最近 (ここ2、3カ月)

 

 絶縁した親から 割と頻繁に電話が掛かった形跡があって 

そのうち 何度かは 珍しく留守電にもメッセージが入っていた

 

うちの親は

 

「人間、何が禍するかわからんゆえ、証拠が残る事は 極力するな」

 

と言う信条から 留守電とか 手紙やカードの類は 滅多に残したり書いたりしない人

これまで 誕生日や季節の挨拶も 私から親にやる事はあっても 

親から そういう物を貰った事はないし

 

私が送った物も

 

け! こんな 下手くそな字と文章で 一銭にもならんもの」

 

と即座にゴミ箱に捨てるような人だった。(まあ 私の悪筆と文章力なら それも仕方あるまい)

 

 

 

よって 留守電内容も大した事では無い。(まあ 仮に大した事であっても 私はすでに絶縁した身ゆえ 一切連絡はしないつもりでいる)

 

 

私が親と 絶縁してから 8年程になるが

 

その間 親は

 

親自身の知り合いではなく

私の友人とその友人の親に

何度も 電話をかけ

 

私が いかに人間の屑であるか

 

を訴えまくっていた。

 

 

今まで 散々 

一人っ子として

甘やかして育て

果ては おばか丸出しの私立四年大にまで

送ってやったのに

 

ろくな者にならず

 

親が歳とって来たら

海外へ高跳びし

そこで 兵隊と乳くれあって

最後の最後に親が歳とって ぼろぼろになったら

捨てた

これ以上の親不孝ぶりってあるだろうか

 

と言う内容を

私の友人の親に聞かせ

 

時には

 

涙声で

 

私らはもう90になる

明日お迎えが来るやもしれん身の上ゆえ

 

そんな屑娘でも

最期にもう一度一目会いたいが

絶縁状態が続いて困っている

 

と言ってるらしく

 

 

友人の親は

私に 非常に憤っていた。

 

一方 私の友人の方は

長年 私と付き合う中で

私と親とのやり取りにも

多少 聞き及んでいたゆえ

 

もし私が あんたの立場やったら

もっと早く 

とっくに絶縁してたと思う。

あんたは あの親と50歳になるまで 付き合っただけ

偉い

 

と概ね 私寄り。

 

なので 

友達の親子関係にヒビが入ってしまいそうな時期もあり

 

私としては 

 

その友人との関係も断つ気でいた。

 

家庭崩壊は我が家だけで充分。

 

 

私自身は

これまで 親の計らいで

 

友達を持つ事も

許されず 基本的には いつも1人だったし

 

ずっと

屑呼ばわりだった私の様な人間に

 

今更 孤独とか

世間の評判なんて

痛くも怖くも無い。

 

今の自分に欲しいのは

ただただ静かな時間だけであって

 

SNSでフォロワー数を競う様な

世間の評判や評価への

一喜一憂は 自身には一切関心が無い。

 

で 風の便りによると

 

両親は東京郊外にある

日本屈指の高級老人ホームに

5、6年前から入居しているという。

 

風呂 台所付きの個室に

 

メイドサービスと

3食 和洋中から 好きなメニューが選べる

食堂付きのホーム

しかも 料理人は 某有名調理学校を引退した

師範が監督だと言うし

 

散歩の出来る広大な庭園や

室内ジムにプール

温泉

図書館

多目的ホール等も完備。

 

それだけなら 単なるリゾートホテルで終わってしまうが

 

老人にとって 一番気がかりな、病気の際にも 完全看護制度があり

ホーム内にクリニックも併設。

 

そう言う所ゆえ

 

入居費も

(入居時の年齢にもよるが)

 

一人 一億は下らない

 

と言われている。

 

入居者も

皆さん超一流で

日本の各界で活躍した

そうそうたる面々だと言う。

 

 

なので

私はそんな所に面会に行くべきでは無い。

でないと 引っ越し等が簡単に出来ない

終の住処に入った親に迷惑をかけてしまうだろう。

 

よって ますます絶縁して正解だったと言う

思いを強くしているので

一切連絡を取っていない。

 

 

 

 

 

親がまだ70、80代だった頃

親は 都内の超一流マンションに住んでいた。

 

そう言うと人はすぐ

 

