物質界とはまったく別次元に「霊魂」ってものが存在する・・・ってのが、アリストテレスが言い出してなんとなく宗教絡みに流布されてる俗説なんでした。
ぼくの肉体の内側にぼくの中身がいるものとして、そいつをタマシイと呼んでたりするようです。
今回はこの説を検証してみます。
小さな子がしゃべりはじめの頃に、生前の記憶を語り出す、ってことがありますよね。
「お空からママを見つけてね、そこに飛び込んできたの」というやつ。
あれは実は、坊やのタマシイが天からママの体内に「入った」件じゃなく、胎内からママの顔の前に「出てきた」ことを言わんとしてるものと思われます。
外から中に入ることは、中から外に出ることと相対的に等しいのです。
彼らに生前(タネの着床前)の記憶はありません。
記憶とは、タンパク質と電気による作用なので、器なきところに中身なし。
生前の彼らには、天界も下界も、ましてやママの姿も見えてません。
視覚とは光と神経系の作用なので、視野が開くのは光が周囲に満たされた時点(お産の瞬間)からです。
同様に、滅形した人体からタマシイが独立して抜け出ることもなさそうです。
人体の中身(個人のアイデンティティ)とは、神経系における電気作用の総合なので、装置がオフラインとなり、ましてや装置そのものが失われたら、視覚や聴覚などの感覚、思考、感情や記憶一切は喪失します。
タマシイとは、物質による作用なのです。
科学的には、物質の世界から出ることは、エネルギーの世界に入ること(E=mc2)。
生きてた間の情報はエネルギーの波の中に残る可能性はあるものの、それもまたエントロピーの法則に従って平らにならされて、やがて均衡状態に落ち着きます。
物理法則に逆らって生後につくり上げたものは、物理法則に従って死後には元に戻す必要があるようです。
つわけで、ある個体の「タマシイが入るのはどの時点か?」は、両親の情報が初期化された胚が機能をはじめる瞬間に取るべきでしょう。
その機能が充実したところで自我が発生し、タマシイ=わたくしになるわけです。
では、「タマシイはどこからきたか?」というと、それはとりもなおさず、両親の情報の融合からきてます。
が、それまた二組のじいちゃんばあちゃんからきており・・・さらに遡れば必然的に、タマシイは最初期生命である「ルカ」にのみ与えられ、それが時代を下って小分けにされてると考えられます。
要するに、すべての生命の縦軸(歴史のつながり)と横軸(生態系のひろがり)が全部ひとかたまりのタマシイ、すなわち「わたくし」なんである、って結論に至ります。
その反対論として、タマシイとはパーソナルなもので、あくまでもわたくしという概念存在とどこまでも・・・例えば前世から、今、そして来世までワンセットなのだ、という宗教観もあります。
だけど、地球で人間として死んだらまた地球の人間として生まれ変わり、そのどちらもわたくしという人間一個人のアイデンティティを持つものなんである・・・なんてチッセーことが、宇宙のエネルギー現象として起こるなんて、信じられます?
タマシイ現象は人類に固有に与えられた特権で、この時空間の普遍的構造(宇宙中で同じ物質が等質等量で行き渡り、どこででも同じ物理現象と物理定数が通用する世界)から完全に独立して存在してるなんて。
逆に、タマシイが普遍的なものであると仮定すると、人間の人生を通過した後にハエに生まれ変わる、なんてのはおろか、遠銀河の果ての宇宙人ってチョイスまでも普通にあっておかしくはありません。
それどころか、タマシイは広大な宇宙空間のどこにでも展開してる、ってことになります。
「このスペースはわたくしたちだけで使うには広すぎる」って名言もありますよ。
ここはひとつ、肉体を失ったわたくしのエネルギーは宇宙中に散開する、と考えることにしませんか。
エントロピーの法則によれば、エネルギーは(保存則により)決して失われない、とあります。
それは形を変えて永遠に存在しつづけてくれるんで、安心安心。
かくて、死後の世界にいくとはすなわち、生前の世界に戻る、ってことなんですよ。
エネルギーを集中させて、物質界にちょっと寄り道・・・
それがこの生の意味なんじゃないですかね。