゃなくて、そうしたい脳・からだ・気分になってるみたいで。
布団から起きだして伸びをし、歯磨きするみたいな心持ちで、ピアノに向かってます。
ピアノをはじめて半年現在、三冊の教本を同時進行にしてまして。
一冊は「ハノン」という、それはそれはサディスティックな、指使いの特訓本。
音符が、まるでオイルサーディンのようにひしめき合ってるんで、一瞥してちびりそうになります。
指がなめらかに動くように、まあ体育会でいうところのサーキットトレーニングみたいなもん。
さて、ピアノ筋と指関節がやらかくなったら、次の一冊「メソッド」へ。
これは論理本です。
数知れぬ記号(音符など)の解読法や、長調・短調の構造、コードの組み立て・展開、その他、譜面のルール・作法を、課題曲を使って数学的に教えてくれます。
最後の一冊は「曲集」、練習曲てんこ盛りのやつ。
次から次へと、しかしちょっとずつ、複雑で劇性のあるものが出現してきまして、これがまたちょうどいい手応えがあって面白い。
それらをいっこいっこ克服することによって、自分の進化がはっきりと自覚できます。
この三冊が、今いちばんのともだち。
それにしても、このピアノ(の楽曲の音楽的構造)ってやつほど、自分の知的好奇心を刺激してくれるものって出会ったことがなかったんで、ほんとに没入してます。
こんな興奮、ろくろ以来かも。
そんなわけで、充実の毎日を過ごしてます。
朝ーピアノ、昼ー陶芸、夜ー酒。
こんなしあわせでいいのかしらん。

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なんで原発を動かしちゃいけないか、っつー根本的な話をしますね。
「安全性の確保」とか「ストレステスト」とかやってますけど、いちばんの問題は実はそこじゃないのです。
事故は必ず起きるのに、「事故が起きた後、どうするか」が議論されてないのが問題なのでした。
原発が安全でないとわかった以上、もう「想定外」はあり得ないので、その部分を詰めなきゃいけないんだけど、まだ「安全対策を何重にも施せば、事故は起きない」という発想を出発点に置いてるのが、信じがたいところです。
「事故は起こる」というところを考えなきゃいけないわけです。
地震、津波もそうですが、海の向こうの半島からミサイルが飛んでくることまで想定せざるを得ない時代です。(ウソだと思います?アメリカは、真剣に北朝鮮への爆撃を検討してまして、それをすればもちろん韓国と日本が主戦場となり、最初のミサイルは必ず原発に飛んでくる、と考えなきゃいけないのですよ、物騒すぎて誰も言わないけど、知っといてね)
それに、電源が落ちた数時間後には大規模なカタストロフが起きる、とわかったわけでしょ。
電源を落としさえすれば、日本の半分を廃墟にできる、とテロリストは理解したわけでしょ。
だったら、電源を確保するよりも、メルトダウンが起きた後のことを考えとかなきゃ。
なのに、相変わらずオフサイトセンター(遠距離からのコントロールルーム)は原発のご近所にあって緊急時に使い物にならず、事が起きれば、福島とまったく同じ経過をたどって日本は壊滅します。
このマヌケをもっかい繰り返したら日本は破産しますし、そもそも福島の放射能の大半は太平洋に逃げてくれたけど、福井で起きたら、放射能は偏西風に乗って、関西から中部、関東一円までを盛大に汚してくれるのです。
もう日本には住めなくなるリスクまで考えてますか、そのうえでなお動かしますか、ってことです。
福島第一の原子炉をつくったメーカー(アメリカ・GE)の担当者が、爆発事故当日、現場からの映像にクギ付けになりながら、「まったく想定通りに事故の行程が進んだので、その点が実に興味深かった」と語ってます。
「そろそろ水素爆発が起こるぞ」とダンナが口にした途端に、テレビの中の建て屋が吹っ飛んだ、と奥さんもインタビューに答えてまして。
わかっとんなら、備えとけよ!と言いたくなるんですが、「備えるということは、安全でないと宣言することと同義なので、すなわち、備えないのだ」という奇妙な論理に支配された日本国エネルギー担当当局にはできない相談なのでした。
で、再び、そんな発想のもとに、安全が置き去りにされてまして。
事を起こさないための安全が確保されても、事の後の安全を確保しないことには、もう絶対に前に進んじゃだめ。
この甚大な被害を目の当たりにしても、まだのんきなんだなあ、日本政府は。
とりあえず、ハシモト、がんばれ。


GE・マーク1型原子炉
福島第一のタイプ。
こんなおっきい、って知ってた?

