ついで話。

1つ前のブログに書いた
私の父方の家のお墓の話。

それは
ある意味 特権階級だったご先祖様ゆえ
共同墓地ではなくて
自分たちだけの専用墓地があって

みんな 最期は そこに入ることを誇りに思ってた。

専用墓地と言えば
例えば、イギリスとかでも
ダイアナ妃のお里っていうのは
自分の1族だけのお墓が 
自分が持ってる不動産の一隅にちゃんとあるみたいですが
うちも ちょい そんな感じなんですね。

もっとも、日本も、山⭕️地方の一部とかには
普通のお百姓さんでも 自宅の裏庭に墓地がついてるっていうのがあります
それとは 全く違います。

あれは 貧乏な百姓の子孫が
家を叩き売って どこか他の地方へ行くって言うことができないように、土地に縛るための策だと思うんですけど(墓つきの不動産は売買難しい)

我が家の場合は、自宅の一隅にはそういう事はしてなくて 持ってる一帯の土地の1部に
山があって その中に 墓地も持ってたって言う、、

が 今や、それが子孫の重荷になってしまってる
って言う、、、

満足してたのは
私の祖父母の代までだと。

ところが
それだけ気に入ってたお墓なのに

実は、ここだけの話 

そこに祖母は入ってないんですね。
祖父ともすごく仲が良かったし
亡くなったら 当然一緒に入ると言う予定だったんですが、実は入ってないんですね

(まぁ、人間 生きてるうちが全てで
亡くなってから どーこーってあんまりないでしょうから どこに埋まってようと 究極関係ないでしょうけどね。)


以下 

なんでそんなことになったか??

って言う話なんですけど 

これは 誰にも言わなかった事で
この 読者0に近い 自分の備忘録状態の
ブログにだけ残しておこうと

でないと 、自分も 来年から、
アメリカが ナチス政権みたいになってしまったら
いつまで 人生残ってるかわからないので、
ここにちょっと残しとこうかな

って言う感じなんですけど


ここには、父方の先祖が、江戸時代から?
ずっと代々眠ってるんですけれども

私の祖父も、その一角に
自分専用の墓石を生前から 建ててました。

で、生前は
その人の俗世での名前や
生年月日、功績等
は 全て 赤で書いてあったと思うんですが

その際 祖父の名前の隣には
祖父の妻である私の祖母の名前も 赤で
入ってたのを覚えてます。

祖父が亡くなったのは、私が高校生の頃だったんですけど
それから 十数年を経た、私が30歳位の頃 
私が既にハワイに来てたころ 祖母も亡くなった。

85歳位。

ずっと元気にしていて 
入院どころか 通院さえもしてなかったんですけど


最近、疲れ気味と 周囲には漏らしてたらしい。
ただ 年寄りが

疲れた
最近 弱った

等言っても

みんな

「それが老化」

と当人含めて
そんなもんだと思ってる節があるゆえ
深刻に捉えてない。

で 12月後半に亡くなったんですけど
おかげで、その年 
クリスマスハワイに来るはずだった
両親の旅行がドタキャンになって

うちの母親が

あのクソ婆 
最後の最後まで、人の人生、邪魔しやがると

ぼやいてたのを覚えてます(爆)


で 亡くなる前日か 2日前?まで
お歳暮の準備にと
デパートへ行って 申し込みしてた。

で 帰ってから

疲れた。
人混みに行ったから疲れた
歳だ

と言いつつ、その翌日も
自分の家の前
玄関先とかを 箒で履いてたらしいんですね。


それが終わって、家の中に入って
同夕刻 お風呂に入ろうとしたところで、
倒れて そのまま亡くなった。

なので、
当人は

しばらく前からしんどかった

っていうのが あったと思うんですけど

他から見ると

1秒も病気らしい事もなく 苦しまずに
そのまま逝った 

と言う感じで

人間に選択の余地があるんだったら、

長いこと入院して
辛い治療を行うよりも
普通に シャンシャン歩いて
デパート行って帰ってきて
玄関掃除して それっきり

こういう逝き方は、理想的じゃないかと
当時、みんなに言われたんですけど

亡くなった後、かけつけた父によると

元から ものすごいきれいな人でしたけど

亡くなった後でさえも、

これが ほんとに85歳のおばあさんだろうか?

