親父の命日だったんで、そんな話を書く。
もう三十年近くも前かな?交通事故で亡くなった。
即死で、最期は挨拶もできなかった。
オレが18で家を出て以来、不仲なわけでもなかったが、照れ臭さからほとんど没交渉だった。
それが最晩年(と言っても、今のオレと同年代だが)、上京してた息子に突然に電話をよこし、「明日、会社の役員会でクーデターを起こして社長になる」などと言い出した。
そして翌日、それを実現させた。
こんな親父、おる?
社員が数十人という中小の倉庫会社だったが、温厚で民主的で、たぶんひとに好かれる社長だったにちがいない。
「夢だった」という三億円の新倉庫を建てて、それを誇りにしてた。
亡くなる直前、仕事のついでなのかわざわざ足を運んだものか東京にきたときに会ったが、酒を飲んだり、ビリヤードをしたり、はじめて二人でそんな過ごし方をした。
池袋の丸の内線の改札まで見送りにいき、別れ際、なぜかオレは「そうだ、死ぬ前に形見が欲しいんだけど」と切り出した。
「万年筆がいい」と。
わかった、用意しとく、と親父は改札の向こうに消えたが、それが最後に見た姿だった(万年筆はもらえなかった)。
その後すぐに事故で亡くなったので、社長室に遺品整理にいくと、壁には家族の写真ではなく、三億円の倉庫の写真が飾ってあった。
葬式は、小さな会社の社長には不釣り合いなほど賑わった。
ひとづき合いが好きだったんだろう。
実家で営んだ通夜には、五百人が列をなした。
翌日の葬儀には、さらに千五百人が駆けつけてくれたので、焼香台を六つに増やし、ひたすら「こなした」。
まるで有名芸能人の法要の規模だが、まったく奇妙なことだ。
その夜のことだ。
いやーすげーな、とか言いながら香典袋から出した札束を積み上げ、われわれ家族は指にツバしながら目を丸くしてたんだった。
そのとき、なぜだろう?オレはふと勝手口を開けた。
広大な稲の水田がひらけている。
その目の前の北の夜空を、火球が長々と袈裟懸けに切り裂いて・・・要するに、とてつもない流れ星が横切っていった。
「お・・・おいおいおいっ・・・」と、背後の家族を呼ぶ「おい」を何度つづけても星の尾が途切れないほどの長大なやつだ。
巨星、落つ?
あれは最期の挨拶だったのかなあ・・・?
まったく、奇妙なことだった。
おわり。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園