続 くだらない話です(爆)
 
ついこの間まで 大谷選手専属の通訳だった 水原氏。
 
今、この人が 果たして良い通訳だったかどうか
 
で意見が割れてるみたいです。
 
 
日本からの レポーターとかが アメリカ現地から取材した際に
日本の視聴者に
 
水原氏って言うのは優秀な通訳として 大谷選手と10年二人三脚で来た。
厚い信頼を得ていた、それもそのはず この人、アメリカ育ちで
日本人と言うよりも もはや 日系アメリカ人と言って良い立場なので そりゃ 英語 ペラペラだ
 
と 伝える事がある。
 
すると 英語が全く解らない人は
 
フーン そうなのか
 
となるだけなんですが
 
 
ちょっとでも 英語が判る人は
 
過去の大谷選手へのインタビューとかに 同席して
通訳やってる 水原氏の英語を聞いて
 
 
雑だ。良く あれで 通訳務まるね
 
 
と 酷評する 傾向もあるんですね。
 
 
私自身は スポーツ芸能には疎くて 野球でも歌手でも ほぼ何も知らないので
大谷選手の事も 過去 新聞の見出しで
 
「活躍してる」
 
とか出てるのを見ると
 
「最近の日本人は、私達の時代とは 変わって 体格から運動神経から何から何まで
世界に出て同等に闘える人が 増えたんだな」
 
と思う一方で
 
それ以上は 特に詳細を見る事もなくて
 
動画も ほぼ見てないので
 
水原って言う人が どう言う風に喋ってるのか 知りません。
 
でも
 
考えれるのは
 
 
良い通訳って 何だ? って言う定義は 雇い主によって若干変わる 
 
と言う事と
 
英語って言う 言語自体が 実は 雑(単純)なランゲージ なんじゃないか?
 
って言う事なんですね。(これ けなしてるわけでは ありません。そういう構造だという話)
 
これ言うと もちろん 
 
あたしゃ そうは思わない
 
って言う意見は 沢山あるとは思います
だから あくまで 個人の主観に過ぎません。
 
 
で まず
 
雇い主によって 通訳の好みが別れる
 
って言う点から言うと、、、
 
スポーツやる人って
良く 
 
あっさりした気性で 単純
 
みたいな イメージ持たれる事も多い気がするんですけど、、
 
(もちろん 世界的な選手級になると 緻密な計算をして 練習や試合に臨んでるから 
頭脳プレーだ)
 
と言う事も 最近は 良く知られてますけど
 
普通の 部活レベルの運動部の人とかは
 
少なくとも ぱっと見は
単細胞で ご飯とか パクパクもりもり食べて
運動やってる分 学業もおろそかになりがちで(両立難しい)
 
この人、あんまり 物事深く考えてないんじゃないか?
 
みたいに見え勝ち、、。
 
で、そういう草の根レベルの 全国の運動部(学校でも地域のクラブでも)の 延長線上に
一流選手も出るわけで
 
基本 スポーツ型の人は、同じ路線に属する人達だと思うんですね
 
これは 決して スポーツをバカにして言ってるんじゃないんですが(くれぐれも誤解の無いように)
 
例えば ボクシングのトップ選手で 後に 芸能界に入った人とか
 
伝説のボクサーなのに
クイズとかバラエティー番組に出ると
 
おバカキャラを炸裂させて お茶の間の笑い者になったりしてる事があるんですね。
 
 
で 一旦 そう言うキャラで 人気者になると
わざと やる演出も多少あるでしょうけど
基本的な キャラは その路線だと思うんですね
 
で こう言う人が クイズ番組とかに出ると
 
1時間とか30分の番組なら
司会者は、進行プログラムが決まってるので
 
いきなり クライマックスとかに 持って行くとか
話題の核心に触れて 種明かしすると
 
間(ま)が持たないので
 
話を引っ張る傾向があるんですが
 
そう言うのを見ると こういう 元スポーツ選手の、おバカキャラで売ってるのタレントさんって
 
「なんや 結局 こういう事やないんかい?」
 
と まだ 出しちゃいけない 結論を 言おうとしたり
 
まだ 話 引っ張るんかい!? ほんで 結局 結論は どっちやねん
 
みたいに 突っ込む 大阪出身の元ボクサーの人とかが居て
 
これ見ると みんな
 
落ち着きのない おバカ
 
と苦笑する事もあるでしょうけど(それが 番組の視聴率アップにも 繋がってる)
 