と言うくらい綺麗で

燃やすの もったいない

と息子である父親が言った位ですから
相変わらずきれいだったんだろうなと思います。

そんな人ですから
お見合いですけど、
結婚相手だった 祖父が
祖母には ベタぼれで
ほんとに大事にしてたんですね。

もちろん 激動の時代だったので
おじいちゃんについて、
1時は中国大陸まで行ったりした事もあって
戦中、戦後 苦労もしたでしょうし
戦後も平和ながら 家がかなり落ちぶれたので
辛い思いもあったでしょうけれども

そういう時代の中にあって
家庭的にはすごく大事にされた人だと思うんですね。

で よく言うことに

明治の男っていうのは
飲む うつ 買う 
が、男の甲斐性だったゆえ

どこの 嫁さんも みんな苦労したのよ

って言うのがありますけれど

やっぱり、これは 究極
時代では無くて 教育の問題だと思うんですけど
明治生まれでも きちんとしてる家庭っていうのは

男子が 女の人に 迷惑かけたり
一段下に見て
暴力振ったりする事等は、とんでもない

って言う 躾をきちんとされてると思うんですね

私の父親と全く同じ歳で
やっぱり銀行の頭取のお嬢さんだった
小野ヨーコさん
この人は 日本では 

態度のでかい女

ということで、嫌われたけど
海外で男性受けが良かったのは
やっぱり 家庭が当時から男女平等って言う人権をすごく教えてたからと違うかなと思うんですね

もちろん、芸術家としては、ちょっと
変わりすぎてましたけれど


で こう言う感覚 
これは お金だけでは得られないものですから
うちの母方の祖父なんかも
親はお金を持ってたみたいですが
教養のない家だったので
やっぱり みんなドラ息子に育って 
嫁に来た 祖母は苦労した。


一方 私の父方の家っていうのは
先祖代々、なんだかんだって言って
本物のエリートだった

頭脳明晰で

馬鹿な事

っていうのは ほんとにやらなかった。

だから、戦争とかにも 大反対してたみたいですけど
世の大勢には 逆らえず 犠牲になった。

で 祖父自身は
家がお金持ちの上 自身も商才があって
更に 蓄財。
35で リタイアするつもりだった。


理科系の人間ですけど

本と芸術をこよなく愛して

文化系の私が恥ずかしくなる位
いろんなこと知ってたみたいですけど

(そんなところに、私みたいな子孫が生まれたのは非常に申し訳ないなと思いますけれども、、、)

それも
戦争のせいで だいぶ 好きな事を我慢して

更に 戦争って言う時代に翻弄されて

兄弟も全滅に近い形で亡くしたので
私が知る限り 祖父っていうのは
陰鬱な人でしたね。

例えば 直ぐ下の弟も
戦争前アメリカに留学してたみたいですけど、、

これに関しては
私が 7、8歳の頃? 一度

祖父の家のアルバムに

弟さんだと言う人の若い頃の写真があって

白黒だから カラーはわからないんですけど
おそらく、紺色 とか えんじ系?とかの
ダークな色の Vネックのセーターに
Pって言う 文字の入った制服みたいなの着て
アメリカのどっかで撮った写真があったんですけど

これ おそらく 東海岸の
ペンシルバニアとかプリンストン大学だったんじゃないかな??と思うんですけど

メジャーな 誰が見てもわかるような
学校代表する建物とかが バックにないので
ちょっと判別つかないし

あるいは 
子供の頃に1回見ただけの写真なので、
もしかしたら 一発でわかる証拠になるような
建物も映ってたかもしれませんけど、

今 そんなもの どこにあるかわかりませんから
何とも言えないんですけど

とにかくアメリカに留学してたんですね。
で その写真には 芝生のある広々とした場所で
友達と一緒に写ってる祖父の弟の写真があって
その後 帰ってきて 戦争。

英語ができる

って言うことで、海軍の通訳将校として取られるんですけど
日本の その頃の国防力っていうのは
おもちゃみたいなものだったので、

戦争が激化する前から
日本を出るなり、
船が目的地のシンガポールに着く手前で
アメリカの魚雷に落とされてしまって、

仕事する前に
目的地着く前に
海の藻屑となって死んでしまった。

何のために教育を受けて、勉強してきたのか??

