命・・・ってなんなんでしょうね?

いつもこんなことばっか考えてます。

いや、情緒的な意味でも、文学的、哲学的でもなくて、純粋サイエンスで。

どこからが生命なのか・・・?

どこまでが生物なのか・・・?

どこで区切られて「個」なのか・・・?

よくわかんないですよね。

草や木まではギリギリ生命って感じがしますが、竹林は根っこでひとつながりになっちゃってますし、木も森にまで展開しちゃうと、地上に自然発生した自律的な環境システムって感じになってきて、タマシイ論に立ち入るべきなのか?って話になっちゃいます。

カビは森の縮小版ですが、個はどこで隔てられてるのか?ってのも気になります。

それに、主体性の問題ね。

細菌は他者に働きかける活動をしますが、ウィルスとなると、姿かたちが幾何学的な上に、アクションが全自動的すぎて、もはや生きもの感なし。

それでありながら、個々が独立した系であり、オリジナルで発展式の遺伝子も持ち、増殖までしてみせます。

生命としてカテゴライズできない理由はありません。

さらに、人間は個としての生物に見えるけど、だったらそれを構成する細胞は?

たくさん集まって脈打ち、蠢き、自律的に活動し、目的を持って共同生活を営むそのひとつひとつを、生物個体ではない、と言いきってしまっていいものなのか?

その細胞の中で働く、例えば個々に分裂する核はただのパーツ?知性まで感じさせる転写・翻訳装置(RNA機構)は?もはや職人と言っていい腕前と正確さでコードを読み取ってタンパク質を編み上げていく工場(リボソーム)は?

個々別々に仕事をまかされて従事するこの子たちは、個人事業主です?それとも人間としての私が本当にそれを私自身の仕事として統括してます?

エネルギー製造装置であるミトコンドリアは、むかし生物だったものが細胞に飲み込まれた名残らしいです。

そんなミトコンドリアに住まうタンパク質や酵素もまた、生命活動のような働きをしてるし、ひょっとしてこのひとたちは、細胞に飲み込まれる前のミトコンドリアに飲み込まれた?

生命とは、どこまでも別人同士が入り組んだ入れ小細工なんじゃないですかね?

考えてみたら、単細胞生物が複数個くっついたときに多細胞生物が生まれたわけで、この時点で生命はひとつになったんでしょうか?それとも複合ユニットは複数個のタマシイを持ってる?

究極的には、「精子は生物なの?」問題があります。

いつ、どのタイミングでタマシイが入ったの?

それとも、受精前のこの子には「個」は入ってないの?

卵子には?

受精卵にはタマシイがふたつ同居してる?

・・・なんて不思議極まることをね、今後は書いていきたいと思ってます。

したいようにすれば?って感じ?

はーい。

 

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園