実は こう言う人達の脳って
私等一般人とは 全く違う 神経シナプス回路って言うか シグナルで生きてる気がするんですね
 
試合中、殴るか 殴られるか とか 一瞬で 明暗を分ける瞬間の連続で
ずっと サバイバルゲームやって 勝つ人って
 
「それでは ご質問の件ですが 後日 上司も交えまして じっくり ご検討させて頂きたい
所存にございますので、本日の処は とりあえずは お引き取りを 願うという形にして頂いて その上で、、」
 
とか 言う 丁寧な お役所では満点の対応を取れる人に対しては
 
早く結論を言え
結局 今日は ダメって言う事なんだな
 
だったら それを一言で さっと言えよ
時間勿体ないわい
 
って言う世界だと思うんですね
 
プログラミングの
 
0 か 1 か みたいな感じで
 
単純に
 
YES か NO 
1 か 0
 
みたいなシグナルを 瞬時に判断して
大量の情報を 秒で取捨選択していく
 
これ↑って スポーツの世界では 欠かせない要素だと思うんですね
 
で こういう咄嗟の反応は
持って生まれた物かもしれなくて
 
私みたいに
 
いちいち、
これ 0 だっけ 1 だっけ?
0.5とか無いのかしら??
えーっと どうしよう
 
とか 迷う人間は 一発でアウト だと思います
 
で こう言う判断ができる人って
自覚ないでしょうけど 脳の情報処理プロセスとスピードが 無茶苦茶に速いんじゃないかと
 
だから
 
「これどうする?」
 
聞かれたら
迷わず
 
「要らん」
 
と言うし
 
「明日は?」
 
と聞かれると
予定表も観ずに
 
「暇」
 
とか すごい 単純明快な答えが 瞬時に返ってきて
 
結果として スポーツする人って
 
あっさりしてるし 決断早いわね
 
みたいになるんだろうなと思います。
 
 
 
 
そう言う人にとって
 
水原氏の 通訳って
 
普通の人が見たら
 
雑に見えても
 
アメリカ人相手に
大谷選手が 伝えたい事
 
YES か NO か
 
を ぱっと 的確に伝えてくれる。
 
しかも アメリカも そういう部分が 日本より多くて
 
 
日本人なら
 
最終的な答えが NO であっても
 
 
「そうですね、、、大変 結構なお申し出で、、
私のような 若輩者には、光栄の突き当り的なオファーでは ありますし
来年には こうなると 予想もされるんですが
が」
 
って 言う風に 長い ポジティブな前置きの後に
結局 どんでん返しの NO って言う 結論が 待ってたりして これ アメリカ人 面食らうと思うんですね。
 
で 大谷って言う人は スポーツマンだけど 日本人なので
 
多少そう言う話方をするんですけど
 
そこを 日本の人は 観ていて
 
日本の心をもった素晴らしい選手で 日本の誇り
 
と感じるし
 
そこで さらに 日米両方の言葉が判る人は 通訳に対して
 
「大谷さんは もっと 微妙なニュアンスで 日本の礼儀をつくした 表現で物を言ってるのに
あの通訳ったら 「YES」 とか 「OK」だけ言って
何なのよ あれ?!
あれじゃあ 大谷さんの人柄が 伝わらないじゃない」
 
となるのかな?と
 
でも 大谷氏当人には 水原って言う人の通訳は 単純明快で 快適だし
アメリカ人も それで 違和感ないんだろうな
 
だから アメリカで 仕事する際には ああいう人が 間にいると 事が 非常にスムーズに運ぶから
 
ずっと コンビ組んできたんじゃないかと
 
 
なんとなく そんな気がするんですね。
 
私もアメリカ人に向かって 一生懸命説明しても
 
「オッケー」 で終わり
 
だと 物足りない気もするし 不安になる事もあるけど
相手側は 悪気0だし ちゃんと 対応してくれるんですね。
 
 
 
だから
 
水原って言う人は
 
日本の大手企業が アメリカに進出した際 日本の重役の 通訳を任されたり
文系の大学教授とかの 学会の 手伝いを 任されたら
 
即刻 首
 
みたいな人なのかもしれない(臨機応変に対応できる人かもしれませんが)
 