馬鹿みたいな死に方をしたわけで
さぞ悔しかったと思いますね

靖国神話で 美化された話とは
ちょっとトーンの違う
祖父の 悔しそうな悲しそうな

弟さんのことを語った時の表情を
50年近く経った今も
私は 忘れることができないです。

だから、今よく言う

靖国で戦った人のために
国防で もう一度戦争をせなあかん

とか言うことを
先人たちがほんとに望んでいるかどうかですね

攻め込まれたら 仕方ないやないか

と言うけれども

攻め込まれた
戦争ふっかけられた

と、今言いながら
戦争を拡大してるのはロシアですからね

ふっかけられた戦争を仕方なく買って出た

と言う話が、後世に伝わる場合は
検証が必要だと




話がそれた。

とにかく 祖父は戦争で、身内をなくし
祖母の兄弟も 同じような運命で
男兄弟は全部戦死してしまってるので
(子供だった 1番下の弟を除く)

戦後の祖父は
いろんなことに冷めてしまって、

すべてが虚しい

って言う思いで

抜け殻的に生きていた面があって

だからこそ 身近にいる
残った家族と ささやかな生活を大事にする

って言うことに、
残りの人生のすべてをかけて 祖母を
出来る限り 甘やかしたような気がしますね。

そのせいもあってか

祖父母っていうのは、ものすごく仲が良い夫婦で

それをうちの母親が

気持ち悪い

とよく批判してたんですけど

確かにあの時代に

今の若いカップルとか
アメリカ人夫婦みたいな感覚で
自分の配偶者を公然と褒めるとか
珍しかったとは思うんですね


夫婦揃って

こんな奴 居ない方が
せいせいするわ


みたいなのが一般的な時代に
ある意味 浮いたでしょうけど

どこへ行くのも夫婦一緒だったんですね。

で 私の父親も
そういうのを見て育ってるので

妻である母親のことを
すごく大事にしてしてきたんですね

なので ある意味、祖母と母っていうのは
似た境遇なんですけど
お互い反目しあっていた。

で、祖母が亡くなった際
実は戦前からあった神戸郊外の家っていうのは

父と弟の間に、
もう1人いるきょうだいが住んでたんですね

この話は めったにしてないんですけど

父と弟って 一回りぐらい歳が離れていて
その間に 実は 女のきょうだいが1人居たんですね。
私にとって叔母に当たる人です。

で、今

ワクチンに反対とか
ものすごい陰謀説 流してますけど

私が
科学とか医療技術に対して
信頼を置く理由の1つとして

ワクチンや医療がなかった時代っていうのは

それこそ
今、ワクチン反対で、陰謀説を信じている人たちが垂れ流しているような健康被害がたくさんあったんですね

みんな 

超過死亡がー!!!

って言ってますけど
戦前の方が寿命とか すごく短かったし、

たとえ病気が治ったとしても、後遺症なんかもすごく多かったんですね

で、私の叔母にあたる人っていうのは

父親より2、3歳年下だったので

昭和10年頃の生まれですけれども

満2歳になる前
麻疹に かかるんですね、

今 麻疹の予防注射打ったら、
子供が自閉症になる!!

とか

あんなものは自然に感染して
免疫つけたら良い。
1週間で けろっと治る!
お注射不要!!
製薬会社と政府の陰謀がー!!!


とか 言ってますけど

ワクチンがないために
アフリカなんかでは、毎年何万って言う子供がなくなってるんですね。

もちろん 90%以上は助かるんですけれど

助かったら、その後 万々歳では済まず
様々な後遺症が残るケースもあって

うちの叔母も、その被害者の1人だったんですけれども

麻疹ウィルスっていうのは
髄膜炎とか呼吸困難とか、
重症化すると、生死に関わるような症状になるんですね

で、叔母 ものすごく高熱が続いて
生死の境をさまよって
その時にやっぱり気分が悪いし、赤ちゃんだったんで すごく泣いたらしくて、
結果 それが 耳に来てしまってって

