乾燥した朝。
工房の床をほうきで掃き掃除してると、どこから発生するのか、無数のホコリが集まってきて、やがてモコモコとした綿ボコになってかたまり、最後にはいっこの大きな毛糸玉みたいになる。
そんなとき、いつも思う。
ああ、宇宙の星ぼしはこんなふうに生まれたんだなあ、と。
なにもない空っぽの空間に、分子が生まれ、やがてそれらが集まり合ってガス状のもやもやを構成し、星雲となり、さらに質量が大きくなるにしたがって引力が機能しはじめ、なおも密度を高めて、凝集すると同時に加速的に巨大化していき、そんなこんなの結晶が、ついに天体となる。
それの生まれる最初の段階を、ぼくは朝の工房の足下に見てるんだった。
星くず=スターダストと名付けた人物は、きっとぼくのように掃き掃除をしててひらめいたのにちがいない。
・・・それにしても、ただのゴミをこんなふうに美しいお話に昇華できるぼくって、すてき。

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ピアノをはじめて一年と三ヶ月。
楽譜もまともに読めないまま、ひたすらに新曲を新曲を、と突き進んでます。
先生には「ブラッシュアップは必要ないんで、よどみなく弾けたらマルをちょうだい」というシステムでお願いしてます。

このへんまでやっつけました。
技術的にもそこそこ進歩してるはずなんだけど、なんつっても、音楽の構造理解が進むのがうれしい。
譜面を見てると、つくづく「音楽って数学だ」と思います。
昔のひとは「空間分割が幾何学、時間の分割が音楽」って考え方だったんで、数学と音楽は統一されたカテゴリーだったのです。
今のドレミの音階をつくったのも、数学の祖・ピタゴラスなのですよ。
オレは数学を理解するためにピアノをはじめたひとでして、鍵盤を叩けば叩くほど数学脳が刺激されるこの感じにしびれてます。
ところで、x軸y軸でおなじみの直交座標系って概念は、デカルトが編み出した、って知ってました?
一年中ゴロゴロと寝てて、ある日「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」とつぶやいたあのひとです。
まあそれは置いといて、この「ふたつの数字を示すだけで、平面上の一点の位置を確定できる」「三つの数字で、三次元空間上の一点がわかっちゃう」ってシステム、すごくないですか?
つまり、「三本めの交差点を左に曲がった四軒め」と言えばそのマンションが示せ、「その5階」と言えば、三次元空間上であなたのいきたい場所が完全に特定できるわけです。
こんな代数学を、音楽に応用してくれたんですね、誰かが。
楽譜というやつの話です。
こっちの観念はもっと複雑系ですよ。
なにしろ、音と時間、という、取っ付きようのない感覚的なものを図面上に示そう、って試みですから。
というわけで、あの五線譜ってやつは、横方向に時間、タテ方向に周波数を分割してありまして、その組み合わせによって、音の連なりを記録できるようにできてます。
すごい知性ですよねえ。
とりあえず、こんなとこで。

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よめはんの体脂肪率が、ついに14%台に突入。
まるでアスリートだ(鶏ガラと言ったほうがいいけど)。
毎日終電で帰ってくるし、週末も出社してくし、家にいるときもパソコンを持ち帰ってきて仕事してるし、なんかこの仕事のやり方、間違ってるよなあ。
日本の働き方が間違ってる、と言うべきだろうな。
あまりにも肩がゴリゴリに凝ってるんで、もみもみしてやるんだけど、よめはんのからだはコリの巣窟。
背骨まわりから首まで、恐竜みたいになってる。
この土日でマッサージ店のハシゴをして、プロに計150分揉んでもらってきたみたいだけど、「ちょっとよくなった」という程度だった。
そしてまたオレが揉んでやるんである。
大丈夫なのかー?
コリで死んだ人物っていないのかな?
朝も、オレがまだ寝床でまどろんでる時間に出かけてく。
オレは布団の中から、せめて彼女を一回笑わせてから送り出すのだった。
ああ、そうだ、温泉つれてこ。