なと、思ったりします。
 
 
で 2番目
 
アメリカ英語って言うのが 雑って言うか 単純なランゲージだ
 
と言う話なんですが
 
 
2つ例を挙げます
 
これも もちろん 異論とか あるでしょうから
あくまで 個人の主観です
 
 
一つ目
 
秋口になると 鳴く 鈴虫とか マツムシ
 
日本なら リンリン とか チンチロリンとか 庶民レベルでも 一々、音の違いを 聞き分けてますけど
 
アメリカ来ると 秋の虫は みーんな 十把ひとからげで 「ノイズメイカー」 って  呼んで お終いなんですね。
 
 
もちろん 学術的には 鈴虫にも マツムシにも コオロギにも きちんとした英語名が あるでしょうけど
一般生活レベルでは
 
オー ゼイアー ノイズメイカー  奴らは 雑音製造器だ
 
で おしまい
 
ついでに 夏に鳴く セミまで まとめて ノイズメイカー。
 
もちろん
 
セミの事は カイケイダーって言う 呼び方をする人もいるけど
 
それでも クマゼミ、ミンミン、ヒグラシとかの 区別はしない
 
大抵は、インセクト、ノイズメイカー その辺で おしまい
 
日本の和歌とか俳句の世界にある 季語とか
秋の虫にも 七つの 種類と音色があって
 
みたいな感覚は ほぼありません。
(もちろん 英語にも 詩とか 文学があるので 繊細な表現もあるけれど
それが どれだけ 日常生活と 結びつくかは 日本ほど 密な関係じゃない)
 
 
これは
 
戦後、満州から 命からがら 引揚者として 日本に帰国した時の事を 本にした
 
「流れる星は生きている」?の 作者 藤原なんとか って言う女流作家と
 
新田次郎の間に生まれた子供で 後に 数学者になった
 
藤原何とかって言う人  「日本の品格?」書いた人も
 
アメリカやイギリスに 数学者として 留学した時の回顧録に
 
英語って 大雑把なランゲージで
 
日本独特の 細かい表現や言い回しのニュアンスを 伝えようとしても
伝え方が 判らない
 
時には
 
あまりに 大雑把過ぎて
 
「何で 俺達は こんな国の人間に 戦争やって 負けたんだろう」
 
と 首をひねりたくなる事がある
 
 
と書いてたの覚えてます。
 
そういう国で
 
大谷って言う人が 色々 喋った事を
アメリカ人として 育った水原って言う人は
 
一言に要約して
 
ばさっと 簡単に言ってしまうので
 
聞く人によっては 物足りない んでしょうけど
 
アメリカ人には それで十分で
 
むしろ 長ったらしい説明は不要
 
大谷氏自身も スポーツ選手なので
それで満足
 
みたいな事で あまり どこからも不満が 挙がらないのかな?
 
 
あともう一つの例は
 
アメリカに来て すぐの頃
 
とある アメリカ人の おっさんに(私も 其の頃 すでに オバハンでしたが)
 
「旨い牛肉 っちゅうのは どうやったら 食えるか 知っとるけ?!」
 
みたいな質問をされて
 
私も 脳が 粗雑って言うか やや 中途半端な疑似スポーツ型なので(爆)
 
「和牛 買うてくること!」
 
と 即答したら
 
すげー ずっこけられて爆笑されました。(自分では 冗談言ったつもりは 一ミリもない)
 
まず 当時のアメリカには
 
和牛=WAGYU って言う言葉自体が 浸透してなかったし (神戸ビーフって言う単語は 多少は知られてた)
 
今でも ワグー とか
 
中には どこで どう間違ったか アギー とか 訳の分からん事になってる有り様ですから
 
当時は ほぼ 誰も知らない。
 
なので おっさんは
 
ワグーって 何だ
 
と聞いて
 
私が
 
「生まれ育ちの良い牛に さらにビール飲ませて、マッサージもして」
 
と言っても
 
「オーライ。。 つまり それは 柔らかい肉って事やわな?」
 
として
 
ちゃうねん、それよりも
旨い肉って言うのは 
HOW YOU(どう言う) マリネード(マリネ液に漬けこむ)に かかってるんや
 
と 言ったんですね。
 
で これ アメリカでは 正論だと思います
 
結局
 
 
私と このアメリカ人のオッサンの 決定的な違いは
 
 
旨い物を食おうと思ったら
 
日本人は
素材である 肉に 圧倒的な 旨い味がある事
 
が 条件で
 
アメリカ人は
 
肉って言う素材自体は どれも 大味で 概して差はないから
そこに 加える ソース(この場合は下味)で 旨いかどうかが 決まる
 
と言う感覚なんですね
 
だから
 
不味いって言う事を英語では
 
テイストレス(味がない)
 
と言うんですね
 
もちろん 他にも ビターとか ディスがスティングとか ありますけど
 
基本 辞書とかも
 
不味い=テイストレス= 味が無い
 
って言うコンセプトが 主流です
 
 
日本だと 何か食べて
 
うげー これ不味い
 
となると
 
どんな味で 不味いか
 
って言う事が言われると思うんですね
 
でも アメリカの不味いって言うのは
 
味自体が無い。何の味もしない
 
だから ソースくれ
 
となって
 
高級料亭で 京風のお浸しとかで 青菜系出しても
 
余程の グルメとかじゃない限り
 
薄味で
どこそこの 昆布で 出汁を取ってるから
普通の 顆粒出汁の味付けと違う

とか言うのは
 
何も解らなくて
 
この菜っ葉 味無いがな
マヨネーズか 醤油 持ってこい
 
みたいな事になる
 
これを 日本は
 
バカ舌(食う奴がダメ)
 