当時 抗生物質もないので、
おそらく中耳炎を悪化させたんでしょうけど、

まだ言葉を覚える前 1歳代の時に
聴力を失ってしまったんですね

よって、今で言う

聾唖者になってしまった。

手話がないと話せない

聴力が少しだけ残ってるので、
なんとなく 人の口とかも読んで言葉をしゃべるんですけど、

やっぱり 聾唖者独特の喋り方で
きれいな発音にはならないんですね

で 当時は

障害者だって言うことで、
恥だから 家の中に閉じ込めて
外に出すな

って言う風に

隠して隠して隠してきたわけです。

でもそれは 遺伝とかの病気ではなくて、

単に予防接種と治療薬 がなかったために起きた悲劇なんですけれども

昔は 無知だったので
世間の偏見がすごかった

なので 祖父母も
お金持ち一家で

母親に似た すごく美男子の
王子様みたいな息子が2人だけいる生活です

と言う事に したかったので、

その娘さんは ほとんど表に出してないんですね。

でも 大人になって
何もさせないわけにいかないので、

男の子はみんな大学とかにやったけども

女の子だし ほとんど家に囲ったまんまだったので、洋裁学校で 洋服のデザインとかちょっ習った後 また ずっと家事手伝いで

祖父母が亡くなるまで、ずっと家に
結婚もせずにいたんですね。

で、祖母が亡くなった後

父親から見ると、妹
父親の弟から見ると、姉に当たる人が

祖母の家に居て
お嫁にも行って無いから
亡くなるまで そこで暮らすつもりだったんですが


芦屋の近辺にある家ですから、
今から20年30年近く前でも
坪数だって200坪を超えてたので

売ったり、
等価交換で マンションやモータプールにしたら
お金になるけど、

屋敷のまま住んでたら、
私の両親と同世代ですから
90近くまで生きたら
今でも健在だったはずで

そしたら まとまった遺産が入ってこないわけで

父親と弟が その女きょうだいを
追い出しにかかったんですけど、

当然 行くところがないんですね。

(等価交換で マンションでも立てて
家賃の上がりは 三等分で、
その一室に住まわせてやったりしたら
良かったと思うんですけど)


嫌だと言って 大喧嘩になった。

そしたら

こいつは大声でどなって気が触れてる

って言うことにして、

知り合いに医者とかがいるんで

絶対出さないでくれ

って言うことで

精神科病棟に入れてしまったんですね。

そんなとこに入れたらもう
家族が認めない限り出れない

と言う事で

ますます怒りがこみ上げて
周囲にも くってかかったらしくて

それを やればやるほど
キチガイじみて見える故
父と弟の 思う壺 なんですね

結局 私の叔母にあたる人は

精神病棟で
無理矢理 薬を飲まされたりして
毎日、朦朧とする中

食事とか一切 拒否するようになってしまって
もしかしたら誰も信用できなくて
なんか、盛られたらとか
そういうことも 考えたのかもしれませんし

周囲の態度を見て、絶望してしまって
生きる気力がなくなったのかもしれませんけれども

いわゆるハンガーストライキを始めて
数ヶ月後に 突然死した
今も 正確な死因は 不明。

なんか、ナワリヌイの最期とかを
彷彿させますけど

断食とか
不摂生な生活をすると
電解質のバランスとかも崩れるので
心臓発作とかも起こしやすくなるんですね

とにかく
祖母が他界して、1年もしないうちに
叔母も亡くなったので
祖父母の家は、空き家になって
めでたく売却して
3人で分けるはずだった財産も
2人で分けて、それで きれいに片付いた

その際に 
弟の嫁さんっていうのが
うちの母親に 食ってかかったらしいんですね

あなたのやること、あんまりだと

それを聞いた母親は

自分だって、財産の分け前もらっといて
何を言ってんねん!!黙れ!!

と言って
それっきりになったらしいんですけど

空き家になった家に
実は まだ納骨してなかった
祖母の遺骨があったらしいんですけど

それを誰かが 生ゴミとして
捨ててしまったらしいんですね

母親はハワイにいた私に

おばさんが亡くなったよと

ほとんど行き来してなかった人だから、
何とも思ってないやろ
しかも 障害者やったから
これで1つ片付いた ほっとした。

と言う報告だけして来た。

で、その時に
母親が言うには

精神病院に行く前に
私の叔母にあたる人が

祖母の遺骨をゴミとして捨てた

としてるんですが、


叔母は ただ単に聾唖者 と言うだけのことで、私の記憶に残っている限りでは
当たり前の人でしたけどね。

それが長年 一緒に暮らした親の遺骨を
ゴミとして捨てるかどうかですね


洋裁学校に通ってたって言うことで

私も 子供の頃に
手作りの服とかも もらった記憶があるんですが

母親が気に入らないから

そんな物 着るんじゃない!!!

って言う感じで すぐ捨てたけど
普通にきれいに作ってあったし

精神異常者っていう感じじゃなくて、
祖父母にも 何か言われたら、普通に
家事も手伝ったりして ごく当たり前に
暮らしてましたからね。

そう言えば 小学生の夏
祖母の家の 庭で 蝉とりとかも
一緒にやった覚えがある

ごく普通の人でしたね


もちろん 
自分には 
障害者として
閉じ込められた恨みがあるから
祖母の遺骨を捨てたんだろう

と言う 解釈も成り立ちますけど
ちょっとふに落ちないんですね。

一方

祖母は、うちの母親に対して
ものすごく意地悪な姑だったらしく

母親曰く

人に意地の悪いことしたら、
バチが当たるんだと
だから
最期は

あんなに仲が良かった 
クソじいさんと添い遂げることもできなくて
あんなに自慢してたお墓にも入ることができなくて、それも因果応報
生ゴミとして捨てられて
ざまぁみろ

