広島に原爆が投下された日、だったらしいです。
もう64年もたってるんですね。
「レコードを見たことがない」とCD世代は言い、「松井がジャイアンツにいたことを知らない」とメジャーリーグ世代は言うわけですが、「ゲンバク」も人類の記憶の彼方に消えつつあるんでしょうか?
それどころか、「日本が中国を支配しようとしてた」「日本がアメリカと戦争をしてた」という事実すら知らないワカモノも相当の%を占めてるらしいです。
ところでNHKが深夜に、当時の戦争を体験したひとたちの証言を集めたものを放映してるんですが、視聴率はどれくらい出てるんでしょうか?
今や戦争証言者たちは、絶滅危惧の筆頭に置いていいほどにさらばえているのですが、こんな貴重な現場の言葉は、今後一千年にわたって語り継いでいってほしいもの。
しかし気を付けなきゃいけないのが、こうした局面局面での「美しくも哀しい物語」が、戦争を美しい舞台として描き出してしまうこと、そしてそれを意図的に美しいものをして描き出そうという企てが存在するということです。
戦争の本質は、もっと深くて目に見えない部分にあるので、この点はほんとにだまされないように注意深く選り分けなきゃいけません。
「日本が東亜を開放(支配)する行為には、諸国政権とのコンセンサスがあった」という意見や「アメリカが原爆を落としてくれたおかげで戦争が早く終結した」という意見には、もちろん側面としては一理はあるんだけど、ぼくにはとうてい得心がいきません。
しかしそれに先だって根本的に考えなきゃいけないことは、「日本の軍隊はアジア諸国を蹂躙しつつ、自国民をもいたぶりつづけた」という事実です。
戦争指導者たちは、安全な最後方に立てこもって机上で駒を動かしてるうちに、最前線にいる生きた人間を、本当の手駒だと勘違いしてしまったみたいです。
現場の痛みや凄惨さに思い至らすことなく、数的・面積的・雰囲気的勝利のみが陶酔感をともなって伝えられる。
すると、どんどん殺せ、どんどん死ね、という具合になっていくんでしょう。
こわい話じゃありませんか。
「ゲゲゲの」水木しげるさんは、自分の隊に玉砕命令(一死一殺の突撃命令)が出たために、砲列の前にからだを開いて戦ったんだけど、妖怪たちの加護のおかげで生きてもどってきちゃったひとです。
ところが這々の体で後方部隊に帰り着いてみると、「玉砕命令が出た者は、生きていてはいかん」と言われて死人扱いされ、ひたすら「死ぬ戦線」に送り出されるまでの日々を過ごしたそうです。
NHKの証言集でも、兵隊たちははるか大後方、安全この上ない大本営から発せられた「出撃ハ特攻トス」というたったひと言の命令で、必ず死ななければならない片道の旅に発ちます。
「死ね」と言われたら、絶対に死ななければならないわけ。
これは要するに、「軍部に命をもてあそばれる国民」という図式です。
トノのために命はって戦います、という戦国時代の価値観を、軍部は近代戦争に持ち込んだわけですが、信頼の置けない(しかもトノの名を勝手にかざす)司令部のために命を捨てるほど、じくじたる心境はないでしょう。
そうした意味でも、戦争指導者と現場で死んだ人間とを同じ場所で同列に供養するなど、戦死者当人や遺族の心情としてもありえないと思うんですが、このへんどうなんでしょう?靖国問題。
先の戦争では、自国を苦しめた日本人と、苦しめられた日本人の二種類が存在する、という奇形の事実があるのを忘れちゃいけません。
前出の水木さんは、著書「昭和史」の中でこんなことを言ってます。
「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を、外国の力で倒すことができた」
いろんな立場の人がいろんな歴史観を持ってると思うけど、この言葉は最も本質を突いた達見なんじゃないかな、とぼくは思ってます。
ところで言っとくけど、ぼくは特定の政治団体や活動のためにこんなこと書いてるわけじゃありません。
一般市民の、最も常識的な意見を自分の中で醸成しよう、という行動原理のみで動いてるので、どうぞお考え違いのなきよう。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
もう64年もたってるんですね。
「レコードを見たことがない」とCD世代は言い、「松井がジャイアンツにいたことを知らない」とメジャーリーグ世代は言うわけですが、「ゲンバク」も人類の記憶の彼方に消えつつあるんでしょうか?
