こんにちは

 
ForestaGelことモリシゲです。
 
前回は若い頃に上司のAさんから受けた壮絶パワハラに至るまでの、ほんの軽い記述をしましたが、
 
 
何しろ潜在意識の中に封じ込めてあった記憶を呼び出して論理構築し直して顕在意識に再配置してブログで文章化する作業を行なってしまったもんですから、ブログの記事投稿後、脳内があの30年前のが若い時に味わった物凄い
 
辛さ、理不尽さ
 
悔しさ、悲しみ
 
苦しみ、憎しみ
 
復讐心、喪失感
 
絶望感、孤独感
 
厭世感、不信感
 
などに支配され、悪念邪念妄念で苦しんでしまいました。深夜に近くの神社さんに助けを求めてなんとかリセットできたのですが、やはり壮絶な体験はきちんと感情ボックスに入れて鍵をかけておきうかつに読み出ししない方がいいですね。
 
他にも絶対に触れない強烈な悲しみとしてわたしには親族全員との別れがあり、この前うかつにも昔の家族写真を見てしまい、心がネジ切れるほど苦しかったのを思い出します。今それを事実として思い出してみただけで、もうその時の心をえぐる悲しみは封印して触れませんから、他人事のように記述でき平気です。
 
今回はその心のロックをうかつにも意識し忘れたので、パワハラ体験を記述している間に、マグマのような怒りが迸り出てしまった。まだ全然癒えていない。パワハラはそれを受けたものにとってそのぐらい壮絶です。わたしの受けたパワハラは長いよ。壮絶なのが始まった後さらに格闘反撃期があって、その後両者流血を避けるネグレクト冷戦期間も含めると約15年のパワハラに耐え切りました。
 
その間私は、相手に筋を通す正当な反撃はしたが相手の執拗で姑息で卑怯なハラスメント攻撃にも決して同等低質な人格攻撃などの卑怯な逆ハラスメントはしなかったこと。今なら絶対提訴必至のパワハラ訴えもしなかったこと、あれほどのことに暴力沙汰にも刃傷沙汰にも何にもならなかったこと。どれほどの人格攻撃にも心を強くして電車も止めなかったこと(わかるよね)など、いくつかの点で我慢の限界を超えて我慢し切って、
 
ついにこの悪魔のような人格と10数年の暗闘の末、永遠に離れることができたことに関しては、自分としては今でもよくがんばったね、これは絶対普通の体験ではなかったね、ご苦労様と思っているんです。
 
それほどのことだったが、なにぶん30年も前のことだから、もう時効でいけるだろうとこの前のブログを書く際によりリアルな記述にしようとして迂闊にも当時蓋をしたままの感情ボックスを開けてみたら、まだ30年も消えない種火が残っており怒りに火が燃え盛ってしまい大変なダメージを受けてしまったのです。
 
次回Aさんとの暗闘編を記述する日が来れば、十分な心のプロテクトをしてから臨みます。
 
Aさんの雰囲気はねえ、そうだなあ。今日本の政治でなんかの選挙に立候補している人何人かいるでしょ?あの中の1人に雰囲気似ているよと言えばわかるかなあ。ああいう感じ。騙されないものは生理的嫌悪で騙されないのですが、その辺のセンサーがダークサイドの利益優先で鈍った人間にはいい人あるいは信頼できる頼れる人にも見える、、大体わかるよね
 
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という事でやっと本論です。
近くの神社さんでリセットできましたが、更なる浄化も期待して、少し遠いのですが大阪市住吉区にある住吉大社の初辰参りに行ってきました。
 
住吉大社は、いわゆる住吉三神をお祭りする全国的にも大きな神社さんです。その末社摂社4社を毎月最初の辰の日にお参りすることで、事始めの願望成就を祈願するのが初辰(はったつ)まいりです。
 
今回で3ヶ月目になります。
続きます
 
 
 
 
 
 

こんにちは

 

ForestaGelことモリシゲです。

 

このブログでは、今度こそ後悔しないセカンドライフをどうクリエイトするかについて書きたいという大前提があるんですが、延々と自己紹介だけやってます。

 

本論はまだ全然書いてません。

 