世田谷区

とか

六本木界隈のタワマンを想像するかもしれないが

 

本物の超一流の金持ちと言うのは

 

まず 芸能人が多い街等を嫌う。

 

「ここを歩いてると

タレントの誰それも 誰それにも会う」

 

とか言う自慢をするのは 

大した事はないそうだ。

 

同様に

戸数が多くて

管理が難しい

 

(改修工事一つでも

戸数が多いと 意見が割れて 事が進まない)

 

タワマンとかも 金持ちは嫌う傾向がある。

 

父と母が住んでいたマンションも

世田谷区とかからは

かなり離れた 都内の一等地で

 

こんな所に人が住んでるの?

 

 

と言う様な 旧大名屋敷街の一角にある

小規模マンションだった。

 

当時 会う人毎に

 

「え〜 そんな所にご自宅なんて

さぞや 高級マンションなんでしょうね」

 

と言われると

 

親は

 

マンション なんて 呼んでもらっちゃあ困るんです。ションですのよ。ション ウフフ」

 

と鼻息荒かったのを覚えている。

 

元は関西人だが晩年は 都内に引っ越し

父自身の頑張りと父の実家が

(落ちぶれたとは言え) そこそこ裕福だったゆえ

その遺産もあり、晩年は こう言う住宅の購入も

可能となった。

 

 

で そこには

政財界の大物や著名な医者

宮内庁の大御所等が住んで居て

 

知る人ぞ知ると言うマンションだった。

 

余談ながら 今 何かと話題の

某製薬会社の創業者一族の1人も(元は関西の出だが)

都内の居住地は そのマンションで

 

うちの両親は何故か この一族が苦手で

(同じ関西同士 実家の事が バレやすいのが煙たかった?)

 

たまに実家帰りをする私にも

 

「、、と言う訳で あそことは

なるべく 関わりたくないから 

おまえも ロビーやエレベーターで 鉢合わせしたら なるたけ余計な口を効かず

さっさと 立ち去る様に。

 

特におまえの事なんか 

根掘り葉掘り聞かれたら

恥なんやから!

 

一応 近所には

 

おまえは

これこれこう言う 経歴でこう言う身分だと

をついておるゆえ

万が一会ったら そこは 話を合わせる様に」

 

と きつく言い渡されてもいた。

 

この薬問屋に限らず

他にも このマンションには

そうそうたるお歴々がお住まいゆえ

 

私は身分を偽って(盛って)も

未だ 恥晒し

 

と言う事で

 

全く 情けない!!

てめえは 親を嘘つきにしたんだよ!!

おまえの事なんて 何一つ 本当の事は

ここの住人に言えやしないやないか!!

そこらへん どー思ってんだよ!?

聞いてんのか! あ?! ゴラ!!」

 

と 恫喝されるのが常だった。

 

なので

たまさか 日本に帰省した折は

 

親の命令もあって

 

私はそのマンションにある

 

正面玄関ではなく

 

その一つ階下にある

 

ゴミ捨て場 兼 駐車場 から

 

左右人気が無いのを確かめて(爆)

出来れば 管理人室も閉まった

夕方5時以降に こっそり出入りさせて頂いていた。

 

これじゃあ まるで 盗人だが

私の様な人間は そうするしか無い。(爆)

 

でないと親に恥をかかせ

迷惑がかかる。

 

それ以前の問題として

 

庶民的な町に住む 母の実兄宅(私の叔父)

でさえ 私には出入り禁止令が出ていた。

 

2004年夏

結婚したばかりの頃

 

アフガン派兵になった夫が

2週間の休暇を貰って

当時住んでいたハワイの自宅に帰宅したのだが

 

その際 夫の希望で

 

この機会に是非 未だお会いしてない

君の日本のご親戚にも 挨拶がしたい

 

と言う事だったので

 

私も約5年ぶりに帰省。

 

東京だけで無く

叔父夫婦が暮らす関西への

新幹線やホテルの手配もした

 

その際 東京で落ち合った両親も

同行すると言うので

のこのこ 京都まで新幹線に乗り

そこから また私鉄に乗り換えて

 

いよいよ 叔父夫妻宅の 二駅手前

で 再度乗り換えのため下車したら

 

(ここは 後に 安倍元首相終焉の地として

全国にその名が知れ渡るのだが

平凡な地方の住宅街にある 中規模ターミナル駅で 列車の多くの乗り換え 切り替えポイントがある)

 

その駅のホームで

 

母親から

 

「あんたは

この街で かつては秀才として通ってたんや。

それが今はどうや?

