完全に忙殺された一年、スケジューリングの難しさを痛感しています。
楽しく有意義に過ごせた反面、自信で予定をコントロールしていくことも必要だと体感しました。
と言いながら、来年も2月まで既にギッシリ…
嬉しい悲鳴を上げております^^;
忙しさは、個人の活動に起因するもの。
まずはやってみること、そして認知していただくこと。
ようやく芽が出始め、オファーも少しずつながらいただけるようになりました。
ありがたい限りです。
森林インストラクターとして活動してきて、5年の更新時期を迎えています。
恥ずかしながら、かなり際どい時期に手続きはしたものの、無事更新できるのか不安です。
自身の経験では、二度と受けたくない資格No1です

それ程に難儀なものなのだと、改めて感じています。
そんな資格を得て、見合うだけのものがあったのか?
正直、実力の世界ですので、自分次第というのが答えだと思っています。
この5年は修行の期間。
経験を積み、何かを掴もうとやってきました。
次の5年はどうするか。
来年は、その試金石になるのかもしれません。
この活動の中で、私の思う三つの柱があります。
①自然の魅力を伝え、森へと導く

②人と森の繋がり=利用と保全の在り方を模索し、実現していく

③木材利用についての理解を深め、普及・促進していく

①は、公園などの身近な自然からトレッキングなども含め、その美しさや不思議さといったものを楽しさとしてお伝えしていくこと。
②は、さらに踏み込んで人が森と共にどう生きてきたのか、時代がどう変化して来たのか。
その明暗と、これからを考えていくこと。
人為による自然への干渉と、遷移による植生ステージとの関わり。
伐るべき森、守られるべき自然。その緩衝の在り様。
森の物語を紐解きつつ、人との関わりを考え実践の中で学んでいくこと。
③は、国産木材、延いては間伐材の利用啓発・促進に向けた取り組み。
製品化や利用実績において、実利として山へ貢献していくこと。
観察スキルにおいて、①ではまだまだ不安が残ります。
動植物の同定は必須のものながら、知らないことも多々あります。
それでも、なぜそれがそこに生き、あるようにそこに在るのか。
名前の先にある自然の不可思議を、共に考えることはできると思います。
②では実際の山作業を通じて、体験しまた指導させていただく中でお伝えできるものもあるのかと思います。
技術的な面だけではない、その歴史であり植生のなりたちであり、遷移と人の干渉との狭間で、小さくされどダイナミックに動いていく自然のありさま。
メタとマクロの視野を持って、フィールドに関わりシェアしていくことを目指していきます。
③の利用では、生産者の方とつながりができ、徐々にながら実績も作られつつあります。
とはいえ、僅かな製作活動で、膨大な木材消費を補うことはナンセンスだと分かっています。
焼き石に水かもしれません。
それでも、今できることを、続ける事。
ハチドリの一滴を注ぎ、見せていきたい。
石清水が集まり、河をなし海へ注ぐように。
目にした方が、消費の選択に何かを感じていただけたら。
木を使い山を元気にしていくことが、ライフワークになればと思います。
自ら伐りだした樹を使い、木製品を届け森へと還元していく。
人と森が繋がり、また新たな苗木を育てる。
青臭い理想論かもしれません。
森林インストラクターとして、一人の工人として。
人と森との「結び目」の役割を、果たしていきたいと強く願います。
更新が滞り、久々に書きこんでみたものの、実の無い演説になってしまいました。
来年こそは、何か持ち帰っていただけるモノを、提供できるよう努めたいと思います。