「素粒子は、誰かに見られたときにだけ形になる」の意味がぜんぜんわからない、ってひとがいるみたい(そりゃそうだが)。

有名な実験があるから、まずはその結果を知っておいて。

不思議で、直感に反してて、とても得心がいくもんじゃないけど、とにかくこれを「世界の事実なのだ」と受け入れる必要がある。

量子論はここからはじめるしかないのだ、と覚悟しなきゃね。

 

白い壁の手前に、小穴がふたつ開いたついたてが置いてある。

その穴に向けて、一個の素粒子を発射する。

ふたつの穴のどちらかを通し、素粒子を奥の白壁にぶつけるわけ。

これを何度か繰り返すと、ついたて越しの白壁の二箇所(穴を通り抜けるあたり)に、当たり跡が集中する。

・・・かと思いきや、なんと壁全面にわたって当たり跡ができる。

ついたてで死角になるはずの、あたりっこない位置にも!だよ。

その痕跡群というのが、「波」が壁全面にぶつかったような模様になってるわけ。

 

これを整合的に解釈すると、次のようになる。

発射する時点で「粒」だった一個の素粒子が、飛行中は「波」になって広くひろがり、ついたてのふたつの穴の両方(!)を素通りして壁に向かう。

「波」化した素粒子は、壁にぶつかると再び「粒」に戻り、一点に当たり跡を残す。

それを果てしなく繰り返すと、ランダムな当たり跡の総合によって、壁一面に波が押し寄せたような模様が残る・・・と。

 

さらに賢いひとはこれを「素粒子は普段は波の姿だけど、観測された瞬間に実体化する」と説明することにした。

すなわち、発射時点の素粒子は「ひとに見られてる状態」なので、粒という物質的性質を与えられる。

発射され、ひとの目を逃れた素粒子は、波の状態に散らかる。

素粒子は広く展開したまま、ついたてのふたつ穴を通り抜ける。

その先まで進んで壁に当たると、位置を観測(すなわち視認)されるので、素粒子は粒の姿に戻って、一点に痕跡を残す。

・・・つまり、素粒子は普段、波のように三次元展開した状態でどこにいるかわからないが、何者かに見られた瞬間に一点に収束し、ある位置に出現するんである・・・と。

 

だったら同じ実験内容で、ふたつ穴のどっちを通ったか(本当にふたつの穴を同時に通ってるのか?)を調べる装置を追加してみよう、ってことになった。

するとなんと、素粒子は穴を通過する時点で測定器に「観測されて」粒になり、ふたつの穴を同時に通り抜けることができず、一方だけを通過したんだ。

そしてさっきの結果とは違い(同じ実験なのに!)、ついたての奥の壁には、穴の延長線上の二箇所のみに痕跡が集中したんだ。

素粒子は、見られてないときは「波」、見られてるときには「粒」、と姿を変えるんだよ、まじで。

 

この観測収縮の受け入れは、量子力学を理解するための最初の儀式だよ。

信じるか信じないかはあなたの自由だけど、信じないことには先に進めない。

素粒子は、粒にして、波・・・

そしてその波は、観測された途端に一点に収束して物質化する・・・

だからなに?って感じだけど、とにかく、世界はそうできてるようだ。

 

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園