こんな 落ちぶれて

しかも アメリカの兵隊連れで

あんたの昔の知り合いに会ったら

どう言い訳するつもりや?!

え?!

 

あんたの叔父ちゃんかてなぁ、

あんたが小さい頃 可愛がってくれたやろーが

そんな 叔父におまえは 恥かかせんのか?

 

叔父の家の近所の人が あんたと いかにも米兵の男見たら どんな噂立つと思うねん?

 

しょーもない平凡な男でも

私にとっては 大事な兄やねん

貧乏やし歳もとって

今更 恥かいても 他所へ引っ越す金もないねん

 

いじめんといたってくれるか?」

 

と言う。

 

要するに

 

アフガンとハワイから

はるばるやってきた 私らに

二駅手前で

 

会うな 帰れ

 

と言うわけだ

 

「だったら それを

日本へ来る前に 言ってくれたら

こちらも そのつもりで 関西には来なかったのに」

 

と言うと

 

「おまえは アホか!?

こっちは なあ

 

このアホ いつになったら気がつくかと

 

ずーっと待ってたんや

 

ええ歳して

そんな事もわからんと

 

その己のバカさ加減は棚上げで

 

「なんで言うてくれへんかったんや!!」

 

って 最後は まるで こっちが 悪いみたいな 言いぐさかよ。

 

こっちかてな、こんな事 言いたないわ!!

 

言わすなよ!!

 

アホを見兼ねて止めた善人と叔父の恩人に

お前は 逆恨みかよ

相変わらず 最低やな おまえは」

 

と言う母親。

 

慌てて、

では代案で

家では無く

レストラン等で落ち合う事も提案したが

母親が ガンとして 許さななかったので

 

急遽予定を変え近所の 奈良公園で遊んで帰った。

 

夕刻の奈良には大してやる事も

見る物も無かったが

 

日本語のわからぬ夫には

 

叔父夫妻が急遽病気で

当分会えない事が派生したので

 

歴史名所巡りで勘弁してくれと言い

 

泣きたい気持ちを堪えて

陽気に奈良を案内した

 

親は奈良には来ず

そのまま きびすを返し帰京。

 

旦那と2人で歩く奈良公園は

私が子供時代に見知った公園よりも

遥かに観光地化が進んでいて

 

古くからあって変わらぬ佇まいの筈の

神社仏閣までが なんだか違った物に見えた。

 

もはや 故郷と言うよりも

文字通り異国の観光地に来た気分だった。

 

 

不幸中の幸いは

夫が その観光地を大いに気に入ってくれた事だった

(と言うか 夫も 不穏な空気を察して 気を遣った可能性がある。)

 

夫にとっての奈良や京都は

東京や大阪よりも 遥かに魅力のある場所だったらしい。

 

とにかく 叔父とは

30年以上前 最初の結婚をした式場で会って以来

会わず終いになった

今生きておれば 叔父も90を越えているが

母親は 親戚や自分の知人は全ての連絡先をブロックして教えてくれない人ゆえ(今の老人ホームの住所も秘密

私は叔父の生死すら知らないまま

今日まで来た。

 

おそらく この世では もう二度と会う事はないだろう(多分 亡くなってるんじゃないか)

 

それも これも 全ては 私がクズのせいである

 

なので 甘んじて受ける。

 

 

他にも 高級マンション時代は

 

親が ご近所の知り合いと

お食事に行く際も

私は 

 

みっともなくて 人前に 出せない

 

と言う事で

 

帰省中でも

私は親のマンションで1人 留守番する事も多かった。

そりゃ 学歴も職歴も婚活もコケた上、いっちょうらが ユニクロの不細工女だから

超高級マンションで ご近所付き合いは 出来ないだろう。だから 親の言う事は ごもっともだ)

 

 