と呼ぶし
 
アメリカは
 
不味い(テイストレス)(作る奴がダメ)
 
と表現するんですけど
 
 
基本アメリカは
 
素材自体には 味が無くって
 
和牛とかが 流行る前は
 
良い肉って言うのは
味じゃなくて 柔らかい って言うのを指す事が多かったんですね
 
このフィレは フォークだけで 食べれちゃうよ(ナイフで ゴリゴリ のこぎりで木をひくような 作業しなくても食べれる)
 
とか言うのが 自慢で
 
肉自体に 味がある
 
って言うのは 高いステーキでも 希だったんですね
 
もちろん 熟成した肉とか ありますし
ジビエには 獣臭とかもあるので
 
全ての肉に味がない
 
って言うと語弊があるんですけど
 
日本の和牛とかが 一般化してから
 
肉自体に 
 
脂肪とグルタミン酸が 加熱とか体温で溶けて合わさった際
何とも言えない 今まで味わった事のない 味がする
 
って言う初めての体験をして、ショック を受ける事が多いんですけど
 
このショック状態を 表現する単語が 英語には 存在しないんですね
 
だから そのまま 日本語を輸入し
 
UMAMI (発音的には うまぁーーーーーみぃーーーーー って言う人が多い)
 
って 言う。のが 最近流行ってる。
 
なので
 
考えたら当たり前の事なんですが
違う ランゲージなので
 
全ての英単語に きっちり 日本語の対訳がない 
 
 
そうすると
 
通訳って
 
オリジナルの日本人が うんと 喋っても
 
「IT'S kainda,, つまりその、、 美味しい って事です」
 
みたいに 
 
 
あれ?
 
って思うほど 端折った表現しか しない
 
事があるんですね
 
 
ただし これも 時と場合によるので
 
 
ドナルドキーンさんの 通訳とか(あの人に 通訳は不要ですけど)
が 同じ事やったら 首でしょうし
 
 
多分
 
駄目な人に見えても 一流選手に10年も 絶大な信頼を得て来た
 
って言うのは それなりの 理由もあったんだろうなと思います??
 
 
ちなみに 怪我とか不調の際は
医者に
 
的確に自分の感覚を 伝えて貰えて 非常に助かったとしてるんですね
 
 
 
 
で 自分も医者とか行った際
 
この感覚 どうやって 伝えたら良いのかな
 
と思う事多いです
 
まだ 迷っても 通訳雇った事はないんですが(リクエストすると 通訳つけてくれる亊も可能)
 
例えば
 
日本なら 下腹部が痛い と言う際に
 
盲腸とか 「腸」って言う言葉を使いがちなのに
 
アメリカは 腹部は どこまで 下がっても 「スタマック=胃」で 良かったりするんですね
 
もちろん アブドミナル=腹部(胃腸の総称)で LOWER (下) アッパー(上部)って言う言い方もあるんですけど
 
 なんか 人間の身体を 裏と表に わけて
 
表は ストマック、裏は 全部 バック(背中)で 後は 高さで 位置を表現
 
って言う すごーく 大雑把な表現を 振り回される傾向があります
 
特に 実際の医者が出て来る前の
 
受け付けとか看護婦くらいだと
 
そう言うのが多くて
 
これ 本当に伝わってるのか?」
 
不安になって つい ごちゃごちゃ 細かい事 言いたい衝動に駆られるんですが
 
これ 言っても ほぼ無駄(爆)です
 
なので 医者が登場するまでは もう 出来るだけ 単純に伝えて
 
相手が 自分の英語を言い直す平易で雑で ピンポイントで そこじゃないけど?と思っても)と
 
とりあえず その表現で放置
 
するしかない。
 
むしろ
 
それが 「英語」なんだろうな と 理解してます
 
どっちが 良いとか悪い じゃなくて、それだけ 違うランゲージなんだな って言う事なんですね
 
別に 嘘つきだとされる赤の他人を 庇う義理は無いんですけど
言語って言う感覚で 日英比べると 構造に大きな違いがあるし
あれだけ 評価の高い一流選手が 気に入って 10年使った通訳には 傍目には 一見わからない良さが
あったのか?な と言う 憶測から いろいろ ほざいてみました、、