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休日が奇妙なことになってる。
外に一歩も出られない。
これが引きこもりというやつか?
元々インドアだけど、一日中パジャマ姿で過ごす、というのは異様かも。
朝起きる、ピアノを弾いてみる、パソコンに向かってブログ更新、つづけて文章を編む、飽きたらピアノを弾く、疲れたら昼風呂に浸かり(数時間も)読書、上がったらゴロゴロして、またピアノを弾いて、文章を編んで、暮れてきたら酒を飲みはじめ、白想にふけり、ゴロゴロしてるうちに入眠してしまう。
外に出る気力が湧いてこない。
オレは引きこもりなのだ。
ウツ症状かなあ・・・
なんだろう?理由は・・・
意欲減退・・・?(ない)
プレッシャー・・・?(皆無)
ストレス・・・?(絶無)
そこで、はた、と思い当たった。
「お外がさぶいからだ!」
そういうことなのだった。
早くこい、春。

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万物の基本構造を理解するには、遺伝子学と量子力学からかな?という漠然とした感触を持ってまして。
で、その手のばっか読み込んでるわけですが、片一方の遺伝子関連のやつです。
ドーキンス博士の本は、人間はじめ生き物ってーのは、遺伝子を後の世にまで残すためのただの生存機械なんだよ、って視点から世界を描いてます。
つまり、ぼくらはこうして日々を暮らし、ケンカしたり、愛し合ったり、食べたり、飲んだりして過ごしてるわけですが、究極的には、いっこの情報を後代にまで伝えるためだけに生かされてるんですと。
生物ひとりひとりの自発意志なんてちっぽけなもんで、結局ぼくらは、遺伝子という「自己複製子」に乗り物として操られて、日々を戦ってるらしいです。
何億年という歳月をかけて淘汰し合い、進化しながら、いっこの「命の設計図」を継承してく、って壮大な「本当のぼく」らの戦いの歴史。
ぼくって個人物は、ぼくではなく、実は人類という連綿とした種の総体意志の一部分でしかないのでした。
んなのを読んでから、福岡先生のを読むと、また構造理解が一層深まります。
「動的平衡」の意味は、鴨長明が詠んだ「ゆく川の流れは絶えずして、またもとの水にあらず」的な、なんつーか、諸行無常的な、色即是空的な、いわば禅みたいな世界観です。
禅っつっても、その中身は合理の究極たる物理学でして、これがほんとにひざを打ちたくなる内容なのです。
人間のすべての細胞は、ひと月もたつと完全に入れ替わってて、今あるぼくの姿は、ひと月前のぼくとはまったく別ものです。
肉体を構成する一切のものが、総取っ替えされてるのです。
まるで別ものの容器になったのに、中身である「ぼくというアイデンティティ」だけが残ってるのって、考えたら不思議ですよね。
記憶とか、個性とか、どこに保存されてるんだろ?
で、こう想像してみてください、空間にちょこんと「遺伝子という設計図」がいっこある。
その設計図は、この物理世界のさまざまな物質を寄せ集めて、ぼくという生存機械をつくってる。
生存機械の部品のうち、古くなったり劣化したりしたものは、どんどん捨てて、新しいものと取り替えてく(新陳代謝)。
こうして、遺伝子はぼくらの肉体をはめ込んだり取り去ったりしながら操縦し、種の情報を後代に伝えるために繁殖させてる、ってわけなのでした。
ぼくなんて実はどこにもいなくて、いっこ(二個、かな。二重らせんだし)のフィルムにおさまった人間の設計図があるきりで、この肉体はそれを元に組み立てられたかりそめのものにすぎなくて、ぼくは目くらむような「人間種」という大きなもののほんの一部にしかすぎなくて・・・
ドーキンス博士の説に戻れば、ひとは、いっこの遺伝子から生まれて、遺伝子を運び淘汰戦を生き延びるハコとして過ごし、いっこの遺伝子を伝えて死に、種の保存のためにその設計図をリレーしてるのでした。
時間とか、宇宙とか、神さまとか、そんな規模で考えたくなる、生命の根本論です。

