今は起業して
バリバリ仕事をこなしている
知り合いに
先日、私の近況をメールした
返信されてきたメールは
私の度量が小さいのかも
しれないけれど
取るに足りないくだらない
仕事だねと
言われてるみたいでした
ま、ごもっともなんだけど

なんだか
その知り合いが
逆に
驕り高ぶる有頂天な気位を
抱いているかに見えて
私 かなり
卑屈になっているなぁ

と溜め息つきました
そのメールへの
返信を綴ってはみたものの
送ることはしていません
せっかく
時間を費やしたことだし
この前のブログの内容と
かぶってしまうけれど
一部、編集して
ここに
残すことにします

いろいろとご活躍のご様子…何よりです。
本当…あなたからすれば、関係のないレベルの低い庶民の戯れ言だったと思います。
忙しいでしょうし、返信は控えようと思っていたんだけど、ほんのちょっぴり悔しかった?のか、なんだろう?次元の違う話を再びごめんなさい。
例えば、大きな会社の社長をやってくださいよという話なら、引き受け手もあると思う。
小さな地域の小さな団体の長なんて、ましてやお金にもならないことなんて、誰もやりたがりはしない。
地域の小さな案件なんて、誰も関わりたくなんてない。もっと華のある仕事ならやりたがるでしょうけど。
悪口や陰口は言われても、賞賛なんてされることもない。
そんな小さな小さなことでも、誰かがやらなきゃならないことがある。
小さな小さなことの上に、大きな輝かしいことは存在しうるから。
大きなお金につながることや賞賛を浴びるようなことだけが仕事と呼ぶのではないと思っています。
あなただって、本当は、見ず知らずの大人たちの、一生気付かれもしない慈愛を受けて成長してきているはず。
誰かがやらなきゃ進まないこともある
街灯や信号機の設置の要望とか、通学路の拡張、公園の視野を阻む草刈り、もっともっとちっぽけなこととか…
それで塾から帰る子どもが夜道で怖い思いをしないなら、なかなか道の向こう側に渡れないお年寄りが安心して道を渡れたら、遊んでいる子どもたちを行き交う大人たちが見守れて、善からぬことを企む人の善からぬ行動を抑止できれば……そんなささやかなこと。
私もやっと気付きましたが、どうでもいいことはやらなくてもいいこと…とは言い切れないみたいです。
心地よい暮らしとか住みよい環境
将来を担う子どもたちを守る
そんな小さな幸せの礎は、目には見えないような小さな積み重ねで形になる。
お金にもならない小さなことを、誰もやりたがらないバカげたことでも、大真面目に頑張ってるのは、財力や秀でた英知も持たない私がここで生きていけるささやかな恩返しであり、いつかどこかで重ねてきた過ちへの贖罪なのです。
大きな仕事をする人、平凡な毎日を送る人、どんな人にもある礎となる足元…そこが私の職場かな…なぁんてね。