教え子たちとの再会に併せて当時の日本語教師仲間との再会もなった。
  1年3ケ月の教師生活を送った山東経済貿易学院。そこで同僚の日本人モリキさんは現在も山東省内の大学で日本語教師を続けており、今回は経貿学院の先生方とのスケジュールを取りまとめてくれた。 
   8月31日夕方に2人で学校を訪ねたが、学校の中は2年前に初めて訪ねた時と変わらない感じだった。経貿学院では私が帰国後2年ほどで日本語科が無くなり、同僚の先生たちは皆学内で転身していた。仕事の手が空いたバオ先生とチョウ先生と会食までの間しばし歓談をした。2人の先生の話では今は一日事務室に籠っての仕事で、やはり教壇に立っていた時の方がずっと良かったという。ひととき歓談の後、チョウ先生の車でモリキさんが予約をしてくれたレストランに席を移した。男性教師のトー先生だけが仕事で出られなかったが、応用外語学部のソン事務主任も出席してくれて、この食事会は学校主催という形になった。ソン主任には私が滞在中本当によくお世話をしていただいたが、この席で私に打診するように、国際交流のための日本語指導者が欲しいような感じの話をした。バオ先生にも勧められたが、「もう年だから」と手を横に振った。また私の旅行での写真が卒業生からバオ先生の許にネットで送られていて、いつまでも卒業生と交流のあることを喜んでいただいた。楽しく美味しい食事会だった。

   
懐かしい教室棟/教師マンションも健在/ チョウ先生・モリキさん・バオ先生/楽しく美味しい食事会

   
   帰国前日の9月3日、北京経済技術開発区実験学校(長たらしい名前!)で日本留学班の主任教師だったリュウ・リン先生を訪ねた。新しく出来た地下鉄駅から周辺の変貌ぶりの案内を受けながら学校まで歩いた。学校は公立化して名前が変わっていた。国際交流の旗を下ろし、韓国人学級や日本留学班も無くなったという。リュウ先生は他の学校で日本留学を含む仕事に就いているとのことだ。晩はリュウ先生の故郷の新彊料理の店が目に入ったのでそこを希望し、ご主人と高校生の子息も呼び出されて一緒に食事した。二人とは私が教壇に立っていた時以来7年ぶりの再会であった。

       
  リュウ先生とかつての学校前で  /  7年前の写真