まあいいか。

きょうも、自己紹介バージョンでいきます。

 

 

もう私もあとちょっとで今の職場を定年で退職するわけですが、長い長い間私の上司として君臨し、私の素直な性格を捻じ曲げてしまったAさんのことに関してはどうしても書いておきたい

 

Aさんには若いころ最初大変目をかけてもらいました。

Aさん曰く、お前は見所がある。

俺についてこい。いろいろなことを教えてやる。

 

そういってとても気に入ってもらっていました。

そしてビジネスのいろいろなことを教えてくれました。最初何もわからないときは、ありがたいと思い一生懸命学びました。

 

このAさんは業界でも評判の仕事のできる人で、特に人脈は多い。その人脈をフルに使って、次々に難関を突破していくのです。

 

しかし、学ばせてもらっている間にだんだんと、このAさんのことが尊敬に値しないどころか軽蔑いや、人間の屑だと思うようになってしまったのです。


人が見ていないところでは、犯罪すれすれのことでも平気。

人を信用させておいてあとでだましたり、

人の弱みをつかんでから近づいたりして、

最終的に目標をしっかりと達成する。もちろん、

 

その裏で泣く人が続出するわけですが、そういう人は二度と表舞台に立てなくなるように徹底的な攻撃を加えて抹殺するわけです。

 

しかし、前も書いたように外ずらをよく見せることでは天才的な人なのでこの人を人とも思わず、利用するものは利用しつくし、利用が終わったら、その者は復讐してくるから殲滅する、、

 

その恐ろしい内面がばれてはいけないこともよく知っていて外部の人間に対しては徹底して好印象を持たせようとします。

 

この効果的な人間コントロール術や処世術を学べと言って、教えてくれるわけです。

おそらく孤独な戦いをしてきた自分の後継者として、

自分の処世術ノウハウを伝授したかったのでしょう。

自分のことが理解できる者が欲しかったのでしょう。

 

でもそのAさんの、はかない望みは破れます。

 

私は、あまりの非人間的なAさんの振る舞いに、面従背腹、顔でははいわかりました、と従いながら、次第次第に心の底から軽蔑していくようになりました。

 

「現世はよくても来世は必ず地獄に落ちる人間」

 

あまりの冷酷さ、道徳のなさにこう思っていました。

 

 

 

このAさんは、猟奇的な事件が起こると、やけにはしゃぐという、尋常ならざる側面を持っていることも知りました。

 

例えば、あの有名な神戸の猟奇的殺人事件「酒鬼薔薇事件」が起こった時、今田勇子の名で脅迫状が送られて世間を震撼させているとき、皆がご遺族の悲しみに触れ、怒りと悲しみで意気消沈している職場でなぜかうれしくてしようがないという気持ちを隠そうとせず

 

非常に興奮してはしゃいで、

「こいつはかなり頭がいいぞ」「なんかわかるんだなあ」「次を考えている。さあどうしようとするんだろうか」と期待で胸躍らせているわくわくする心情、心の底から応援している気持ちを隠さなかったことには驚きました。

 

普段から人を「抹殺する」という表現が大好きで、事あるごとにこの表現を使います。その際、アヒルか何かの首を絞めるしぐさをして、嬉しそうにのどの奥でキューっという声を発するのです。本当に嬉しそうに。心の底からの喜びに満たされたような感じで。。。。私は、この声を聞くたびに催す吐き気を抑えるのに必死でした。

 

他人からは、やさしく、気配りができて、人に親切、困っている人がいれば必ず必ず自分のことはさておき助けてくれる、人格者中の人格者として評判のAさんの、本当の姿です。

 

===

もう30年経つんですが、今となってはAさんもよくある自分だけ良ければそれでいいという考え方ではあったけれど、それなりに一生懸命生きた結果だったんだなあと、著しく傷を負い、その傷を背負って生きる今はやさしく思いますね。

 

みんな自分がかわいい。それで人のことを蔑ろにして自分さえよければそれでいいという人生観を一生懸命貫き通された。本当の生き方を知らなければこんなことをヒトは簡単にやってしまうのか、こんな人生にまで転落してしまうのか、いいものを見せてもらったと今では思います。