それどころか、「日本が中国を支配しようとしてた」「日本がアメリカと戦争をしてた」という事実すら知らないワカモノも相当の%を占めてるらしいです。
ところでNHKが深夜に、当時の戦争を体験したひとたちの証言を集めたものを放映してるんですが、視聴率はどれくらい出てるんでしょうか?
今や戦争証言者たちは、絶滅危惧の筆頭に置いていいほどにさらばえているのですが、こんな貴重な現場の言葉は、今後一千年にわたって語り継いでいってほしいもの。
しかし気を付けなきゃいけないのが、こうした局面局面での「美しくも哀しい物語」が、戦争を美しい舞台として描き出してしまうこと、そしてそれを意図的に美しいものをして描き出そうという企てが存在するということです。
戦争の本質は、もっと深くて目に見えない部分にあるので、この点はほんとにだまされないように注意深く選り分けなきゃいけません。
「日本が東亜を開放(支配)する行為には、諸国政権とのコンセンサスがあった」という意見や「アメリカが原爆を落としてくれたおかげで戦争が早く終結した」という意見には、もちろん側面としては一理はあるんだけど、ぼくにはとうてい得心がいきません。
しかしそれに先だって根本的に考えなきゃいけないことは、「日本の軍隊はアジア諸国を蹂躙しつつ、自国民をもいたぶりつづけた」という事実です。
戦争指導者たちは、安全な最後方に立てこもって机上で駒を動かしてるうちに、最前線にいる生きた人間を、本当の手駒だと勘違いしてしまったみたいです。
現場の痛みや凄惨さに思い至らすことなく、数的・面積的・雰囲気的勝利のみが陶酔感をともなって伝えられる。
すると、どんどん殺せ、どんどん死ね、という具合になっていくんでしょう。
こわい話じゃありませんか。
「ゲゲゲの」水木しげるさんは、自分の隊に玉砕命令(一死一殺の突撃命令)が出たために、砲列の前にからだを開いて戦ったんだけど、妖怪たちの加護のおかげで生きてもどってきちゃったひとです。
ところが這々の体で後方部隊に帰り着いてみると、「玉砕命令が出た者は、生きていてはいかん」と言われて死人扱いされ、ひたすら「死ぬ戦線」に送り出されるまでの日々を過ごしたそうです。
NHKの証言集でも、兵隊たちははるか大後方、安全この上ない大本営から発せられた「出撃ハ特攻トス」というたったひと言の命令で、必ず死ななければならない片道の旅に発ちます。
「死ね」と言われたら、絶対に死ななければならないわけ。
これは要するに、「軍部に命をもてあそばれる国民」という図式です。
トノのために命はって戦います、という戦国時代の価値観を、軍部は近代戦争に持ち込んだわけですが、信頼の置けない(しかもトノの名を勝手にかざす)司令部のために命を捨てるほど、じくじたる心境はないでしょう。
そうした意味でも、戦争指導者と現場で死んだ人間とを同じ場所で同列に供養するなど、戦死者当人や遺族の心情としてもありえないと思うんですが、このへんどうなんでしょう?靖国問題。
先の戦争では、自国を苦しめた日本人と、苦しめられた日本人の二種類が存在する、という奇形の事実があるのを忘れちゃいけません。
前出の水木さんは、著書「昭和史」の中でこんなことを言ってます。
「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を、外国の力で倒すことができた」
いろんな立場の人がいろんな歴史観を持ってると思うけど、この言葉は最も本質を突いた達見なんじゃないかな、とぼくは思ってます。
ところで言っとくけど、ぼくは特定の政治団体や活動のためにこんなこと書いてるわけじゃありません。
一般市民の、最も常識的な意見を自分の中で醸成しよう、という行動原理のみで動いてるので、どうぞお考え違いのなきよう。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園