ダイ・フェイフェイ】  前回同様濰坊でホテルや新幹線予約のお願いをした。そして会社にワケを言って濰坊駅に出迎えホテルまで案内してくれた。翌日晩の食事に行く時などは老父をいたわる娘のように私の腕を支え、手をつないで歩いた。経貿学院で日本語の成績は学年トップ(6人)の一人。落ち着きがあって、寮の同室のクラスメートと私の宿舎へ遊びに来た時は場が和んだ。日本研修にはぜひ来て欲しかった教え子であった。

【ソウ・ショウワ】
  ダイさんといつも一緒に遊びに来た一人で、卒業後も時々二人で会っているようだ。ただし両名とも今日本語に関係ない仕事に就いているが、ダイさんの方は日本語がしっかりしているのに対し彼女の方はほとんどダメになった。3人で食事の時、「日本語を覚えているか?」と中国語で冷やかすと苦笑いをしていた。でも明るさは学生時代と変わっていない。

トウ・セイ】   最後の訪問地北京ですっかりお世話になった。元々北京には1泊だけの予定だったが、9月3日に急きょ決まった軍事パレードの影響でフライトが1日延期となったため、9月2日昼の駅出迎えから4日昼の空港見送りまで付き添ってもらった。現在NECに勤めているが北京はまだ2年足らず、前回は山東省の省都済南から青島に駆けつけてくれた。その時紹介してくれた彼氏は私が帰国の日、ポーターとして私のスーツケースを空港までずっと持ってくれた。早くもカカア天下か? でもやさしくよく気の付く子である。学生時代の日本語の成績はトップ6人の一人。栃木県佐野市で1年研修、その間毎月2回くらいは一緒に過ごした。

          
 (左)娘みたいにやさしく、ダイ・フェイフェイ  (中)日本語忘れた?ソウ・ショウワ      (右)北京でお世話に、トウ・セイ

   今回会いたかったが、残念ながら会えなかった者もいる。学生時代最も多く私の宿舎に遊びに来た一人で甘えん坊のヨウ・ハイジエは夫の出張先に行かねばならなくなり、無念の気持ちをネットに投稿していた。和歌山県で研修をしたしっかり者のジョ・キンカは会社の出張で日程が合わず、「次回はきっと」とチャットを交わした。また熊本での研修から帰国後のラン・ホウカにもぜひ会いたかったが家が今回の訪問地からは遠く、そこまでは足を伸ばせずに涙を飲んだ。