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おいしいものを食べにいって、タバコのにおいにまみれて帰ってこなきゃいけない意味がわからないよ。
食べ物店は、「全面禁煙」にするか「全面タバコ吸い専用」か、どっちかをチョイスしなければならんことにして、きちんと法的に分かつべきだと思う。
各店舗における分煙ではなく、店まるまる単位で分けないと意味がない。
タバコ吸いは、タバコ吸い同士で「同士討ち」をして、大好きな煙にまみれてればいい。
味のわからない人間たちは、味のわからない店でかまわんだろ。
だけどそのにおいの人物が、再び社会に出て街を闊歩して鼻曲がりの異臭を振りまくかと思うと、それもまた苦々しいものがあるわけだが・・・
吸わないヒトビトに、清潔な空気を。

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わが夫婦は、寝室に布団を二組並べて敷いて別々に寝てる。
オレのほうが入り口側で、よめはんは部屋のサイドに置かれたタンスの横。
すると、早く起きるよめはんは、トイレだのシャワーだの着替えだのと移動するたびにオレの布団をまたぐ形になる。
そしてその都度(ま、三回に二回くらいの割り合いか)、オレの足を踏んづけてく。
そうするつもりはないらしいのだが、これが毎朝なんである
本人は「またごう」と努力してはいても、チップしたりフックしたりキックしたり、あるいジャストミートしたりと様々なバリエーションで、必ず足を引っかけてく。
布団の中に包まったダンナの足の位置など一目すれば瞭然とわかるはずなのに、いったいどういう距離感なのか?
このひとは、脳の空間認識野に深刻な障害を抱えてるのかもしれない。
いや、布団の中の足だけなら、まだ理解できなくもない。
リビングでゴロゴロしてるオレをまたぐときすら、この女はわざわざ足を引っかけてく。
ひとりで勝手につまずき、つんのめり、すっ転び、それを往復でやらかしてく。
足が、自分が意図する高さまで上がってない。
大腿四頭筋と腹直筋を鍛えるべきだろう。
さて、そんなよめはんが、尾骨をやってしまった。
このひとは祖先がサルなので(ま、人類はみなそうなのだが)、シッポの名残である尾骨が異様に飛び出してる。
会社の倉庫で在庫整理をしてたとき、ひょいとかがんだ背後に硬質なプラ箱があって、その角に尾の先をしたたかにぶつけたのだという。
自分がかがむ場所の確認くらいすればいいのに。
あるいは確認はしても、距離感が狂ってたのかもしれない。
病院で検査したところ、尾の先が折れたらしい。
日常生活に必要のない場所なんでほっといて痛みが引くのを待つか、肛門から指を突っ込んで無理やりに尾の位置を戻すかの究極チョイスをせまられ、ほっとくことにした。
が、朝から晩まで事あるごとに尻をかかえて悶絶するので、めんどくさいことこの上ない。
粗暴な立ち居振る舞いをあらため、空間認識能力を向上させ、物質との距離感を確認する作業を心がけないかぎり、今後もこんな事故を何度もくり返すにちがいない。
まずは起床後の「低すぎるハードル」をクリアする努力からはじめるべきだ。
布団にくるまった足など、常人ならやすやすとまたげる質の障害物だ。
が、今朝もまたいちいちと踏んづけて(ついでに尻をかかえて悶絶して)、出勤してったよめはんである。

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ひとの容姿をどうのこうの言うひとってどういう了見かな、って思う。
そんな場面に出くわしたとき、「鏡みてみろよ」っていつも心の中で軽蔑まじりにつぶやいてるよ。
なんなんだろ、自信の裏返しなのかなあ。
「わたしは美しいのだから、それを言う資格がある」的な。
おまえ、それほどのシロモノじゃねーぞ、わりーけど。
その場にいない人物に対する感想(悪意の)ならまだ醜悪なだけですむけど、面と向かってのやつはほんとに致命的にタチが悪い。
「致命的」というのは、ほんとに言葉どおりの意味で今使ってみた。
そのひと言を、相手に対する生涯のキズとして残すこともできるし、下手すれば(うまくすれば)相手を死に追いやることだってできるからね。
オレは文章をうまく使うひとだと自分で思ってんだけど、相手の外見的特徴を口頭で羅列するだけで、そのひとをウツに追い込ませることだって、死にたい気分にさせることだって、やすやすとしてみせることはできる。
だけどそれをしないのは、配慮や礼儀なんて大げさなことでもなんでもなく、常識、分別の問題であって、「ひととして」したくないだけの話なんである。
そもそも、それを口にして、ユカイになれるはずがない。
ユカイになってるひとは、ひととしてどうかしてるのだろう。
まさに「鏡みてみろよ」と言ってやりたい。
どれほど醜い顔でそれを口にしてるのか、客観的に見てみるべきだろう。
それでもなお「わたしにはそれを言う資格がある」と考えるおめでたい人物は、ま、それはそれでいいが、代わりに、ひとから愛される資格を失うべきだと思う。

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