今日は これから〇〇シェフ経営の高級フランス料理店に

〇〇電気重役の〇〇夫妻と食事に行くから

あんたの事は 言ってないから

来られたら困るのよ。だから 留守番してて」

 

 

はあ それは ごもっともで」(私だって そんな大それた人とは 会うのが怖い。

そんな状況では、せっかくのフランス料理の味もわからんだろう)

 

「じゃあ 行ってくるけど

ゴミ出しておいて」

 

へい

 

ってな具合で

 

ゴミ捨てに いそいそと降りて行ったら

 

普段出入りしてる

勝手知ったる階下だと思い舐めていたのだが

金持住宅の警備は厳重で

 

親がそこに引っ越した後

初めて帰省した際は

 

高級マンションは

ゴミ捨て場でさえ 手抜きせず

余りに 防犯設備が良いせいで ひでぇ目に遭った(爆)

 

 

余り詳細を書くと 迷惑が及ぶ?ので 肝心な部分は端折るが

 

ゴミ捨て場のドアを開けると

 

最初にあるのが

 

生ゴミ捨て場

 

そして、その奥に

扉を隔てて、 リサイクルゴミ用の部屋があったのだが

 

その 

 

生ゴミ と リサイクル室を 仕切るドア

 

これが 曲者で、、

 

一旦

 

マンションのエレベーターホール側に近い 生ゴミ側から 

 

屋外に近いリサイクル部屋

 

出たが最後

 

生ゴミ部屋に戻る際には

外からの侵入者 と言う疑いがかかるらしくて

 

生ゴミルームに戻るには

正面玄関からマンション内に入る時と同様の

カードをかざす必要があった

 

そんな事 こちとら全く知らんかったし 

そもそも そんなカードを貰ってさえいなかったゆえ

 

自宅キーだけ持って出た私は

同じマンション内に居ながら

リサイクルゴミ部屋に閉じ込められる事となった。

 

 閉じこめられた事すら 把握してなくて

 

背後で

 

バタン

 

と勢いよく閉まったドアを

何気に開けようとしたら

 

アラームを発動させてしまった(爆)

 

ウーウーウー

ピーポー ピィーポォー

 

と言う けたたましいサイレンが 閑静な住宅地に鳴り響き

うろたえたの何のって、、、

 

すると 流石は高級マンション

 

あっと言う間に 管理人と共に 警備員らしき方も 数人やってきた。

 

「ああ、どうも」

 

見慣れない顔、小汚い身なり、私は 全くの不審者だった。

ただ 貧乏くさくてアホ面をしていても 私には 凶悪な感じはないゆえ

ただの コソ泥系として 私に 銃(アメリカと違うからね)や 警棒を 向ける人は0で

 

それでも 身分を明かさないわけにもゆかず

 

親からあれほど

 

「管理人や近所の人と べらべら喋ってくれるなよ!!」

 

と釘を刺されていたのに その約束を破る羽目に、、

 

「実は 〇階の 〇〇の身内で ございまして、、

日頃は ここに住んでおりませぬゆえ、お初にお目にかかります。

いつも 両親が 大変お世話になっております。

でもって この度は 私めまでもが このような形で お手数をおかけして

大変恐縮致しております」

 

と 謝り倒して ゴミ捨て場から出して貰った。

 

ところが

 

自宅の部屋を 預かっていた鍵で開けたら

これもまた 自宅ドアに セコムみたいな 装置が 設置されていたらしくて

 

帰宅の際は

特殊な作業をやって 解除してからでないと

たとえ 鍵を使っても 曲者と 判断されるらしく

 

いきなり

 

「ドアが開いています

ドアが開いています!

 

ピーポー

ピーポー

ウーウーウー

ポォーピィーポォーピィー

ウィーン、ウィーン、ウーウゥー」

 

 

と再び、大騒ぎになった

向かいにも 家があるし

 

オロオロして 

 

確か 台所にアラームの設置パネルがあったはず

 

と思い出し

 

あちこち触ったが らちが明かない

 

で 結局また 管理人に連絡して

部屋まで 来て 止めて貰った

 

上がって来た管理人は 口にこそ 出さなかったが

 

またお前かい?」

 

と言う 半ば呆れ果てたまなざしで

アラームを解除すると

階下へ 戻っていた

 

 

「重ね重ね、大変申し訳ございませんでした、、、」

 

峠の釜めし弁当の売人のように 私は 管理人の姿が エレベーター越しに

見えなくまるまで 深々と 頭を下げて 陳謝した。

 

 

「お前って奴は 全く、、

ゴミも まともに 捨てれんのかい!?

