引っ越してきてから、あっという間に師走を迎えてしまいました。
気付けば今年も残すところ数日、年末のせわしなさに追われる時期ですね。
冷え込みが厳しく、被災地では大変な冬となるかと思います。
穏やかな新年を迎えられることを、願うばかりです。
先日の日曜日、久々にボランティアとして施設を訪れました。
埼玉にあります、自然学習センターです。
ここではインストラクターになる前の数年間、お手伝いさせていただきました。
今でも登録はしているものの、自身の予定のためになかなか顔を出せずにいます。
ようやくイベントが落ち着くこの時期が、ちょうど一年に一度の節目のように参加します。
センターでは年末にかけて、竹林整備のための門松作りを毎年行っています。
一般の方に伐採していただき、伐った竹で門松を作って飾ろうという企画です。
竹とはいえ、伐出や鋸を使用する作業なので、イベントスタッフは猫の手もの時期です。
せめてもという気持ちもあり、飛び込みでお手伝いすることにしました。
イベント前にスタッフミーティングを行い、要領や段取りを確認して参加者を迎えます。
子供たちも参加するイベントですので、事故や怪我・ヒヤリハットも無く無事に終えることができ、良かったと思います。
終わった後の反省会では、安全管理について意見が交わされました。
私も乏しい経験ながら、いくつかの指摘をさせていただきました。
昼食をはさみ、午後には竹関連イベントのMYはし作りを行いました。
こちらも、ナイフを使う気の抜けないイベントです。
何かと物騒なイメージの強いナイフだからこそ、小さいうちから正しい使い方を体験すべきだと私は思います。
便利さと怖さ。刃物は、使う人の心を映し出す鏡です。
イベント自体は無事終わりましたが、参加者に対する十分なフォローが前提のイベントで、フォローが行き届かない場合はどうするのかが反省会で課題として挙げられました。
道具の使用方法の説明や注意喚起のタイミングに工夫が必要なこと、場合によっては定員を絞ることも必要ではないかと思いました。
事前申し込みと当日受付の難しさを、改めて考えさせられます。
こんなボランティアをしばらくやっていたのですが、個人の思いとしては色々ありました。
本職(?)は木質内装家具の製作、平たく言えば家具職人です。
木材を扱う中で、樹木への興味から森林・環境へと視野が広がっていきました。
そして見えてきた日本の山の現状。
治水と森林保全の歴史、戦後の拡大造林に木材輸入自由化の功罪。
燃料革命に忘れ去られる薪炭林、里山の荒廃・・・
経済構造の変化に取り残され、本来手を入れられるべき森が放置されています。
伐っても売れない。育てる手間は、出る公算すらない。
聞くところによると、3寸角の柱材が一本3000円にもならないとか。
製材価格ですらこの値段、原木価格を考えると完全な伐り損。
搬出すれば間違いなく赤字なので、良くて伐り捨て間伐、実際には手を入れることを放棄された放置山林が各地に広がっています。
不在地主も多くはありませんが、一概に責められるものではないはずです。
各人には暮らしがある。家族もいる。
今や、高嶺の花と思われがちな国産材のほうが。外材よりも安くなりつつあるのです。
それでも売れないのは、零細林家が大半を占める人工林野の経営構造に一因があります。
統一品質の安定供給が求められる今、川上と川下のニーズが合致していないのです。
木で飯を食うものとして、何かできることは無いか。
国産材を使ったものづくりで、日本の山に還元すること。
各地で地産地消の試みがされ、地域経済に根ざした経営を目指す潮流が起きています。
私は、その流れには入れぬまま。いつかはそんな支流の一滴となりたい。
せめて、誰かに伝える・広めることで貢献できないだろうか。
次世代を担う子供たちに、木のぬくもりや森の素晴らしさを伝えたい。
工作体験を取り入れた環境教育を行う施設を探し、ボランティアに登録。
普段の経験を安全管理に役立てられるという理由からです。
お手伝いする中で、自分自身も学び、伝えることの素晴らしさ・楽しさ・難しさを目にしました。
一念発起して、森林インストラクターを受験。
今は、圧倒的に不足しているフィールドでの経験をつむべく、ドタバタした日々を過ごしています。
理想と現実にもがき続けた日々、夢に敗れたあの日。
伝えたい思いに気付かされた山行。
自分を見つめ、この世界に飛び込むきっかけとなった出会い。
たとえそれが、大切なその人との別れにつながっていたとしても。
―今ある自分と、引き換えに―
話がそれました。
どこへ向かっていくのかは手探りですが、来年はインストラクターに加え、ネイチャーゲームリーダーとしての活動も始まりそうです。
「森に元気を、地域に力を。」
私の軸は、そこにあります。
掲げた理想に対し、あまりに小さな声。わずかな力。
それでも、森と共に生きることはできる。
ここが、私の原点。