音って、不思議。
そこにあるのは、ただの空気の振動だけ。
音なんてものは、元々そこにあるわけじゃない。
トライアングルをこつくと金属が震え、その伝播のおつりが大気を震わせ、そこでできた波がぼくらの耳の鼓膜に伝わる。
カタツムリみたいな器官の中でこの波が増幅され、神経系に入ると、この情報は電気信号になる。
「音」はこの時点で生み出され、脳の中で「音楽」になり「声」になり「言葉」になる。
大気の波の周波数とその形で、外界で起きた事件の方向、距離、質感が、ぼくらにはわかる。
目も見えてなかったご先祖さまのひとりが、「空気の震えの構成で世界の動きが認識できそうだ」と考え、波を音に変換するシステムを自分の中に組み込んだ結果だ。
神経系は、分子の波を人類が理解できる様式に翻訳し、外界の「素粒子の並び」を具体的な描像に立ち上げる機能を持つ。
聴覚をヒントに、視覚はもっとすごいところに「目をつけた」。
ぼくらの「目の前」にひろがるのは、空気の動きどころじゃない、正真正銘の「無の波」である電磁波のこんがらかった行き来だ。
このオバケみたいな波は、ぼくらを構成する物質(素粒子のかたまり)にぶつかると相互作用を起こすため、人類はそうして受け取った波長の選別を利用して、自分の内側に映像を立ち上げることにした。
こうしてぼくらは、自分の中の三次元空間解釈世界を生きるに至った。
ぼくらが感じてる音も風景も、外側にひろがる実相(波の行き来)とは違った、つくりものの世界だ。
素粒子の世界がマボロシなんじゃなく、ぼくらの内側に築かれた世界こそが、波の解釈の幻影であるところのホログラムなんだ。
そしてややこしいのが、ぼくらの肉体や感覚器そのものもぼくの外側の世界に属するものであり、神経系で生まれた電気からこっちのみが「ぼく」なんだってこと。
人類は、耳で空気の振動を、鼻と舌で化学物質の構成を、目で光の波長を、手足の触覚で電磁気力を独自解釈して、総合的にひとつの絵を描き、その中を生きる。
自分がつくった世界の中に、それをつくり上げた当の本人を(それすらもつくり上げて)置くわけで・・・すると、世界の外側にぼくが、ぼくの内側に世界があるわけで、この奇妙な入れ子構造こそが生命の証なのかも知れない。
※厳密には、空気を含めた物質全体が、人類における素粒子の感覚解釈です。