 

ほんで 一番 アカン 管理人に 2回も 顔見られたんかい?

 

あの管理人は 喋りやから

 

近所に お前の存在を 喋るぞ、、、

弱ったな、、」

 

 

父は 泣きそうな顔をしていた。

 

男前で 俳優と間違えられることしきりの 父に私の存在は

ほんとに 隠したい存在だったろう。

 

通算で3回やった結婚式でも

 

「なんで お前に こんなかっこいいお父さんが居るの」

 

と 花嫁の父 と言うのが 別の意味で 有名になったし(日米共に)

 

私を訪ねて ハワイに来た父親と 食事をしてると

年老いた 日本人のウェイトレスとかに 必ず

 

「知ってるんですけど 名前度忘れして、、、

時代劇の方ですよね」

 

と トイレに立ったおりに 呼び止められ

 

「はぁ?」

 

と言うと

 

「オタク、付き人さんでしょ!

ほら ご一緒の方 俳優の なんでしたっけ」

 

と 言われる始末。(似ても似つかない親子

 

それでも 義務教育の間は

 

不細工でも勉強はできる

走っても 市内で大会新記録を出す

 

とまだ 取り繕う余地があったが

高校以後 すっかり 成績が地に落ちた私は

 

はずれ馬券と 言われ

 

親は私の顔を見ると

 

「これ 将来どーすんねん!!

お前のせいで こんなパッパラになったんやろうが!」

 

と互いが責任をなすりつけあい

 

「就職も貰い手もないぞ!

 

でも 鶏絞めるみたいに 殺すわけに いかんぞ」

 

と 真剣に嘆き合った。

 

見かねた私が

 

「まあまあ お茶でも」

 

と 言うと

 

「じゃかましいわ!!

誰のせいで こんな喧嘩になったと 思うて ケツかんねん! このドアホめが!!」

 

と 茶たくが飛んでくるような家だった

 

しかも

 

私の間の悪さは 天下一品で

 

当時親が暮した 超高級マンションの知り合いの中でも

親が最も 避けていた 某製薬会社一族

 

これと 私は 道を歩けば なぜか 必ず 遭遇するという 変な縁があった。

もう 呪われてるとしか 言い様がない(爆)

 

ある時 父と

近所のコンビニに ちょっと出かけたら その帰りに マンション前で 鉢合わせ。


(他にも もう一回 地下鉄の入り口で

ばったり会った事もある)

 

で 流石に 自宅前で 他人のふりをして 逃げる事も出来ぬゆえ(爆)

のっそりと 父に隠れるようにして 間の悪い沈黙に耐えて居たら

 

父が

 

、、、、、う、、、あの、、、、娘です

今 アメリカから 帰ってます」

 

と嫌そうに言い

 

そこの奥様が

 

世辞で

 

「まあ 綺麗なお嬢様ですこと

流石男前のお父さんの子やね、

あれ、、でも あんまり 似てない?」

 

と余計な本音も付け加えた(爆)

 

其の後も

 

親が住む事になっていたハワイに世話をしに行っても

 

まさかの 朝食や夕食で ばったり 隣の席になった事が2度もある。(一週間かそこらの内に)

 

年末年始のハワイは日本人だらけ とはいえ

 

ワイキキには ごまんと 飯を食う場所がある

 

何で よりによって 

同じ時間帯に 同じレストランで しかも 隣に座るかいな???