 

結果としてうわべの尊敬や畏怖だけ集めて、自己承認欲求を満たして立派な立派な勲章までもらって受章パーティーまでしてもらって栄誉にまみれ自分の人生は成功だったと胸を張る。

 

しかしその挙句、

多くの人を踏み台にして密かにあの人は地獄行きだと思う若い人をいっぱい作る取り返しのつかないことをしでかした人生

 

周りの人は誰もみていなかった知らないはずと思っていても

 

汝知る我知る天は知る。あなたは知っているはず。私はもちろん忘れたいのに忘れられないよ。そしてお天道様は、ずーっとそれを見ておられましたよね。

 

こんな情けなく虚しく意味のない人生を送ったら、大変だとそれをはっきりこの目で見れたことは本当に良かった、と塗炭の苦しみからついに逃れた今は思います。

 

===

さて

30年前の回想に戻ります

 

Aさんの情けないうわべだけの生き方やヒトを人とも思わぬ冷酷さに、軽蔑心も頂点まで達したある日、心についに火が灯りました。ポーッと静かに、そして確かに。もう消えない火です。

 

このAさんとは

「もう何があっても戦う日が来る」

「たかが知れた目先の利益のためにこんな人間と寄り添っていては人生壊れる」

「戦わなければならない」

 

あまり書くと読んだ人にネガティブなエネルギーが移ったら大変です。このブログでは読めばポジティブエネルギーが出てきて元気になってもらおうとしているのにね。この後ついに勃発したAさんとの格闘編続けようかな、やめようかな。またどうするか考えます。

 

 

こんにちは

ForestaGelことモリシゲです。

 

今日は私が大好きな歌とそこにたどり着くまでのちょっとしたお話をさせてもらいます。

 

若かったころ、まだ自分で自由になることが何もなかった。

ブラック極まりないある目上の方仮にAさんとしますか、

 

私の仕事のほぼすべてはこのAさんの支配下にありました。

日ごろからこのAさんに接し、自分の理想とする生き方に

あまりにもかけ離れた言動や行動についに我慢できず、

 

10年の我慢の後、人としてもう我慢の限界を感じ

ある日突然勇気をもってAさんの悪辣なやり方に反抗。

 

その日からロックオンされ

壮絶ないじめが始まったあのころ。

今思い出しても、よく我慢できたと思う。

いや、よくもまあ、最後まで戦い抜いたと思う。

 

今だったら、とても許されない多くのことが許されていたあの頃

壮絶なパワハラをものすごい長期にわたって受けたわけです。

 

 

===

 

そのAさんは、きわめて外ずらがよく、外部からはものすごくやさしく、

気配りができて、話が分かる人格者として評判のひとでした。

 

雨が降ると若者に、傘をさっと出してくれる、なんてこともすぐできる人で、

自分のような下っ端に、このようなお偉い方が傘を貸してくれたと感謝感激して

長文のお礼状を送ってきたりされる、そういう人です。このお礼状をこの目で見たこともある。

 

職場に従業員の家族がきて、Aさんが子供を見つけると、ぱっと相好を崩し、

子供にさーっと駆け寄って

「やあこんにちは。」と嬉しそうに抱き上げる。

従業員の奥さん方は、なんと慈愛に満ちた素晴らしい人なのと

感激して憧れのまなざしで見る。

 

そんな自分が輝ける瞬間が来ると、本能的にそれを察知し自分だけが輝く瞬間を作る。そんなことが日常でできるある意味、外ずらをよく見せることにかけては天才的な人でした。

 

ヒットラーが沿道の聴衆に駆け寄り、子供を見ると、高々と掲げ上げて嬉しそうにする。

それを聴衆がみて、この慈愛に満ちたこの人こそ我々ドイツ帝国を任せるに値する人だ、と信じ込んだ。ドイツ国民はヒットラーがその陰で数百万人のユダヤ人を虐殺して民族浄化を推し進める狂気の輩であることなど知らず、この狂気の指導者に圧倒的な信頼を寄せたわけです。私はこのヒットラーの子供を抱き上げるムービーを見た瞬間、これAさんそのものだ、と思いました。