ということで、

本来もらうはずだった分より
多めにもらった遺産で

ハワイに遊びに来て ずいぶん買い物をしたり

その後 東京にオクションを買う頭金なんかにもそのお金が化けるんですけど、

(まぁもちろん父も一生懸命働いてお金蓄財してた人ですから 親の金だけで 東京のマンションが買えたとは思いません)

いずれにせよ

私は
おばさんが病院に連れて行かれる前に
自分の母親の遺骨をゴミとして捨てたかどうかは疑問だなと思うんですね

と言うのは、

おばさんが
恨みを 持ってたとしたら
祖母の死後 誰も邪魔する人がいないので
すぐに遺骨を捨てたと思うんですけど、

そんなことした形跡はないんですね。
しばらくずっと家にいて、

その時 遺骨は 無事だった
祀ってあった

って言うんですね。

一方 母親っていうのは、

猫とかが死んでも
葬式とか出すの バカげてる
生ゴミ、黒いビニール袋で
捨てたら 誰も わからへんで終わり

みたいなことを

昔から ちょくちょく言う人ですし。

私が結婚する時も、

しょうもない奴と結婚しやがって!!!

と殴りかかってきたので

私が停めたら

逆に私が親を殴ったことになって

後 離婚したら

親に暴力ふるうから バチ当たって
離婚された!!!

とか言う人。

しかも 

もし
ほんとに
おばにあたる人が、

遺骨を勝手にゴミとして捨てた

って言うなら

これ ある意味犯罪になりかねないことなので、
(残ったお惣菜 捨てるのとは訳が違う)

それこそ 十分に精神病棟にぶち込まれる理由になるけど 
そんな話は 報告されてない。

しかも 叔母が ほんとにそんなことやったとなったら

許せないって言うことで

残りの家族で すぐ 捜査とかやって

場合によっては 
ゴミの回収業者に 問い合わせとかして
探すことも可能だったと思うんですね。


実際
間違って婚約指輪とか捨てた人は、そういうことしたケースありますからね

とにかく ほんとに大事な遺骨だったら、
たとえ 頭のおかしくなった叔母が
ゴミとして 捨てたとしても
周囲で 回収しようとか した筈が

誰も何もしない。

ばちあたったんだ
はい それまで

と言うのは、ちょっと不自然な気がしますね

そのことで
父の弟の嫁さんが

母親に向かって
怒鳴ったのと 違うんかなぁ?

と思うんですが

何せ
父親は何にも言わずに、相変わらず
沈黙ですし

私が外国から
証拠も何もないのに、憶測だけで
物を言ったら

それこそ、また

嘘つきだ
クズだって

大変なことになるので
黙ってましたけど


結局その後

家も売り払ったので
世間的には

遺骨は 何処へ?

って言う話になるので


納骨

って言うことになったんですが
実は、骨骨 空っぽ。(爆)

なので、父親が
祖母の遺品の1つである 老眼鏡
これだけを 入れて納骨したらしい。

それを 母親が

「そんな事 世間に言えないけど
骨壺の中には、
実は
メガネしか入ってへんのや
ワロタ
ざまぁ無いで


一緒に
おじいちゃんと添い遂げてる

って言う 1番欲しかったもんが

生前 人に意地悪するから
かなわへんかったんや」

と言うんですが

私はこれを聞いて

ここだけの話

 この話をするのは今回が
最初で最後だと思うので

本音を言わせてもらうと

いい加減にせいよ

と言う事以外は
何の感想もないです

地震の時もそうだったんですけど
祖母の家にひびが入っても
あんなクソ婆
見舞いに行ってやる必要もない。
死んだらよかったんやとか

いくら嫌いな人でも
最低限守る マナーって言うのが
あると思うんですけどね、、、

ナワリヌイ死んだ時に

トランプ支持者かつプーチン崇拝者が

あの人は反日ですよ!!


と、言うことを、言い訳に
同情する必要ないとしてましたけど
(ついでに言うと プーチンが親日やと思ってるのかって)

それと、似てて

自分が嫌いな人間とか
、自分と意見が違うからと言って

悲惨な惨殺
とか
人権蹂躙が行われて

それでよしとする

こんな馬鹿な話はないと思うんですね

自分が逆の立場やったらどうするんやって言うことですよ、