 

と言う感じだったが

 

可哀想なのは 私の親だ

 

お相手も 両親も 高級ブランドに身を固めた中

私だけ 冗談みたいな恰好で 座ってるわけで

 

いや、、先日は 東京でも お目にかかって 、、その節は、、どうも、、何と申しますか、、

で、こんな所で 再会する事が判っておりましたら

わたくし、タンスの奥から もうちと ましな物を 物色して 身に着けて参りましたのに(これは嘘、タンス引っ掻き回しても

高級品なんて 持ってないのが私)

本当に こんな恰好で お許しを、、」

 

「いやいや、ハワイは カジュアルな場所ですから、、

逆に私らが 浮いてますよ

アメリカさんは そう言う処ですよ 特にハワイはね」

 

と 話を下界の住人に合せてくださった

親は 苦虫を潰したような顔を

 

其の後も 私が 余計な事を口走らないかと 生きた心地がしなかったらしい(爆)

 

が こういう際は 

 

一にも2にも 沈黙は金。

 

私は ひたすら相手の話しを聞く側に徹した。

 

このお歴々の事を 親は

 

「金持ちだけど 頭がちいと粗雑なんじゃないか」

 

と言ってたが ところがどっこい

 

海外留学して(しかも 結構な大学)

 

アメリカで学位もお持ちだという事で

当時のお話等 有難く拝聴した(同じ留学でも 私のインチキ5流大卒とは エライ違い)

 

後で親にその事を言うと

 

「へえ あの人が?

そんな學校出てはったの?

ついぞ 聞いた事ないな」

 

と驚いていた。

 

私と違い、きっと 親は 自分が 喋るのに忙しかったのだろう

(自慢のネタが多い人ほど 喋る側になる)

 

 

 

 

そんなテイタラクゆえ

 

震災の後 親が移住したいと言ったアメリカも

結局は、

 

アメリカ暮らしと言っても こんな貧乏暮らしは嫌だと 日本にすぐ帰り

(せっかく 三か月で取ったグリンカードは 叩きつけて 捨てていった)

 

其の後は

私が グリンカードのスポンサーのために アメリカ国籍を取った事も忘れ

 

「親の面倒があるんだから 永久帰国しろ

それで 当たり前やろ! この屑が」

 

と言うので

 

「でも それをやると 二重国籍を認めない日本のために すでに 放棄した日本国籍を

再取得する際 私は アメリカ国籍を捨てる事にもなりかねないので

一時的な 帰国なら 可能だと思うけれど」

 

と言っても

 

「バカ野郎!

いつ 具合が悪くなるか 解らんのが 老後やろ!

ずっと 常に付き添うのが当たり前

その際、日本で銀行口座も持てないような 日本国籍のない人間は 役たたずや!

あほが 日本国籍捨てやがって!!」

 

と どうしょうもない事で責める(だったら グリンカードが欲しいと 私に懇願するべきではなかった

 

「いやまあ それは」

 

とやってるうちに

 

他にもいろいろ 山ほど すったもんだあって

 

とうとう 私は 絶縁を決意した。

 

今 私が守るべきは 旦那との静かな生活だと 考えたのだ。

親との生活で 私は親を不幸にし続けた。で これは 今後も改善の余地はないだろう。

この50年 私は 至らぬ人間ながら 自分なりに出来る限りの事はしてきたつもりゆえ

もう 言い残す事も やり残したと思う事も 親に対しては 一切なかった。

だったら たった一つ残った 自分で選んだ家族を 私は せめて 壊さぬよう 努力して

余生を送るべきではないか

 

そう考えた。

 

 

で その後 親は

 

↑のように 私の友人の親に 私の屑っぷりを 告げて回ったのだが

 

 

お相手と言うのも

 

友達の親ゆえ 皆さん 70代とか80代。

 

しかも 皆さん うちの親と違って

 

離婚や 死別で 独り暮らし。

 

 

そんな処へ

 

自分が喋りたければ

 

夜中の2時でも3時でも 4時でも お構いなしに電話する(らしい)

 

これは 緊急とか認知症とかではなくて

以前から 私にも 毎日やっていた事で

 

こちらが 仕事や學校の都合で 困ると言っても 聞く耳持たない人だった。

 

が それを 他人にまでやると

 

私なら

 

お前のせいで 人生がこんな 恥かきで 悲惨な物になった!!

