男女の精神的統合とは、能動性と受動性の統合とも言えるかもしれない。男は身体性から能動性を内面化する。筋力といったものから物質的生産の役割があり、その役割のため、競争などの痛みにさらされる。そして女性はその痛みを受け止めるケア役と考えられてきた。
近年において、その役割の見直しがある。能動性により生じた痛みは、受動性により受け入れられる必要がある。例えば女性同士は仲が良く、競争性が少ないため、痛みを生じにくい側面があると言われている。これは能動性が社会的役割として少ないからであろう。
しかしこれは女性が優れているからというわけではない。もしそう考えるならば、男性が物質的生産の役割だからと、男性が優れていると考える家父長制の裏返しになってしまう。女性は男性から痛みを受け、その痛みから攻撃性が生じることがある。これは男性が役割として身につけた能動性の反映である。
男性は自らの攻撃性をもまた、自分で受け入れることができないゆえ、女性にケアをしてもらおうとする。
この両者は、能動性と受動性が統合されていないという側面で同質であろう。
痛みが生じ、その受け入れが行われる。これは性別関係なく大切なことである。
女性も男性も、能動性からの痛みを持つ人をケアをする、ということが大事。ケアは性別関係なく大切ということ。
マザー・テレサとガンディーは、その両者を統合しようと一生をかけた人たちでもあると思う。
能動性は物質を得ようとして動くことを意味する。
物質性を求めることで痛みが生じ、その回避の衝動と快楽を求めることが生じる。人間はこれらを生きる上で経験し、これらに触れ、向き合い、克服することで成長すると考える。