 

Aさんは、外面はものすごくいいのですが、基本は自己承認要求の塊のような人で、

ことあるごとに

「俺って、本当にすごいよな。」「世界では俺ぐらいだよな。」と言っていました。

そんな人いるのかって、不審に思いますか?いたんですよ。30年前確かにいたんですよ。

今のような恥ずかしいこと言えばSNSで拡散される時代とは違って、

昔はこんな人、確かに少数ですけれどいたんですってば。

私はその少数の情けない人間から逃げられない、

超絶不運な若い時代を過ごしたんです。

 

先ほどの感謝状もなぜ知っているかといえば、Aさんが、見せてくれたんです。

もう30年も前の話をしているんです。

 

Aさん「おい、モリシゲ。これ見てみろ。」

といって、私に雨の日にかさを貸してあげた若者からの感激の手紙を見させられました。

 

見ると、状況が克明に描いてあり、その若者が不意の雨に、偉い人が傘を貸してくれた予想外の出来ごとに本当に感激している様子が、ありありと浮かびます。

 

同時に、普段人を人とも思わぬ冷酷無比のAさんが、なぜ一介のpaypayの若者にかさを貸したのかの理由もはっきり見えてきます。

若者はAさんのビジネスにとって重要人物についてきたカバン持ちだったのです。すかさず傘を貸して、いい人を演じる。また天才的に素晴らしい人を演じることに成功していたのです。

私は、うわーまた何も知らない若者がだまされて感激している、と怒りが沸き起こるのですが、、我慢して、

 

「すごいですね。私もこんな風に感謝される偉い人になるように精進していきたいです。」と、怒りを通り越して催してきた吐き気を我慢して、口からこの言葉を絞り出すわけです。

 

するとAさんは

「は?10年早いわ。ほら早くそれ返せ。それより昨日の夜、俺が帰りがけ夜11時に言った仕事、もうできているんだろうな。。」

「まだだとお。どうするんだ。今何時だと思っている。もうあれから10時間もたつんだぞ。昼に俺がお得意様と会うのは知っているんだよな。」

「どうなんだ、知っているのか知らないのか。どうなんだ。お前はまた俺に尻ぬぐいさせるのか。」

「どんな人生生きてたらそうなるんだ。ちょっと言ってみろ。ほら言ってみろよ。」

 

そんなことを言ってる間に、この部下の私に仕事をさせればいいのに、

いたぶるのに夢中で仕事をさせません。

 

そして、仕事ができないと、皆を呼ぶんです。一大イベントが始まります。

何が何でも地獄の底まで叩き落すことで必死なんです。

「おーい。モリシゲができないそうだ。皆で助けてやれや。」

さあ、どうしようか、全部開示すると苦しいんでやめます。

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この壮絶なハラスメントの間中、私の心の中でなっていた音楽がこれです。

讃美歌です

 

Immortal, invisible, God only wise,
In light inaccessible hid from our eyes,
Most blessèd, most glorious, the Ancient of Days,
Almighty, victorious, thy great Name we praise.

Unresting, unhasting, and silent as light,
Nor wanting, nor wasting, thou rulest in might;
Thy justice like mountains high soaring above
Thy clouds which are fountains of goodness and love.

To all life thou givest—to both great and small;
In all life thou livest, the true life of all;
We blossom and flourish as leaves on the tree,
And wither and perish—but nought changeth thee.

 

 

こんにちは。

 

ForestaGelことモリシゲです。

 

今日は、最近心が震えた映画のご紹介です。

War Roomというアメリカの映画です。

トニーとエリザベス夫婦の間の心の変化を描く映画です。

war room。戦いの部屋とは、悪魔と戦う部屋という事です。

キリスト者の深い信仰心を描いたものなので、

悪魔を追い払い、イエスキリストに導かれることを題材にしています。

 

この映画の存在はある方に教えてもらいまして、

その方言うには、

「最初の方はちょっと退屈だけれど、途中からすごく納得できるのでぜひおすすめ!」

 

さっそく、ちゃーんとアマゾンでレンタルして見てみました。

 

私の場合、退屈するようなところはどこにもなく

ほぼ最初から泣いていた。

 