責任とれ!!」

 

的な弱味を盾に 無理も言えるが

 

友達の親に そんな義理はない

 

だから 次第に嫌な顔をされて 避けられるようになる。

 

すると ある時 うちに 留守電が入っていて

 

「お前の友達の親な、あれ トンデモナイで

流石 お前の 友達の親や ロクでもない

 

要するに 私に近づいて

自分の店(自営業やってる)の品物を 私に売りつけるつもりらしい

しかも 90の年寄りに 新幹線に乗って 大阪の店まで 来いと

そういう たくらみらしい

もう 縁切るわ

お前の友達でも 容赦せん」

 

とか のたまっている

 

しかも ほぼ同時期に 友達の親からも テキストが来て

 

オタクの親から 夜中の3時とか4時に電話があって困ってるが

 

「迷惑なら あなたからも うちの娘に 私等に連絡するよう 働きかけてください。

全てはあいつ(私)のせいだけど

それを 真剣に助けようとしない あんたにも 問題があるのよ!!

うちらから 電話されるのが嫌なら うちの娘に あなたが 私の希望を伝えてよ」

 

と 迫ってるそうで (しかし この間、母の隣にいる 父親は 一体何をしているのか?と思うが

どうせ 言っても聞かないのだろう)

 

「物をうりつけるなんて とんでもない。

リタイアして、店閉める用意してるし

金にも困ってないし(この人 ほんとに うちの親以上に 億万長者。そう 友達は億万長者のお嬢)」

 

と 困り果てていた。

 

 

「なんか 私 誤解して 貴女に 悪い事言うたかもしれません。

あなたも あのお母さんでは ご苦労したでしょう」

 

と 最近メールもきた。

 

が それと同時に

別の友達の親に 連絡が行ったらしく

 

そこからも

 

「当たり前の子育てをしたのに さも 私が厳しいかのように

私から 去っていく娘の行動は本当に 理不尽。

昔は 教育や躾はもっと厳しかったのに 甘やかしたら図にのった」

 

と 言うておられますよ 親を捨てたらダメでしょ」

 

と うちに 深夜に連絡が入る有り様

 

と言うわけで

 

昨年の11月頃からは

溜息と 不眠症に 悩む日々もあったが

 

それは しばらく親から 遠ざかったいたからで

 

かつては こんな事 日常茶飯事だったなと

 

 

その事を思えば

 

同居もしてないし

親の遠吠えくらい 何てことはないのだが

 

親は どちらの 友人の親からも

疎遠気味なったのだろう

 

ここ数か月

 

うちに 頻繁に 無言電話や

 

ちょっと 電話してよ」

 

とか

 

英語の留守電設定では 私が わからないよ!!

日本語に替えなさい!]

 

みたいな苦情等が 入っていた


しかも やっぱり 夜中の2時3時でも

お構い無し(相変わらずだ)


 

で 一番最近は

 

「もう お父さんが 91になって 全く使えんようになったわ!!」

 

と言う 愚痴が入っていた。

 

父は 何でも 母の面倒を見る人で

バリバリ働いて、家にいる際は掃除も洗濯もするし

断捨離もするし

外食も多いので 母は料理する事も 普通の主婦よりは ぐっと少なかったはず。

今も 料理人つきの食堂やメイドがあるし

 

足が弱って 車椅子生活の母(88)を

90の父が 押して、生活してると言う

 

いろいろ 文句を言うと 切りがないし

年取ると 想像以上に 出来なくなる事が増えて 不安や悲しみに 覆われるものだろうとは思うが

 

世間には

 

高級ホームに入る 財力もなく(本人の若い頃の努力の足りなさが問題だろうが)

自宅で 老々介護になってる夫婦もいるだろうし

孤独な暮らしをしてる人も大勢居る事を思えば

 

両親の暮らしは かなり 恵まれている方だろう

一応 健康だし

 

金があっても 娘が寄り付かないのは 不幸だろうが

親の場合

娘が寄り付いても 過去50年 非常に不幸だったわけで

 

その辺 忘れてはいまいか?

 

喉元過ぎれば何とやらで

 

今 高級ホームで生活のスタンダードと周囲への見栄を守るには

汚い貧乏人で間抜けな私を 呼び寄せるのは 間違った選択だと思う

 

父が いくら 使い物にならなくなってきたとしても

 

周囲には 優秀な人間がごまんといて

金で いくらでも 雇える筈ゆえ

 

バカに手出しをすべきではない

 

今、私が親に言いたいのはそれだけ。

 

何一つできないけれど、

立派な人や物に囲まれて

せいぜい 元気で長生きして欲しいと願っている。