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結局人間は、抱きしめるものを求めてるんだなあ。
正月に実家に帰って甥っ子姪っ子に会ったけど、やつらはすぐにまとわりついて、抱きしめてくるね。
そんなことをされたら、たしかにかわいくてしょうがなくなるよなあ。
愛しいものは本能的に抱きしめたくなるわけだけど、抱きしめたものを本能的に愛しく思う、って逆プロセスもまたあると思うよ。
抱きしめ合い、あたため合って、そうした循環で、愛は深まり、関係は濃厚なものになってくんだね。
赤ちゃんのからだの構造を見ると、実に効率的に「抱きしめることができる形状」にできてるもんね。
手や足やからだの末端全部が内側に屈曲して、徹底的に相手にしがみつく形になってる。
抱きしめることを目的として特化された、いわば、抱きしめることしかできない体型だ。
つまり、歩くことや、ものを持つ機能、眠りやすさや、排泄のしやすさ、というすべてのカードを捨ててでも、とにかくしがみつくという能力を優先させたわけだ。
そうやって、あたたかみをもらうんだなあ。
人間にいちばん必要な栄養なんだね、あたたかみ。
大人になっても、人間は抱きしめるものをさがし求めるよね。
愛しいひとと出会うと、抱きしめて、その営みが子供という結晶をつくり、その小さな結晶もまたこちらを抱きしめ、こちらも抱きしめ返し、やがて抱きしめてもらえなくなったら、わんこを、にゃんこを抱きしめ、あたたかみをもらい、また与え、あたたかみを分かち合うわけだ。
冷たいものを抱くと、おなかが痛くなるだけだもんな。
大切だよ、あたたかみ。
思いがけないくらいにぎゅーぎゅー抱きしめられて、そう思ったよ。

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いよいよだねえ。
え?
なにが、って?
戦争だよ、戦争。
新しい政権が、「国防軍」をつくってくれるんだぜ。
これで、専守防衛を越えて、集団的自衛権も、個人的自衛権も、憲法解釈なんてしちめんどくさいこと抜きに行使できるぜ。
「こくれん」の名のもとにどっかの紛争地帯に狩り出されても(世界の警察さまのおともで)、相手からの威嚇発砲さえあれば、思う存分に撃ち返せるってわけだ。
いや、そんな遠くまではるばる出かけなくても、沖縄のちょっと外の島でいざこざさえ起こせば、「祖国のために」じゃんじゃんドンパチできるってもんだぜ。
新しい首相は、あの最もヤバい島に艦船や兵隊を常駐させてくれるらしいし、これで終戦記念日に靖国神社に参拝でもしさえすれば、どうあっても導火線に火がつくってもんだ。
大陸ではまた日本企業の叩き壊し大会がはじまるね。
今度のは数日じゃおさまらない、延々とつづくよ、絶対に。
日本製品は壊滅的に売れなくなる。
そうなったら、さて、いよいよ戦争さ。
今度ばかりは、海上で船同士が舳先をぶつけ合うようなやつじゃないぜ。
近代戦ってのは、ミサイルを急所に撃ち合って、短期間で決着をつけるんだ。
最終的に狙われるのは、今稼働中のあの原発だろうね、関西の。
そのイッパツで、もうどうにもやり直しがきかなくなるくらいに日本は終わるんだね。
ああ、あっけないもんだったなあ、平和なんて。
こうやって狂ってくんだねえ、世界って。
知性、理性、感受性・・・誇らしく思ってた日本人の美意識が徐々に、だけどはっきりと、失われてく。
勇ましく大声を上げることを「美しい日本」と言ってるんだとしたら、そんな美しさはいらないんだけどなあ・・・

