しんさい | Forest

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なんか詩とか描いてます

毎年この時期になると、複雑な気持ちになる。


テレビで震災@年目とかニュースで流れる。



私自身はもうどこで生まれたかも誰も知らない。

9歳で両親と離れてから、あちこちを転々として

13歳で落ち着いた土地が兵庫県神戸市。


言葉は関東訛りが抜けないけど、

私にとってもうこっちが故郷なのよね。


17歳でちょっとした出会いがあって

そこから一気に世界が開けた。



それまで全く気に留めなかった町並みが、

すべて興味深く見えてね。


親友たちと一緒に、

自転車でいろんなところに行ったのよ。


三宮にも、

ハーバーランドにも。

メリケンパークにも。


山の上から見下ろす景色も好きだった。


ただ色んな所を転々としてきた私が、

たった一つの街で、

すごいいろんなことに興味を持って。


でも、ただ眼前に広がる街並みのの美しさが

今まで何にも見てこなかったわたしを

すごくすごく惹きつけた。



真っ暗な、まだ日が昇ってないのか、

西向きの窓だったから昇ってても気がついてないだけだったのか、


真っ暗な中、なんかシェイクされている



私に起こったのはたったそれだけだった。


瓦礫の下敷きにもならず、

火事に巻き込まれもせず、


わたしの住んでいたところは施設のようなところで

そういう被害は受けにくいところだったみたい。



自転車に乗って、街の様子を見に行った。

友達たちと五人で。


大事な友達が、誰一人欠けることがなかったこと。



それも私にとってはとても幸せだったことなんだと思う。


私は震災で何かを失っていないの。

私は震災で何も失っていないの。


地面が割れて、でこぼこした中を

近所の商店街まで見に行って、

ハーバーランドにも行って。


あちこちからガスが漏れているにおいが立ち込めていた。


あちこちのビルが傾いていた。


でも、山の上から見る景色はあまりにも遠くて、

海の近くに行くと今度は近すぎて。


私たちは、ニュースが流す映像でしか、

震災がもたらした被害を見て実感することが出来なかった。



程なく、失われたところから、

徐々に瓦礫が撤去されて。


更地になって。


目立ったところから復旧されていって。


元知っていた街並みからは

どんどん違う街になって行ったけれど、


それでも神戸の町は

やっぱり私たちにはきれいな街だった。




もう16年の月日がたって。

私たちの大好きな桜は震災の影響なのか

関係ないのかわからないまま失われて。


幾度目の春が死に、

幾度目の春が生まれて。



毎年ニュースで震災@年目というニュースを見る。



きっと忘れてはいけないこと。

きっと語り継いでいかないといけないこと。


失った人にとっては、

無かった事になんてできないこと。



でも、

私にとっては。



もう忘れさせてほしい



そんな出来事。



だって。

生き残った人たちは、

今を生きているんだもの。



私だって

今を生きているんだもの。


何も失わなかったから、

辛くなかった訳じゃなく。



何も失っていないけれど、

痛くなかったわけじゃなく。




思い出してはかさぶたをむしるような、



それを不毛だと思ってしまう

我侭な心を


毎年もてあましてしまうのです。