もう、心が震えたというか、、、、

実はこういう風に生きたいと思っていたところだったので、

もういいシーンが始まる前振り段階から、何が起こるか理解ができてしまって、

最初から準備して泣いておった。

 

なんかずーっと独り言言ってた。

「そうなんよ。そうなんよ。」

そしてそのいいシーンが始まるともう、うううううと感情が抑えられなかった。

 

ここまで、自分の目指す世界を視覚化されると

本当に勇気が出ます。イエスキリストもアマテラスも大きな大きな意味では大差ない。

この世界の真実が描かれている。そう思いました。

 

今でも書いていて涙が出てきた。

 

 

公式ページの予告編をどうぞ。

 

 

 

 

 

こんにちは

 

ForestaGelことモリシゲです

 

何でも許せる心に芽生えたとか、

伊勢神宮で神様に導かれたとか

かっこいいこと言って、

 

でも、そういいながら心の奥底では、

そんな偉い自分をほめてほしいんだろう?

本当は、どこかの宗教の党首みたいに

何かよからぬことを狙っているんだろう?

実は我が我がの心でいっぱいで、

自己承認欲求のカタマリみたいな人格なんだろう。

はいはい、誉めてやろう

 

こう反発されることもあるでしょうね。

 

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ここに自分の心情を書くのは、

第1に書きたいんです。書くのが好きなんです。

 

ここまでどろどろの承認欲求を捨てることなく

ここまでとにかく懸命に突っ走りました。

だから、きっと一皮向けばこんな情けないやつが現れるんです。

 

さあこの私は偉いだろう?ほらほめなさい

いいから、遠慮するな。

心の中に思っていることを言えばいいんだよ。

ほら遠慮するな、さあ早く言え。

どうした早く。

なんだ、遠慮しているのか

じゃあ聞いてやるから言え

「私って偉いだろう?」

なんだあ?嫌そうに「あ、はい」ってなんだよ

「あ」は余分なんだよ。

素直に「はい」だろうが。言い直せ。

そうだ。でも「はい」だけじゃあ、なんだかわからん。

もう一度言いなおせ。

「はい。偉いと思います」だろうが。さあ言い直してみろ

 

うーんいいねえ。やっぱ本当のことでも人から言われると気持ちいいわー。

明日も言えよ。本当のことなんだから言えるだろ?

今度はいちいち聞かれなくとも、素直に自然に言えるようにしておきなさい。

 

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どろどろの自己承認欲求にまみれて

突っ走ったあげく、そこここでぶつかり傷つき、

 

その傷を隠して知らん顔して

心を偽って、突っ走ってきた自分です。

 

坂の上の雲を見ながらその先に広がる夢の景色が見たくて

競争相手を冷酷に倒して

がむしゃらに突っ走り、

 

 

その挙句、一番上近くまで来たら

実は先が崖っぷちになっていて

もうなんーにもなかったことを知ったのです。

 

先に広がる景色で皆が楽しんでいるのかと思ったが、

そこにはもうだれも誰もいなかった。

 

ありゃ?だれもいない!

私はいったい何のために生きた?

 

ちょっと待て、もう終わりが近いじゃないか。

まだダメ終わりにできない。

 

最後の悪あがきをする中で

この生き方ではもう先もないし

駄目じゃないのか。

 

ちゃんと生きないと。ちゃんと生きないと。

とにかく、正しく生きていきたい。

 

正しくってなに?

それがわからないから日々答えを求めるため

祈っています。

そして、何かあるたびに七転八倒しています。

 

そんな中、無意識、潜在意識にうごめく多くの邪念や正しきことを

頭で整理しながら、顕在意識にまでしっかり上らせて

ブログに文字として書くことで

 

また明日も生きる糧にしたい

そんな気持ちでこれから書いていきたいものです。

 

だから必死でどう生きるかを求めます。

すぐに生まれる妄念や邪念、悪念をいかに消すかに

苦労していきます。その過程を新鮮な気持ちで正直に書いていきたい。

読んでいただいて少しでも何かの役に立てればいいなとはもちろん思います。

 

そんなブログにしたいのです。

 

ではまた