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さて一方、投票した人物が落選してしまった場合。
あなたの声は政治に反映されないのか?
そんなことはありません。
当選した人物たちは、落選した人物を推す声に追いつめられて、いい政治をしなきゃならない危機感が生じるからです。
落選する候補者に投票するくらいなら、投票しなくても同じ、と考えるのはあさはかです。
当選者たちは、「有権者たちの声」ではなく「投票者たちの声」のみを聞いて施政します。
お金持ちや土建業者や業界団体さんたちは、必ず投票に出向きます。
政治家たちが彼らのために有利な政治を行うのは当然のこと。
ご老人たちも投票が大好きです。
政治家たちが彼らを手厚くもてなすのは当たり前のこと。
ワカモノたちは投票にいきません。
政治家が彼らに、また彼らの子供たちに冷淡なのはなぜなのか、理解できますよね。
票を捨てるような連中を相手にサービスをしても無意味と、政治家は考えるのです。
自分をおびやかさない相手に対し、なんの手だても必要ありませんから。
投票しようとしないひとたちに、政治家がなんの義理を、あるいは圧力を感じるでしょうか。
声のないところに政治は行き届きません。
投票しなかった者は、当然の報いをこうむります。
実際的に言えば、投票をしないカテゴリーの人々は、より多くのお金を国家のために用意しなければならず、なのにより不便な暮らしをせねばならず、より危険な目に遭わなければならず、それによって困った場合にもよりほったらかしにされねばならない、という因果律の底に置かれることになります。
ところがあなたが投票という行為をするだけで、政治家たちはあなたをかえりみるようになります。
それくらいリアルな相関関係があるのですよ、あなたの暮らしと選挙には。
だから、さ、投票しましょ。

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あなたが選挙で投票した人物が晴れて当選し、その党が政権を獲った場合。
あなたは政権の後見人としての立場から、政府のなすことを応援できるし、あれをやれ、これをするな、と口を出すこともできるし、気に食わないことをおっぱじめた場合には文句を言うこともできます。
また、あなたの投票した人物・党が、無念、野党となった場合。
あなたは相対する政権側を監視し、あなたが応援した野党に、政権にはあれをやらせろ、これをやらせるな、と口を出させることもできるし、またその野党自身が奇妙なまねをおっぱじめた場合には「約束が違う」と怒ることもできます。
つまりあなたは、投票した人物・党を通して、政治全体に影響を及ぼすことができます。
ところが、あなたが選挙権を放棄した、つまり政策を白紙で委任した場合。
残念ながら、上に挙げた一切の権利をふいにすることになります。
政権がどんな不埒を働こうが、野党がどれだけ卑怯な裏切りをしようが、あるいは特定の人物・党がどれだけ愚かなふるまいをしようが、文句を言う権利はおろか、酒場でぼやく権利すらありません。
なぜなら、あなたは「一切をおまかせします」という約束をしたのだから。
だから、選挙にはいきましょう。
投票は、あなたの権利です、あの連中に文句を言える、という。

つづき・「選挙にいこう、の論拠(補完)」

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ピアノをはじめてまる一年。
「どんどんうまくなってくはずのオレ」を記録してくことにします。
お聴き苦しい場面多々ですが、それを覚悟の方だけご試聴くださいな。
完全な個人趣味に走ります。


聴き込んで聴き込んで、苦労して苦労して、ついに耳コピでつきとめたコード。
みすぼらしいユーチューブデビュー。

解読「G7→Bフラット7→C7→Eフラット→F7やったんか」

そのお手本の演奏。

five corners quintet「 skinny dipping」



大好きなペトルチアーニ。
ブラッシュアップして、倍速で弾きたいところ。

爆笑演奏「ペトルチアーニのやつ耳コピ」

天才小人ピアニスト、ペトルチアーニ。

本物のペトルチアーニのお手本「She did it again」



ファンクジャズの傑作を、とりあえずコード進行理解。
次はメロディーラインを重ねなきゃ。

ミスタッチャブル「ウォーターメロンマン」

天才、ハービー・ハンコック大先生の演奏。
ぼかーここからジャズの道に分け入りました。

ハービー・ハンコック大先生「サントリーホワイトCMのウォーターメロンマン」

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