ふぅ | 猫に学ぶ人生哲学

猫に学ぶ人生哲学

ダラダラと猫と人生を過ごすそんな廃人の食べ物記録帳。

今日あった「いいこと」 ブログネタ:今日あった「いいこと」 参加中
本文はここから

いいことがあったら書こうと思ったネタ。
つまりいい事があったから今日書く!

家の前にうっそうとした竹薮がある。竹林があるといえば
風情もあろうが、竹林ではなく、竹薮というほうがしっくりする。
一応うちの庭の向かいの地主の農家の土地なのだが
まったく手入をしない。故にまさに無法林。竹の生えている地面には
光もほとんど入らない程うっそうとしている。(ここには狸もいる。。)
その竹薮の最前線、つまりうちの庭に面した竹が
一斉に寿命を迎えている。
竹の寿命をご存知であろうか?およそ、三十年といわれている。。
つまり、だいたい三十年はここに生えていたんだろう。。。

で、その竹の枯れた笹が毎日毎日明けても暮れても降り続ける。
放っておくと庭が枯れた笹で土の部分が隠れてしまいには笹の
重厚なカーペットになってしまう程である、、。

私もうんざりなんだけど、我が家の猫達もこの笹が庭に積もっている間は
あまり外に長居しない。
うちの猫のテリトリーはうちの庭ぐらいなのだけど。。その庭が
笹だらけになっているのとなっていないのでは猫の外で過ごす時間の
比率が全く違う。庭を綺麗にすると何度でも外に出たがる。

これは猫も綺麗な方が気持ちがよいという事であろう。。。

という事で私は明けても暮れても降りつもる笹を掃除するのだが、、
掃除をし終って庭がとても綺麗になっても
明日また夕方には掃除前と同じくらい笹で汚れる。

これを掃除する意味があるのか?と謎を感じつつ一時間ばかりかけて
元のように綺麗にする。そして明日にはまた汚れた庭をそうじるr

このように延々同じ事をしているとまるで坊さんだな。。と思うのであります。
一見繰り返すこの無意味に思える掃除も、今日一日、ご飯を食べて
息をするのと同じように当たり前に淡々と理由等考えずやりこなす。
やりこなす事に意味がある。

つまり笹の掃除は息をするように当たり前の行動なのだ。

え?掃除一個にしゃらくせい!!?
うん、そうなんだよね、しゃらくせーこと考えつつまあ、掃除して
繰り返しの日々を淡々と終えて行くわけです。
しかし汚れた庭を見ぬふりをして日々過ごすより、
面倒だがやった後に見える綺麗な庭を見て過ごす方が
気分がよろしい。

まあ。私がこれをやるのは庭に蚊が出没しない時期と
庭に笹がつもる時期だけなんですが、、、w普段は庭なんか
用がなければ全くでませぬ。

で。何処がブログネタ?って感じになりましたが。

掃除を終える頃、隣のお母さんに去年私があげた紫蘇が種を落として
新しい芽を吹いたからといって苗を三本頂きました♪

元は私のあげた紫蘇の子孫(ちょっとシャレになってる)

これが今日あった嬉しい事です、でへへへ☆